4月20日、レキシの新作『レキシチ』がリリースされた。文字通り、通算7枚目のオリジナルアルバム。
朝からワイドショーを観ていたら、収録曲「たぶんMaybe明治 feat. あ、たぎれんたろう」MVでジェラードン・かみちぃ&アタック西本と共演した様子が報じられており、レキシがお茶の間でもお馴染みの存在となったことをうかがわせたところである。本文でも強調したが、親しみやすいキャラクターのレキシ=池田貴史であるが、彼がレキシでやったことは日本のポップミュージックにおける大発明である。当コラムでは彼のデビューアルバムを紹介しつつ、レキシ自体の成り立ち、さらには彼がやっているファンクミュージックの“レキシ”も振り返ってみた。

黒人音楽から発展、派生したファンク

池田貴史のソロユニットの名称であり、彼自身の別称と言っていいレキシ。その音楽性はファンクである。念のため、彼のwebサイトを参照すると、自己紹介に“ファンキーなサウンドに乗せて歌う日本史の歌詞と、ユーモア溢れるステージングで話題を呼ぶ”とあるから、それで間違いはなかろう。
そのサウンドを聴けばそれがファンクであることは明白ではあるのだが、この機会にそもそもファンクとはどういう音楽であるのかを確認しておきたい。

そうは言っても、筆者はその辺に詳しいわけでもないので、こういう時はもちろんWikipediaが便利だ。Wikipedia先生によれば、ファンクとは[アフリカ系アメリカ人(黒人)起源のブラック・ミュージックのジャンルである]とある。[様式的起源は、ソウル、リズム・アンド・ブルース、ゴスペル、ブルース、ドゥーワップ、ジャズ、ロック、ワーク・ソング]であり、[文化的起源は1960年代中盤アメリカ合衆国]ということだ。

また、その詳細として以下のような記述がある。分かりやすい説明なので結構長いが引用させてもらう。
[ファンクは1960年代(1964年ごろ)にジェームス・ブラウンの曲「アウト・オブ・サイト」が契機となり、原型が形成された。ジェームス・ブラウンのファンクは、西アフリカのポリリズムと、戦前アメリカのアフロアメリカンによるワーク・ソングからの影響が指摘されている。その後、ベーシスト、ブーツィー・コリンズが、ジョージ・クリントンによりPファンクに招かれ、Pファンク黄金時代を築き上げた。一方、1970年代初頭サンフランシスコから、白人・黒人混成バンドスライ&ザ・ファミリー・ストーンが登場し、彼らのロック的要素を取り入れたファンクが、白人にも受け入れられるようになった。また、ファンクはラテンとも融合し、ウォーの曲「シスコ・キッド」(1972年)のようなラテン・ファンクがうまれた。ファンクはアフリカへも紹介され、ファンクにアフリカのリズムも融合したアフロビートへ繋がり、フェラ・クティやマヌ・ディバンゴらにより発展していった](ここまでの[]はWikipediaからの引用)。
端的に言えば、ファンクの起源はJames Brown=JBにあり、それ以前のさまざまな音楽、とりわけブラックミュージックがベースとなっている。そして、それがさまざまに発展していった。

当コラムの兄弟的存在である“これだけはおさえたい 洋楽名盤列伝!”でJB の『ソウルの革命』を取り上げた回に、こんな文章があった。〈ブラウンの生み出したサウンドは、ジャンプブルース、R&B、サザンソウル、ゴスペル、フリージャズなどをごった煮にして、それに迸るようなパワーと喧騒をプラスしたエキサイティングなグルーブ感で勝負している。何より彼の怒りと自己顕示欲、そして几帳面さのようなものがJBsのプレイに乗り移っていて、怒涛のサウンドが延々と繰り広げられている〉。さらに、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『暴動』の紹介で、こんな描写も見つけた。
〈ファンクを創り上げたのはジェームズ・ブラウン(以下、JB)。このことには誰も異論はないだろう。ただ、JBのファンクはあくまでも黒人に向けられた音楽であり、70年代初頭にそのグルーブが理解できた黒人以外のリスナーやミュージシャンは少なかった。アメリカ南部と比べると、人種差別的な扱いがマシだった西海岸で青少年期を過ごしたスライ・ストーンは、ロック好きの若者であったがゆえに、黒人のためだけに発信されるJBの排他的ファンクを、誰もが楽しめるファンクへと昇華させることができた〉(ここまでの〈〉は“これだけはおさえたい 洋楽名盤列伝!”からの引用)。歴史的背景をしっかりと踏まえた、的確で分かりやすい解説である。邦楽名盤も頑張っていかなきゃいけないと思うところであるが、自己批判はひとまず置いておいて、ファンクという音楽が米国のルーツミュージックからさまざまに派生してきたことがより分かっていただけると思う。
ちなみに“洋楽名盤列伝!”では、この他にもグランド・ファンク・レイルロードやアース・ウインド&ファイアなどの名盤が紹介されており、これらを読むとファンクの流れがさらによく理解できるので、ぜひ一読をおすすめしたい。

遊びの延長で始めたというレキシ

JBが創造し、Slyがそれを昇華させてきたファンクという音楽は海を越え、この日本でも独自の進化を遂げてきた。そこに大きく寄与したアーティストと言えば、久保田利伸岡村靖幸がそうで、バンドでは米米CLUB、FLYING KIDSの名が挙がるだろうし、あるいはそれより先のJAGATARAという伝説的存在も忘れてはならないだろう。そして、レキシもまたそのひとりであり、上記アーティストに決して見劣りすることのない──いや、まったく見劣りするなんてことはなく、日本におけるファンクミュージックの最大の功労者のひとりと断言していいと思う。

しかしながら…と言うべきか、“日本にファンクを根付かせよう!”とか、そういった気負いのようなものがレキシからほとんど感じられない。そう思うのは筆者だけではなかろう。
そもそもレキシはその成り立ちからしてちょっと面白い。池田がメジャーデビューを果たしたのは1997年のこと。SUPER BUTTER DOGのキーボード担当である。同バンドは永積タカシと竹内朋康とによって結成されたものであり、池田は竹内に誘われるかたちで参加している。結成の首謀者ではなかったし、のちに同バンドを振り返って「バンドは楽しかったけれど、職業にしようとは考えなかった」と述べていることから考えても、そもそも彼はプロのミュージシャンとなる意識が乏しかったとも想像できる。

ただ、そうは言っても、その音楽的な素養が放っておかれるわけもなく、デビュー以降は多くのプロデュース作業やライヴサポートを依頼された。2000年には中村一義の3rdアルバム『ERA』のレコーディングに参加し、2004年に中村率いるバンド、100sのメンバーにもなっている。池田はそんなふうにキャリアを積み重ねてきたわけだが、レキシはその最中に生まれたものだ。“トラックに日本史を乗せよう”とSUPER BUTTER DOGのメンバーと遊びの延長で始めたものだという。おそらく1990年代後半のことだろう。その首謀者も永積だったという説もあるし、そこでもまた、はっきりと“自らの音楽でメジャーシーンを驚かそう!”といったような意識は薄かったと思われる。SUPER BUTTER DOGのライヴでもレキシが登場したこともあったそうだが、いつしかメンバーに止められるようになったとも聞く。そんなユニットが、SUPER BUTTER DOG も解散し、100sも活動停止というなった要因もあったとは言え、オリジナルアルバム7作品をリリースするに至り、しかも、そのほとんどがチャート上位にランクイン。何度も全国ツアーを敢行し、日本武道館や横浜アリーナでもライヴを行なうようになるわけだから、世の中、何がどう転ぶか分からない。

そうした変に気負いのないレキシだからなのだろう。コラボレーションを希望するミュージシャンがあとを絶たない。これはこのユニットの大きなアドバンテージとなっているのは間違いなかろう。レキシ公式サイトによれば、いとうせいこう、椎名林檎斉藤和義、松たか子、持田香織Every Little Thing)、秦 基博、後藤正文(from ASIAN KUNG-FU GENERATION)、山口 隆(サンボマスター)、Bose、ANI(スチャダラパー)、安藤裕子、Mummy-D(Rhymester)、キュウソネコカミらが参加している。デビュー作『レキシ』にしても、いとうせいこう、ハナレグミ小谷美紗子、中村一義、原田郁子スネオヘアーが参加。豪華な客演であるが、メンバーのネームバリュー云々ではなく、気の合うメンバーたちと作り上げたと見るのが正しいと思う(2nd以降はレキシに惹かれたメンバーたちと作り上げていると見ることができよう)。

参加メンバーが豊富になればなるほど、音源においてもライヴにおいても楽曲のバリエーションが増えていくのは当然として、メンバーのテンションも高くなるだろうし、楽曲制作、演奏により熱が入ることも想像に難くない。遊びの延長だったというレキシだが、いい意味でその延長のまま活動を続けていることも想像できる。無論、創作は楽しいことばかりではなく、産みの苦しみがあることも承知しているが、過去に池田のインタビューなどを拝見すると、レキシは上記のようなスタンスをメジャーシーンで継続できているようではある。それは実に素晴らしいことだと思うし、サウンドにはそれがはっきりと注入されているように思う。

もはや説明不要だろうが、そうしたレキシの気負いのないスタンスをはっきりと読み取るのは歌詞である。子供の頃から日本史好きだったという池田にとって、レキシの楽曲に散りばめられたワードは、彼自身から極めて自然に紡がれるものなのであろう。アルバム『レキシ』からもそれはうかがえる。山川の日本史教科書辺りから無理矢理に用語を引っ張り出してきた感じがないのである。韻の踏み方と、ファンクミュージックのマナーに則ったようなリフレインにそれが感じられる。例えば、本作のボーナストラックとしてラストに収められているM12「兄じゃ I need you feat. シャカッチ」。タイトルからそうだが、《兄じゃ》と《I need you》が韻を踏んでいる。洋楽、とりわけソウルミュージックで多用されているであろう《I need you》というフレーズ。韻を踏むなら語尾を“ユー”や“じゅ”辺りで揃えるのがポピュラーではないかと思うけれども、《兄じゃ》に揃えている。日本史好き、時代劇好きじゃないと、そこに《兄じゃ》という言葉をサラリとは出てこないのではないだろうか。ファンクと日本史に造詣があるからこその業だったと言える。

リフレインで言えば、M5「ええじゃないか」が素晴らしい。“ええじゃないか”もまた日本史の出来事。[日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動]のことで、[「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った]ものだという([]はWikipediaからの引用)。さまざまな節で連呼されたようだが、現代の流行音楽のような旋律があったわけではなかろう。今村昌平監督の映画『ええじゃないか』(1981年)では祭り囃子の“ワッショイ”に近い調子で描かれており、おそらくそれと大きく違いはなかったのではないだろうか。しかし、レキシ版のこの「ええじゃないか」は実にスウィートなメロディーに乗せられている。初めて聴く人が歌詞を見なかったとしたら、それが“ええじゃないか”とは思わないのではないかと思われるほど、独特な言葉の乗せ方と言える。端的に言えば、ちょっと英語っぽい。“ええ”も“じゃない”もそうだし、“か”も“ka”ではなく“k”と子音で締めているような印象がある。想像だが、メロディ優先で、そこに合う言葉を探してぴったりきたのが“ええじゃないか”だったのだろう。これもまた日本史好きでなければ想像もしないマッチングであろう。

細かな話だが、日本史好きがファンクを作っているのではなく、ファンク好きが自らの音楽に日本史を取り込んでいるのがレキシであると思う。もっと言えば、日本史好きに共感してもらおうとかそういうことではなく、いいメロディーといい演奏をリスナーに届けようとしているアーティストと言える。分かり切ったことではあるが、紛うことなき音楽家=ミュージシャンなのである。M4「真田記念日 feat. Dr.コバン」にそれを見る。アッパーで爽やかなメロディーライン。アイドルポップというと少し語弊があるかもしれないけれど、そう受け取る人がいてもおかしくない親しみやすさがある。派手なギターも景気がいい感じだ。そこに乗っている歌詞は以下の通り。

《あれ 大阪 あれ いつの陣? あれ冬の陣? いや夏の陣/大阪 あれ いつの陣? あれ冬の陣? やっぱ夏の陣》(M4「真田記念日 feat. Dr.コバン」)。

真田幸村が大阪夏の陣で活躍したとか、真田一族が親兄弟が敵味方に分かれて戦ったとか、そういう池波正太郎の小説的話を描きたいなら、歌詞がこうなることはなかろう。タイトルも俵万智の『サラダ記念日』のパロディーだ。あくまでもメロディーに寄った語感から導き出されたと考えられるし、ここからも、彼があくまでも音楽の人であることがよく分かる。ただ、彼は生粋の日本史愛好家であったがゆえに、日本史の用語や、日本古来の言葉がブラックミュージックと相性がいいことを発見した。いや、相性の良さを発見した人は過去にもいたかもしれないが、それをこれほど大量にポップミュージックに注入することができたのは、かつて池田貴史以外には誰もいなかったことは間違いない。池田=レキシのポピュラーミュージック史における功績は相当に大きい。日本に渡来したファンクを独自の解釈を加えることで大きく飛躍させたという意味で、彼はまさに歴史的な人物と言えるのだ。

TEXT:帆苅智之

アルバム『レキシ』

2007年発表作品

<収録曲>
1.歴史ブランニューデイ feat. 足軽先生, シャカッチ 
2.Let's忍者 feat. パープル式部
3.Good bye ちょんまげ
4.真田記念日 feat. Dr.コバン
5.ええじゃないか
6.万葉集 feat. つぼねぇ, シャカッチ
7.参勤交代
8.HiMiKo feat. 切腹さん
9.踊り念仏 feat. シャカッチ
10.LOVEレキシ
11.和睦
12.兄じゃ I need you feat. シャカッチ