16歳で事故に遭い、意識不明のまま入院。やがて目覚めた後に向き合うことになったのは、“両足切断”という大きな変化だったという葦原海(あしはら・みゅう)さん(@myu_ashihara)。そんな彼女はインフルエンサー活動をはじめ、パラリンピックの舞台や歌手・MISIAのツアーバックダンサー、ミラノやパリのファッションショーにも出演する中で、「障がい者としてではなく、一人の人として見られること」への感覚にも変化が生まれています。状況を受け入れながらも彼女はどのように自分自身と向き合い、今の価値観を育んできたのか、話を聞きました。

■記憶の無い事故当時 両足切断を知るも、感じたのは「生きていることへの感謝」

――16歳で事故に遭い、その影響で両足を切断されたそうですが、当時の状況や感情について教えて下さい。

「事故の際は意識がなく、両足切断は家族の判断でした。目が覚めた時は母の泣き顔が視界に入り、頷いた記憶はあります。事故当日の記憶はほとんどなく、最初は状況がよく分からないまま、看護師さんや親に退院の目処を聞いていましたが、『分からない』という答えが続き、早く退院したい私にとっては疑問でしかありませんでした。

 けどある日、寝返りでシーツのヨレを直そうと背中とベッドの間に手を入れた時、下半身が病院着ではないことに気付き、足が悪いのかなと思って医師に確認しました。その後、両親が揃ったタイミングで切断したことを告げられました。それまで『なぜ退院の予定が立たないのか』『どこか悪いのか』と分からずモヤモヤしていたので、事実を知って納得できたことで気持ちはスッキリしました。すぐ退院できない理由にも納得し、気持ち的には生きていることへの感謝が大きかったです」

――「すぐに退院できない」と知った後の入院生活の中での気持ちや過ごし方はどうでしたか?

「個室で1人、24時間ベッド生活が続いたのはアウトドアな私にはつらかったです。事故で携帯もなく、友達と連絡も面会もできず、SNSも見られない環境は暇でつらかったですね。

 ただ、足を失ったこと自体はつらいと思ったことはなく、看護師さんと話す時間が楽しかったり、テレビで旅番組を見て退院したら行きたい場所を考えたり、リハビリでは訓練士さんと雑談しながら過ごすのを楽しんでいました」

――NHK番組内でのファッションショーをきっかけに、「障がい者と健常者の壁や固定観念をエンタメの力で壊す」と決意されたとのことですが、その想いに至った経緯を教えていただけますか?

「私はもともとテレビの裏方の仕事が夢だったので、『ランウェイを歩きたい』というより『制作の裏側を見たい!』という気持ちで(ファッションショーに)参加していました。そのためステージ上でも、自分がどう見られているかより、どんな人が来ているのかなど、少し裏側の目線で捉えていた部分があります。

 実際に参加者や観客、放送後の反応を見ると、当事者やそのご家族、福祉関係の方が中心で、もともと関心のある層に届いている印象でした。それ自体はとても意義のあることだと思いますが、一方で「広める」という目的に対しては、まだ届く範囲が限られているようにも感じました。

 『障がいのある人やその人たちが過ごしている生活』をもっと知ってもらうには講演会や福祉的な文脈だけではなく、もっと“楽しい”“面白い”といった入口から自然に知ってもらう形が必要なのではないかと思い、“エンタメの力”にフォーカスした活動を選んでいます」

■「障がい=個性という表現に違和感」 変化しつつある周囲との関係性と向き合う

――これまでの活動を通して、障がい者と健常者の壁や固定観念が変わってきたと実感されたエピソードはありますか?

「特に感じるのは、障がいの有無に関係なく“人と人”として関わる空気が少しずつ広がってきたことです。コメントでも「街で車椅子ユーザーを見かけたら声をかけやすくなった」「自分の方が勇気づけられて障がい者=可哀想という見方が変わった」などの声をいただくことが増え、自分の発信が誰かの行動や考え方に小さくでも影響していることを実感しています。
またイベントでも、年齢や立場、障がいの有無に関係なく会いに来てくれて、障がいについてだけでなく好きなものや日常の話をしてくれることが増えました。“障がい者として”ではなく、“1人の女の子として”自然に関わってもらえている感じがすごく嬉しいです。

 こうした流れの延長で、仕事面でも車椅子ユーザーであることを特別視されるというより、一人のクリエイターとして声をかけてもらえる機会が増えてきたのも、以前では想像できなかった変化だと感じています」

――日常ではどうですか?

「昔は街中での声掛けは『何かお手伝いしましょうか?』というサポート面が多く、その気遣い自体はとても嬉しかったですが、今では声掛けの大半が『みゅうちゃんですか?』『いつも見てます!』というふうに変わってきた事は、もっと嬉しいです!

 そこには『障がい者と健常者』『困ってそうな人と優しい人』といった関係ではなく、SNSを通じて“知っているから声をかける”というフラットな距離感があると感じています。そういった変化を通して、『障がい者と健常者の壁や固定観念をエンタメの力で壊す』ことが実現できているのかなと実感しています。また、小さい子どもが自然に声をかけてくれることもあり、車椅子ユーザーへの声かけ自体のハードルも下がってきているのかもしれないと感じています」

――これまでの活動の中で、違和感を覚えた言葉や、まだ変わっていないと感じる壁、または「こうなったらいい」と思うことがあれば教えてください。

「『障がいは個性』という表現には少し違和感があります。個性というのは本来、髪の長さや色、ファッション、ネイルやメイクなど自分が好きで選び取ってきた自分らしさだと思っているので、車椅子ユーザーであることのように自分で選択したわけではないものを“個性”とまとめることにはどうなのかな~?という疑問はあります。

 一方で、障がいのある人の発言や行動が、そのまま障がい者全体のイメージとして受け取られやすいという壁は、まだ変わっていないと感じます。そのため発信する際は、あくまで“私個人の考え”であることを意識するようにしています」

――車いすでの生活の中でネガティブな感情が湧くことはありますか?また、そうした感情をどのように受け止め、引きずらないために意識していることがあれば教えてください。

「もちろん少なからずあります。仕事をする中での不安や心配ごと、人の言葉や行動に傷つくこともたまにあります。でも基本的に引きずる事はないです。心配事は内容に応じて相談できる人に相談したり、人のいい面を探すように心がけています。また、嫌なことを言われてもそれがその人の全てではないと考えたり、それでも合わなければ仕方ないと割り切るようにもしています。

 落ち込んだ時こそ、自分の好きな事をとことんして気持ちをフラットに戻すようにし、そもそも落ち込む時間が長くならないよう日常を忙しく過ごすことも意識しています。こうした積み重ねが、自分なりの“引きずらない方法”になっていると思います。

 こうみると人間関係や環境で悩む事はあっても、“車椅子ユーザーだからこそ落ち込む”というのはないのかも(笑)」

■「生まれ変わっても、また自分になりたい」と思える日々に

――ポジティブな姿勢を保てている理由や、日頃から心がけていることがあれば教えてください。

「私は自分ではポジティブとか明るい人間だとは思っていなくて、これが自然な自分です。なので実際に無理をしている感覚もありませんし、日常が忙しくてSNSの更新が止まることもあります。

 ただ、自分の気持ちに嘘をつかないことや、物事を少し楽観的に捉えること、そして何より感謝を忘れないようにすることで、いろいろなことが前向きに見えるようになっているのかもしれません」

――パラリンピックのパフォーマーやミラノ/パリコレクションなど唯一無二の「両足のない車椅子ユーザーのモデル」として大活躍されていますが、表舞台でのご経験を通して、感じた価値観の変化や気づきがあれば教えてください。

「“ない”道を歩もうとすることは簡単ではなく、批判を受けることもありますが、自分を信じて貫くことの大切さを実感しました。その結果、応援につながることもあると感じています。また挑戦は、誰かに応援してもらうだけでなく、自分の姿を発信することで、逆に“誰かへの応援“にもなり得るのだと思いました」

――2023年に出版された『私はないものを数えない。』でも語られているような「できることに目を向ける」という考え方以外に、なにか大切にしているモットーがあれば教えてください。

「生まれ変わっても、また自分になりたいと思えるように過ごす事を心がけています」

――あらためて、「両足のない人生」を歩んでいるというご経験は、ご自身にとってどのような意味を持つものになっているのでしょうか。

「物理的に1人で出来ない事は生まれましたが、それ以上に視野が広がり、思考力を得たと思います。そして未来がどうなるかなんて分からないからこそ、何より“今”が大切だと気付かされました。表舞台に立つ事に全く興味がなかった私が今こういったモデルとしての活動をしているのも、きっと与えられた使命だと感じています」

――SNSや発信を通して、いま最も伝えたいメッセージがあればお願いします。

「悩み事はすぐに解決しようとしなくていいから、楽しむ気持ちを忘れずに過ごしてほしいなと思います」

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