作家の乙武洋匡氏は、「暴力による言論封殺は断じて許されない」とした上で、「今回の抗議は特定の思想を持つ部外者によるものではなく、差別的発言に傷ついた現役東大生が言論によって声を上げるのであれば、それは正当な主張として成立する」と説く(以下は乙武氏による寄稿)。
「部外者」に口を出す資格はあるか?問われるべき抗議の主体
東京大学の五月祭で予定されていた参政党・神谷宗幣代表の講演会に抗議の声が上がり、さらには爆破予告もあったことから、結果的に講演会は中止となった。暴力による言論封殺は、断じて許されない。私自身、参政党や神谷代表の思想とは相容れない部分が多いが、対象が誰であろうと脅迫には断固として抗議したいと思う。その上で、ここでは今回のようなケースが起こった場合に、言論による抗議は可能かどうかを考えたい。まず考えるべきは「誰が」抗議をする権利を持つのかということだ。今回に関して言えば、学生ではない、特定の思想を持つ“大人たち”も抗議活動に関わっていたと伝えられる。しかし彼らは学生でもなければ、おそらくは卒業生でもない、部外者。東大生の東大生による東大生のための学園祭に口を出す立場にはないはずだ。
「三島vs全共闘」とは決定的に違う、東大生が抗議した真の理由
では、学生たちはどうだろう。ここは賛否が分かれてくる。今回の件に際して、1969年、三島由紀夫が東京大学に招かれ、東大全共闘と議論を交わした事例を持ち出し、「言論に対しては言論で戦え」といった声も散見された。神谷氏はこれまで演説中に「アホだ、バカだ、チョンだ」と特定の民族を侮蔑するような発言をしたり、「変なLGBTとかどうでもいい。あんなの教えなくていい」との発言をしたりと、批判を受けている。本人や支持者は「差別の意図はなかった」と強弁するが、多くの人がその言葉に傷つき、憤った事実は軽視できない。ならば、現役の東大生が「私たちの学園祭で差別的で誰かを傷つけるような発言がなされることがあってはならない」と抗議をすることは、ひとつの主張として成立するだろう。
次に考えるべきは、その手段だ。もちろん、爆破予告など論外だし、座り込みや来場者への威嚇といった実力行使による妨害行為にも個人的に賛同できない。しかし、プラカードやチラシなど、あくまで言論による抗議活動ならば、私は正当性を感じられる。
参政党には熱烈な支持者と強烈なアンチが併存するからこそ議論が白熱しがちだが、抗議の主体や手段を含めて、問題を丁寧に切り分け議論することが必要だろう。
【乙武洋匡】
1976年、東京都生まれ。
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