日本語で育まれる思考はどのようなものか。元内閣府事務次官の松元崇さんは「縄文時代のように1万年以上にもわたって戦乱のない時代というのは、世界の歴史にはおよそ記録されていない。
その縄文時代のDNAを受け継ぐ日本語には、人々を幸せにする力があるはずだ」という――。
※本稿は、松元崇『武器としての日本語思考』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■主語を持たない日本語の原点を思い出す
「世間」の中での自分の位置を確認し、その上で様々な相手と相対的な関係を臨機応変に取り結ぶ機能を持つのが日本語ですが、その過程で相手との心理的な距離をうまくコントロールし、相手と感情を共有する構造が創り上げられていきます。
その際、様々な人から受け取ることが期待される思いやりの集合体が自然と出来上がりますが、それを日本語の持つ「寄り添い機能」と筆者は呼んでいます。そのように日本語の言語空間がはぐくんできた「寄り添い機能」が、西欧文明の流入がもたらした「自我」によって失われていきました。
日本語の持っているこの「寄り添い機能」を復活させるためにはどうしたらいいのでしょうか。
多くの日本人は「寄り添い機能」がない所では不安になって立ちすくみ、その潜在力を発揮するどころではなくなってしまっています。
筆者は、その状況を改めるためには、人間みな平等という日本文化の原点を思い出すことが大切だと考えています。それは、「世間」で様々な主体が変幻自在に立ち現れてくるという、主語を持たない日本語の原点を思い出すことでもあります。
人間みな平等という考え方は、今日の世界から急速に失われていっているものです。GAFAMなどの巨大IT企業が登場し、格差社会化が顕著です。
米国でトランプ大統領が登場した理由の一つも、米国において中間層の所得が伸びず、貧富の格差が極端に拡大してきたことだと考えられます。
お金持ちと貧しい労働者に二分される状況は、とても人間みな平等といえるものではありません。
日本もそのような世界の流れの影響を受けています。企業は社員みんなのものだから、経営者だけがとんでもない高給を取ることなどありえないというのが、かつての考え方でした。
それが、企業の発展は経営者の才覚次第だという考え方が入ってきて、株主に少しでも高い配当をもたらす経営者には、それに見合う高い報酬を支払うべきだということになってきています。ある程度は妥当な考え方ですが、行き過ぎると社会は殺伐としたものになってしまいます。
■人事部こそ日本型経営の要
同様のことは、ジョブ型雇用かメンバーシップ型雇用かということに関してもいえます。ジョブ型の下にある米国の企業には、日本のような人事部はありません。各部門の長が、自分の部門の成長を図るのに必要と考える社員の採用や解雇を自分の権限として行っています。
リーマン・ショックの時に、多くの米国の金融機関の職員が、突然解雇されて会社を去る場面が日本のニュースでも放映されていましたが、あれがジョブ型雇用の実態です。
トランプ大統領が企業経営者だった時、気に入らない従業員を「お前はクビだ(You are fired!)」と言って解雇してみせる番組が人気を博していましたが、あれが米国のジョブ型雇用です。
日本の企業は、そんなことはしません。日本企業の人事部は、雇用した従業員の能力を最大限引き出すために、会社全体の仕事の中でどこに配属したらいいかを考えます。

そのようにして、多様な力を持つ従業員の潜在的な能力を引き出して会社全体の成長につなげていくのです。それは、人的資本経営そのものです。
各部門の長は、もちろん人事についての要望は出しますが、個々の社員を自分のところに持ってきたり、他所にやったりという絶対的な権限、ましてや新たに雇用したり解雇したりという権限を持っていません。従業員を育てる主導権を人事部が持っているからです。
■人間みな平等という日本の文化が育む世界
バブル崩壊後、雇用の過剰ということが言われ、人員整理が人事部の役割のようだった時期が長かったために、会社全体として従業員の能力を引き出し、それによって、人も会社も共に成長するというメンバーシップ型雇用の原点が忘れられてしまったのです。
そろそろ日本企業の人事の基本を思い出すべきです。従業員の様々な能力を引き出す人事は、様々な主体が「世間」の中で変幻自在に立ち現れてくるという日本語の世界、人間みな平等という日本の文化がはぐくんできた世界なのです。
とはいえ、グローバル化している企業の海外での経営においてはジョブ型雇用が不可欠です。メンバーシップ型の人事で社員を育てたとしても、社員がジョブ型の認識を持っていると、獲得した能力に対して給与が低いということで他の会社に移ってしまったりします。
そこで、海外ではハイブリッドな人事を行っていく必要があります。日本人の社員に対しては基本的にメンバーシップ型雇用を、外国人の社員に対しては基本的にジョブ型雇用をというように、使い分けていくことが必要です。
■「自分の適性にあった仕事」という幻想
メンバーシップ型の雇用は、「主語」を使わない日本語においては変幻自在に立ち現れてくる様々な主体との間に臨機応変な関係を取り結んでいかなければならないという文化の上に成り立っています。
このことは、社会に出たばかり、あるいはこれから社会に出ていこうとしている若い人にとって大事な意味を持っています。
最近の若い人は、就職しても3年で3割の人が転職するといいます。それは個人の自由ですが、若い人が単に「この仕事は自分に向いていない」と決めつけてすぐに転職してしまうとすれば考えものです。
自分に向いている仕事など、ある意味で一生かかって探し出していくものです。筆者自身の就職にしても行き当たりばったりでした。もちろん、若いころから学問を志して立派な研究者になる、看護師を志して立派な看護師になるといった人もいるでしょうが、たいていの人は大学卒業時には自分の適性が何かよく分からない。
そこで、とりあえずは良さそうな会社に就職してみるというのが実態でしょう。そういった若者の潜在的な能力を引き出し、やりがいのある仕事を与えて、人も会社も共に成長していくのが、メンバーシップ型の日本の会社なのです。
そして、人はやりがいがある仕事を与えられても、その職場に溶け込めなければ、実力を十分に発揮することは出来ません。職場の仲間とそれなりの人間関係を取り結んで、初めてしっかりとした仕事が出来るのです。
■最後に否定系を持ってくる日本語の強み
それなりの関係とは、単なる仲良しということではありません、対立関係になる人がいてもいいのです。そんな相手との関係も、上手にマネジメントしていくノウハウを蓄積しているのが日本語です。

日本語の敬語や最後に否定形を持ってくるといった、一見面倒な構文が功を奏するのです。
筆者が理事長を務める国家公務員共済組合連合会(KKR)では、常勤、非常勤を合わせて毎年3000名余りの新人を採用していますが、本部の入会式で筆者が訓示するのは、「先輩の仕事を見習え」と「同期仲良く」と「打たれ強くなれ」の3点です。
同期仲良くというのは、同期という新たな「世間」で「寄り添い機能」が生まれてくれば、個人は安心してその力を発揮できるようになるからです。
打たれ強くなれというのは、「寄り添い機能」が失われた世間で仕事をしていく上で、いたずらに傷つかないように、そのためにネガティブ・ケイパビリティを身に着けるようにということです。
KKRは全国で32の病院と30の宿泊施設を運営していますが、患者や顧客の中にはモンスター・ペイシェントやモンスター・カスタマーもいます。
そういった相手に直面した場合にもめげないように、ということです。そのようにして、一日も早く連合会を力強く担う職員に育っていってほしいという願いからの訓示です。
■日本語は地球を救う
鈴木孝夫氏の『日本の感性が世界を変える』という本の中で、日本語を学んだフランス人が「私が私がを主張しないことは最初は気持ちが悪かったが、全体の中に何となくいることが、ふあ~として心地よい」と感じるようになったという例を紹介していますが、日本語を学ぶと人格が柔らかくなることを「タタミゼ」効果と言うそうです。
「タタミゼ」とは、フランス語で畳の上での生活を意味する言葉で、国際的にもかなり用いられるようになっているといいます。『英語にも主語はなかった』という本を著しているカナダ在住の言語学者、金谷武洋氏は、そのような日本語は地球を救える力を持っているとしています。
「世間」で自分を認識する日本語を話す日本人にとっての幸せは「世間並」です。周囲の人たちの幸せを喜びと考えてきたのです。
「タタミゼ」効果で人格が柔らかくなるというのも、日本語がそのように周囲の人たちの幸せを喜びとする言語空間を創り出す機能を持っているからだと考えられます。
周囲の人たちの幸せを喜びとする人々が集まれば幸せな社会が築かれます。実は、江戸時代の260年間は、そのような「タタミゼ」効果を持つ日本語が創り出した一つの理想郷だったと考えられます。
江戸時代は、長年にわたって戦乱のない太平の世でしたが、遡れば縄文時代は1万年以上にもわたって戦乱のない時代だったことが考古学上明らかにされています。
人類の古代史の研究では、人類の歴史には「万人の万人に対する闘争」だけでなく平等原理を尊重する社会も繰り返し登場してきたとしていますが、日本の縄文時代のように1万年以上にもわたって戦乱のない時代というのは、世界の歴史にはおよそ記録されていないのです。
■日本語には人々を幸せにする力がある
そんなにも長きにわたって戦乱がなかった縄文時代のDNAは日本人、そして日本語の中に深く組み込まれているはずです。それが、世界で唯一相対敬語を使うという日本語を生み出し、日本語の「寄り添い機能」をはぐくんできたのです。戦乱がなかった縄文時代のDNAを受け継ぐ日本語には、人々を幸せにする力があるはずです。
そんなことを言うと、それでは日本語をしゃべらないと人は幸せになれないのかと言われそうです。しかしながら、そもそも人間が言葉をしゃべれるようになったのは、他の動物と異なり人間に他者の善意への信頼のようなものがあったからです。
アダム・スミスの道徳感情論は、他者の善意への信頼の思想です。英国人も、そのように考えてきたのです。

だとすれば、日本語以外の言語をしゃべる人々も他者の善意への信頼という言語の原点に立ち戻れば、同じように幸せになれるはずです。日本語は、その原点を最もよく保存している言語に過ぎないのです。
世界では、各国の利害が錯綜し、ウクライナでは戦争が続いています。そのような世界を少しでも平和で幸せなものにしていくために、日本が、日本語の思想で、世界に貢献できることはたくさんあるはずです。

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松元 崇(まつもと・たかし)

元内閣府事務次官

1952年東京都生まれ。国家公務員共済組合連合会(KKR)理事長。東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。スタンフォード大学MBA。財務省主計局次長などを経て、2012年に内閣府事務次官。著書に『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』など。

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(元内閣府事務次官 松元 崇)
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