東急田園都市線・藤が丘駅(神奈川県横浜市)の目の前に、時が止まったかのような「廃墟モール」がいまでも営業を続けている。1967年に開業した「藤が丘ショッピングセンター」は、これまで大規模なリニューアルはされずに昭和の姿を残している。
59年間、なぜ当時のままで生き残れたのか。ライターの坪川うたさんが“現存最古の長寿モール”に迫る――。(後編)
■約60年前に東急が作ったショッピングセンター
東急田園都市線の藤が丘駅前に、昭和レトロな廃墟モールが存在する。「藤が丘ショッピングセンター」だ。
本連載における「廃墟化」あるいは「廃墟モール」の定義は下記のとおりである。
開くことのないシャッター。むき出しのまま、ガランとした空き区画。撤退したテナントに散乱する備品。買い物や食事を楽しむ人が少なく、ショッピングモールとしての賑わいが感じられない。
藤が丘ショッピングセンターは今般、駅前の再整備が決まったことで店舗が撤退し、廃墟化している。シャッターが並び、ショッピングを楽しむ人の姿はなくさみしい雰囲気となっている。建物の汚れや錆など老朽化も目立つ。

一方で、外壁に赤い瓦が敷き詰められていたりカラフルなテントがかかっていたりと、どことなく洒落ていてハイカラな印象を受ける。
それもそのはず。藤が丘ショッピングセンターは今から59年前の1967(昭和42)年にスペインをイメージしてつくられたのだ。東急田園都市線において東急が開発したなかでは、現存する最古のショッピングセンターである。
また日本全国で考えても、藤が丘ショッピングセンターは非常に古い施設だといえる。
開業時から同じ名称で、大きく見た目を変えずに長年営業を続けるショッピングセンターとして有名な中野ブロードウェイ(1966年開業)の翌年に開業しているのだ。
■東急グループの“原点”
藤が丘は、多摩田園都市の中でも早い時期に土地区画整理が行われたエリアである。多摩田園都市とは、東急田園都市線の梶が谷駅~中央林間駅の間に広がるエリアを指す。
1953(昭和28)年1月に東急は「城西南地区開発趣意書」を発表。その後、1966(昭和41)年4月の東急田園都市線溝の口~長津田間の開通とほぼ同時に「ペアシティ計画」が掲げられた。
ペアシティ計画とは、「多摩田園都市一帯にナシの実を模してプラザやビレッジ、クロスポイントなどの拠点をつくり、その周辺に緑、交通、ショッピングなどのネットワークを張りめぐらそうという構想である」。(『多摩田園都市 歴史描画』)
この構想をもとに東急グループが結集して多摩田園都市の開発を推進。
藤が丘ショッピングセンターの開発主体は東急、建設は東急建設が担った。
核店舗にも東急グループが入った。衣料品専門店の東光ホームマート、生鮮食品を扱う東光フードマートの共同店舗1号店が出店。のちに東急バラエティストアとなるこの店舗は、看板店舗といわれた。この核店舗のほか15の店舗区画が設けられた。
およそ60年前、まだ人口の定着していない新興住宅地に住み移ってきた人々の生活を支えたのは間違いなくこの場所だった。藤が丘ショッピングセンターは、東急グループが総力を挙げて開発したショッピングセンターの原点なのだ。
■沿線に競合施設が続々とオープン
藤が丘ショッピングセンターの開業後、多摩田園都市を取り巻く環境は大きく変化していく。人口は当初の5万人から増え続け、1975(昭和50)年に20万人、1986(昭和61)年に40万人に達した。
また、モータリゼーションが進んだ。横浜市の自動車保有車両数は藤が丘駅が開業した1966年度に約11万台だったが、わずか4年後の1970年度には倍以上の約27万台となった。2000年には約147万台にまで増加している。
(『神奈川県勢要覧』)
このように街が成熟するにつれて、ショッピングセンターに求められる役割もまた変わっていった。
1960年代は、藤が丘ショッピングセンターや青葉台ショッピングセンター、たまプラーザショッピングセンターのように日用品の提供が役割だった。それが1970年代に入ると、住民から品揃えの良い大型店が求められるようになる。
その声を受け1978(昭和53)年、東急ストアを核店舗とし50の専門店が揃うさぎ沼とうきゅうがオープン。1982(昭和57)年には、東急百貨店と70の専門店が出店するたまプラーザ東急ショッピングセンターがつくられた。
そして2000年代以降は単なる買い物の場所から、ライフスタイルを提案し、人が集う場所へと進化していく。
たまプラーザ東急ショッピングセンターは2010(平成22)年に、約1600台の駐車場を備えた巨大ショッピングセンターのたまプラーザテラスに拡張された。たまプラーザテラスは、モノだけでなく飲食やサービスといったコトの充実化が図られ、大きな広場も設けられた。
■「無農薬スーパー」で県外からも集客
ショッピングセンターがライフスタイルを提案する場へと進化していくなか、藤が丘にも新たな目玉となる店舗が登場した。1996年12月にオープンした「マザーズ藤が丘」である。
有機野菜の宅配システム「らでぃっしゅぼーや」を運営する「日本リサイクル運動市民の会」と東急の共同企画で誕生したこの店は、日本初の100%有機・無添加食品スーパーとして注目を集めた。
店内には独自の厳しい環境保全型生産基準を満たした約2000品目が集められ、農薬の使用状況などの情報公開も徹底された。
当時は有機農産物がマイナーな存在だったが、食の安全性への関心の高まりもあり、その先進的な取り組みは大きな話題を呼んだ。
駅前のスーパーといえば、通勤客など地元の人がターゲットとなる「平日型」が一般的である。しかしマザーズは異例の広域集客力を誇った。オープン1カ月過ぎには1日の来店者が1200~1500人に達し、週末の売り上げは平日を2~3割も上回った。安全な食を求める消費者が、都内の23区や多摩地区をはじめ、県外からも車で来店するほどの盛況ぶりだった。
マザーズは県外からも顧客を惹きつける強力な核店舗として機能した。ショッピングセンターの命運は核店舗が握っていると言っても過言ではない。マザーズは、藤が丘ショッピングセンターに新たな賑わいをもたらしたのである。
■「長寿モール」という稀有な存在に
筆者は全国各地の「廃墟モール」を視察しており、廃墟化には競合施設の存在やモータリゼーションの進展、核テナントの撤退などの複数の要因が絡み合っていると分析している。
そして「廃墟モール」の大半は、1980年代後半~2000年代に開発されたものである。1970年代以前に開発されたモールはすでに幕を下ろしているか、もしくはリニューアルを経て活気を保っているものが多い。
現在の藤が丘ショッピングセンターは、廃墟モールの様相を呈している。
しかしそれは再開発が決まってテナントが撤退したからであって、上記のような要因で廃墟化したわけではない。むしろ、1967(昭和42)年から当時の姿を残したまま営業を続けてきた「長寿モール」という稀有な存在なのである。
藤が丘駅をはじめ、田園都市線沿線は大きな転換期を迎えている。横浜市は、2002(平成14)年1月に「青葉区まちづくり指針」を策定。その後、2013(平成25)年3月に「田園都市線駅周辺のまちづくりプラン」が策定され、2020(令和2)年3月に改定された。このプランにより、藤が丘駅を含む7駅の整備が進んでいる。
青葉区以外の多摩田園都市においても、たとえば鷺沼駅前ではショッピングセンターのフレルさぎ沼が2025年4月に営業終了し、市街地再開発事業が動き出した。
沿線全体が次の時代に向けた新陳代謝を始めているなかで、東急のショッピングセンターの原点である藤が丘ショッピングセンターも再整備が決まった。地域の人々に日常の利便性を提供してきた「長寿モール」は、次世代のまちづくりへとバトンを渡す名誉ある終焉を迎えようとしている。

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坪川 うた(つぼかわ・うた)

ライター、ショッピングセンター偏愛家

熊本県出身。熊本大学卒。新卒で大型SCデベロッパーに就職。
小型SCデベロッパーへの転職を経て、フリーランスに。国内外で500以上の商業施設を視察済み。宅建・FP2級。

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(ライター、ショッピングセンター偏愛家 坪川 うた)
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