人の上に立つ人物の特徴は何か。歴史家・作家の加来耕三さんは「『平家にあらずんば人にあらず』という言葉を残した平清盛は傲慢な人物だと思われがちだが、部下はもちろん、敵対する相手にまで優しさをみせた結果、天下を取った」という――。

※本稿は、加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■部下を気遣う繊細さを持ち続けた理想的人物
こんな師匠や上司になら、ぜひ学びたかったと思える例として、意外に思われるかもしれませんが、古(いにしえ)の平清盛を紹介します。
清盛は部下を叱る際、決して人前では叱りませんでした。部下に恥をかかせないように、とこっそりと誰もいない場所に呼んで、言い聞かせていたのです。
「平家(へいけ)にあらずんば人にあらず」という言葉から、清盛を傲慢(ごうまん)な人物だと思い込んでいる人は少なくありません。
しかし彼の実像は独裁者や暴君ではなく、人の話をよく聞く、そして誰にでも気くばりができる理想的な人物でした。だからこそ、平家は天下が取れたともいえます。
清盛が他人に気くばりができた背景には、若い頃に自身が辛酸(しんさん)を嘗(な)めた(苦しくつらい経験をした)ことが大きく影響していました。
当時の公家にとって、新興の武士は犬や馬と同等の存在でしかなく、清盛自身も陰湿ないじめに涙をこらえる日々を送っていたのです。
いじめられた経験を持つ人間は、それがどれほど人としてやってはならないことか、身に染みて理解しています。そのため清盛は、太政(だじょう)(だいじょう、とも)大臣に出世してからも、部下を気遣う繊細さを持ちつづけることができたのでした。
■信長も大いに尊敬し理想としていた
清盛の優しさは、敵対する相手に対しても失われませんでした。
若い頃、瀬戸内海の海賊退治を命じられた際、公家たちは海賊の皆殺しを命じました。
けれども清盛は、従順な姿勢で降参した海賊を許し、あろうことか彼らに商船の警護役を与えたのでした。
もし海賊を片っ端から処刑していれば、恨みによる報復で、海の安全は脅かされつづけたでしょう。清盛が話のわかる一流の人物だと知れ渡ったことで、海賊は減り、日宋(にっそう)貿易を支える安全な航路が確保されるようになったのです。
人格者であり、優しさも兼ね備えた清盛を、実は戦国の覇王・織田信長も大いに尊敬しており、自らの“天下布武”の理想としていたほどでした。
現代でも感情に任せて、人前で部下を怒鳴りつける上司がいますが、どれほど上司の言い分が正しくても、衆人環視の中で怒られた部下は反省せず、ただただ感情論で不快に思いつづけるもの――。
指摘の内容が正論であっても、恥をかかされたとのみ思い込み、“怒り心頭(しんとう)に発する”人=部下には、反省はないものです。若い頃の苦労を通じて、相手の痛みがわかる人間になれたかどうかが重要であり、叱る際の言動を見れば、その人物が師、上司にふさわしい人物かどうか、判断できるに違いありません。
■師匠とは、人生における優れた先人
かつての日本において、師匠という存在は人格者と同義(同じ意味)でした。
時代劇などでは、剣術の師匠などが未熟な主人公を精神的にも正しい方向へと導いていく、といった物語を目にしたことがあるでしょう。
師匠とは単に技術を伝達するだけの役割ではなく、人生における優れた先人としての一面も兼ね備えていたのです。
実際、歴史上の名将たちも、自分の息子に人格者の師をつけ、教育を受けさせていました。
鎌倉時代以降、人の上に立つ武将を教える師匠の多くは、禅僧が務めています。
権力欲や金銭欲、性欲といった世俗的な誘惑に揺らぐことのない人たちだからこそ、武将も頭を下げて教えを請うのであり、まさに人格者ゆえに師匠たり得たのです。
その禅僧の教えによって救われ、見事な武将へと成長した一人が伊達政宗です。
東北地方で最大の領土を獲得し、“独眼龍(どくがんりゅう)”と恐れられた政宗ですが、師である虎哉禅師(こさいぜんじ)がいなければ、その成人後の活躍はなかったでしょう。
なにしろ少年時代の政宗は、天然痘(てんねんとう)の後遺症で片目が不自由になったため、非常にその劣等感に苛(さいな)まれる、内向的な人物だったのです。
■可能性に気づくことができた虎哉の言葉
しかし父親の輝宗(てるむね)は、政宗に才能の片鱗(へんりん)を感じていました。輝宗はわが子を立派な跡継ぎに育てるため、わざわざ他国から名高い禅僧の虎哉宗乙(そういつ)を招き、息子に最高の教育を施します。
虎哉は政宗に対し、儒教の“四書五経(ししょごきょう)”や仏教の『般若心経(はんにゃしんきょう)』を読ませたり、和歌の嗜(たしな)みを教えたりしました。
父である輝宗の願いは、教養を身につけさせることだけではなく、政宗に自信を取り戻してもらうことにありました。
そのため虎哉は、政宗に自信をつけさせる教育もおこないましたが、決してチヤホヤと接するのではなく、その指導には厳しさが常にともないました。
虎哉は、「今のままなら、あなたは伊達家から廃嫡(はいちゃく)されるかもしれない。そんなウジウジしたあなたを、誰が当主として仰ぎたいと思うか」とズバリ指摘したのです。

幼い政宗はその言葉に驚きますが、虎哉はつづけて「もしあなたが変わりたいと望むのであれば、拙僧がいくらでも力をお貸ししましょう。伊達家の当主にふさわしい人物に、なりたくありませんか?」と寄り添う言葉もかけました。
人格者である虎哉の、厳しさの中にも愛情のある指導によって、政宗は次第に心を開いていきます。
乱世の真っ只中、伊達家を背負う立場である以上、強く成長しなければ困ると政宗本人も心の中では思っていたため、虎哉の言葉によって徐々に自分の可能性に気づくことができたのです。
■徳川家光から気に入られた理由
厳しい学びをくり返した結果、伊達政宗は戦国屈指の大名へと成長しました。
政宗は天下取りの終盤に成人したため、「遅れてきた戦国武将」とも呼ばれますが、彼は新しい時代に適応した人物でもありました。なによりも、その持つ教養の高さ――時代は文字に暗くとも困らなかった戦国乱世から、秩序が重んじられる文治(ぶんち)(ぶんじ、とも)の世の中となったのですから。
泰平の世となった江戸時代になっても、政宗は3代将軍の徳川家光(とくがわいえみつ)から気に入られていました。それは、政宗に深い教養があったからです。
下剋上(げこくじょう)で成り上がってきた戦国大名の多くは、合戦に明け暮れ、勉強する時間を持てませんでした。しかし、政宗には虎哉との勉強が基本にあり、政宗は大人になっても学びを楽しくつづけ、気がつけば高い教養を身につけていたのです。
もし政宗が武力一辺倒の荒くれ大名であれば、幕府から危険視されて、滅ぼされていたかもしれません。

政宗は生涯、師である虎哉の教えに導かれていたといえるでしょう。
■叱らない上司を優しいと勘違いしている
最近は、褒めて伸ばす教育が主流になっているようですが、これには良い面がある一方で逆境に弱く、自らの力で困難を乗り越えられない子供に育つ危険も、多いように見うけられます。現代の子供は、とくに心が折れやすい傾向にあります。
先生や親が、子供に一生寄り添いつづけられるならば、それはそれで構わないかもしれませんが、寿命を考えればそれは土台(どだい)無理な話。
したがって、子供自身が一人で生きていく力を、身につけさせることが重要になってきます。が、これがなかなか上手くいきません。
このもどかしさは、会社組織における上司と部下の関係にも当てはまります。
昨今は部下を叱ると、すぐに「パワハラだ」と批判される風潮があるため、それを恐れて部下を叱ることができない上司が増えているようです。
叱らない上司のことを「優しい」と勘違いしている部下の方もいるようですが、実際は事なかれ主義の無責任な上司かもしれません。もしそうであれば、結果として、仕事のできない人が中途半端に増えるはずです。部下の方は、実は自分が損をしている、という本質を見誤らないようにしてほしいものです。
ちなみに、あの織田信長も禅僧を師として仰いだ一人でした。
信長は、臨済宗妙心寺(りんざいしゅうみょうしんじ)派の禅僧である沢彦宗恩(たくげんそうおん)から教えを受けました。
沢彦は信長の名付け親であり、「天下を取るめでたい名前」として「信長」という諱(いみ)な(貴人の実名)を選びました。
■信長の代名詞「天下布武」の印文は師が考案
また、信長が隣国美濃を併合したおり、稲葉山城下を「岐阜(ぎふ)」と改名したのも、沢彦の進言によるものでした。信長の代名詞として知られる「天下布武」の印文(いんもん)も、考案したのは沢彦です。天下取りに挑む信長に対して、攻められる大名は自分の領地を守るために抵抗します。
そこで沢彦は、「天下に武を布(し)く」、すなわち「京の都に旗を立てる――乱世に武家政権の権威を取り戻し、平穏の世を創る」という標語(スローガン)を考え出し、信長に提案したのです。
このような大義名分があれば、他の大名たちもその志に共感しやすくなるに違いありません。
信長は、沢彦のことを師匠として深く敬っていました。
比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)などの中世宗教勢力には、強烈な弾圧を加えた信長ですが、沢彦が属する臨済宗などの禅宗に関しては手厚く保護をおこなっています。
天下人を目指す信長にとっても、師匠という存在は大切なものであった、との証だといえるかもしれませんね。

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加来 耕三(かく・こうぞう)

歴史家、作家

1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業。
日本史に学ぶ リーダーが嫌になった時に読む本』(クロスメディア・パブリッシング)、『歴史の失敗学 25人の英雄に学ぶ教訓』(日経BP)など、著書多数。

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(歴史家、作家 加来 耕三)
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