スティーブ・ジョブズが1976年に創業したアップルは、創業50周年を迎えた今も成長を続けている。2011年にカリスマ創業者の後を継いだティム・クックCEOについて、海外メディアは世界で最も成功した事業承継を成し遂げたと報じている。
その鍵は「ジョブズのマネをしない」というジョブズ自身の遺言にあった――。
■アップルCEOが「銀座店」に駆けつけたワケ
2025年9月、東京。リニューアルで装い新たになった直営店「アップル銀座」の開店カウントダウンが終わると、ティム・クックCEOがハイタッチをしながら姿を現した。
足元には見慣れないスニーカー。岩手県大槌町の女性職人集団が、伝統的な「刺し子」の技法で一針一針縫い上げた一点ものだ。当時の様子を伝える米ビジネス誌のフォーチュンによると、ナイキのハイエンド・ランニングシューズ「ボメロ プラス」をベースにしたものだという。細かな青いパッチワークの上を白い糸が走り、控えめな赤がアクセントを添える。
アップル銀座は2003年、アメリカ国外初となるアップル直営店「アップルストア銀座」として開業した。そして昨年、全面リニューアルを遂げた同店の再出発の舞台に、クックは日本の伝統工芸が施されたシューズを纏って立った。日本との絆を重視するメッセージが伝わる。
銀座を含め、一連の「アップルストア」を世界展開したのは、他でもない前任CEOのスティーブ・ジョブズだった。まだ小難しいイメージの強かったコンピューター用品を、洗練された直販店で展示販売するスタイルは、当時としてめずらしかった。
禅仏教に傾倒したジョブズは、その美意識をアップル製品やストアのミニマルなデザインに落とし込んだと、米アップル専門ニュースサイトのアップルインサイダーは伝える。こうして「オタク」のイメージが強かったアイテムは、今やファッションアイコンへと昇華した。
■ジョブズの日本愛が生んだ「怪料理」
仕事を離れれば、ジョブズは日本の京都に何度も足を運んだという。普段はヴィーガン食を実践しながらも、寿司や蕎麦を愛し、アップルの社員食堂「カフェ・マック」のシェフをわざわざ築地のそばアカデミーに派遣して蕎麦打ちを学ばせたほどだ。ついには蕎麦に生魚をのせた「刺身そば」を自ら考案したと、アップルインサイダーは伝える。
同じ日本を愛した二人だが、経営スタイルはまるで違う。ジョブズは「現実歪曲空間」を持つとも言われるカリスマ創業者で、無理難題を開発チームに課しては、独特のスピーチで実現可能だと信じ込ませる力があった。ジョブズ在任中の2011年8月10日には米株式市場の終値で石油大手の米エクソンモービルを上回り、時価総額世界一の企業になっている。
一方、2011年にジョブズが世を去り、クックが静かにCEOの座を引き継ぐと、アップルCEOをめぐるドラマチックな逸話は鳴りを潜める。クックは魔法の言葉ではなく、緻密な方法論でアップルの時価総額をさらに伸ばした。アップルは2011年以降、2024年にAI向けなどチップ製造のエヌビディアに抜かれるまで、14年間の大部分において時価総額世界一の座をキープしていた。その「世界一の企業」を率いるクックCEOの知られざる素顔の一端が、朝4時前から始まるメールでの指示出しだ。

■午前3時45分に起きてすること
クックの一日は、まだ暗い午前3時45分に始まる。米起業家向けビジネス誌のアントレプレナーが伝える日課はこうだ。
起床するとまず、山のように押し寄せるメールに1時間ほどかけて目を通す。それが済むと、週に数日は午前5時ごろからジムで体を動かし、スターバックスに寄って再びメールを確認してから、ようやくオフィスへ向かう。
あるイベントでは、「今日のために少し余分に休んだ。朝4時半まで寝てしまった」と語り、会場を笑わせた。「朝は日中よりも(雑用が舞い込まないので)コントロールしやすい。早朝は自分のものだ」とクックは早起きを愛する。
1日に届くメールは700~800通。一般顧客から直接届いた声などもここに含まれるが、アントレプレナーによるとその「大半」に、CEO自ら目を通しているという。クックは、「すべては読めないが、驚くほど多くのメールを読んでいる。顧客が何を感じ、何を考え、何をしているかを把握する手段になっている」と語る。

■仕事でもプライベートでも孤独を好む
昼どきになるとクックは、社内のカフェテリアで社員に交じって食事をとる。ジョブズであれば、傍らにはほぼ毎日、デザイン責任者のジョナサン・アイブ氏がいた。クックには特定の人物とランチを取る習慣はないようだ。
クックの場合、鶏肉とライスなどシンプルなものを好み、簡単に済ませるという。その代わりに一日中、栄養補助食品のエナジーバーをかじっている。
日が暮れ、UFOのようとも称されるシリコンバレーの巨大本社「アップル・パーク」のオフィスを出ると、その後を知る人は少ない。プライベートな時間を重視するクックは、独りサイクリングやロッククライミングを好み、ヨセミテ国立公園やザイオン国立公園を訪れるという。
一度、アリゾナ州のリゾート施設キャニオン・ランチで同伴者もなく、静かに食事をとり、iPadで読書に没頭する姿が目撃されたことがある。
■アップル社で繰り広げられる恐怖の会議
穏やかな朝の習慣とは裏腹に、会議室でのクックは別人だ。2020年、米経済紙のウォール・ストリート・ジャーナルが報じた社員たちの証言から、厳しいリーダーとしての一面が垣間見える。
元アップルのオペレーション担当幹部のジョー・サリバン氏は、クックとのやり取りを同紙にこう振り返る。「最初の質問は『今日何台生産した?』でした。
『1万台です』と答えるとクックは、『歩留まりは?』『98%です』。すると間髪を入れず、こう来ました。『98%か。では、残り2%が不良になったのはなぜ?』」
質問を通じて細部まで追求するスタイルは社内に波及し、全員がクック化していくのだという。クックは着任初日からそうだった。1998年、アップルに加わったその日、最初の会議は11時間に及んだ。
アントレプレナーによると、現在でも週次のオペレーション会議は5~6時間に及ぶことがあるといい、あまりの長さに「マラソン的」との声も漏れ聞こえる。
アップルのオンラインストアで責任者を務めたマイク・ジェーンズ氏はこう語る。「何時間経っても、質問は止まりません。『次のページ』と言いながら、また新しいエナジーバーを開けるんです」。ジェーンズ氏と同僚はこの日、MLBニューヨーク・メッツのチケットを持っていた。「言うまでもなく、試合は見逃しましたね」
■わずかなミスも許されない
社員たちは鋭い質問に恐怖し、試験前の学生さながらの準備体制で会議に臨むようになった。
納得のいく答えが返らなければ、クックはただ沈黙し、答えに窮したチームとの間に気まずい沈黙が降りる。会議室にはただひたすら、エナジーバーの包装を破る音だけが響く。
彼が求める水準に妥協はない。かつて日本向けのコンピューター25台が、誤って韓国に届いたことがある。iPhoneなら年間約2億台を出荷する企業で、たった25台の誤出荷だ。それでもクックは、「卓越(excellence)へのこだわりを失いつつある」と激怒した。
ミーティングでは発表者の準備が足りないと見るや、資料のページをめくりながら、「次!」の一言で切り捨てる。側近は、「泣いて退室した者もいる」と明かす。
冷酷なビジネスリーダーの顔を持つクック。やり方は違えど、アップルへの愛という意味では、ジョブズに劣らない。前任のジョブズの命が風前の灯火となったとき、彼は迷うことなく行動に出た。
膵臓がんを患ったジョブズは2009年1月頃になると、自宅のベッドから離れることも難しくなっていた。
転移した肝臓がんの副作用で腹水がたまり、腹部は腫れ上がっていた。迅速な肝臓移植が求められた。
■ジョブズから怒鳴られた“肝臓事件”
書籍『Becoming Steve Jobs(Becoming Steve Jobs ビジョナリーへの成長物語)』の抜粋を掲載した米ビジネス誌のファスト・カンパニーは、クックがジョブズを案じ、まず自ら血液検査を受けたと伝える。奇跡的に両者とも、同じ稀な血液型だと判明した。
クックはそのまま、ドナーが肝臓の一部を提供する「生体部分肝移植」に必要な検査をすべて済ませ、病院で入手したレポートを手に、シリコンバレー・パロアルトのジョブズ宅へ駆けつけた。肝臓の一部を提供したい、と申し出たのだ。ところがクックは、「言葉が出るか出ないかのうちに、一刀両断にされた」と振り返る。ジョブズは、「ノーだ。絶対にそんなことはさせない。絶対にしない」と言い切った。
迷いもなく拒絶されたからこそ、クックはジョブズの人間性を見た。「死が目前に迫っている人間に、健康な人間が生き残る方法を差し出したのです。それでも彼は、考慮に入れようともしなかった」
検査は済んでいる、リスクはないと食い下がっても、ジョブズは動じなかった。「『本気なのか?』とも、『考えてみる』とも言いませんでした。ベッドからがばっと起き上がって、『ノー、やらない!』と言い放ったのです」
13年間の付き合いでジョブズに怒鳴られたのは、この時を含めた4、5回だけだったと、クックは明かしている。
■ジョブズの模倣は絶対にしない
世を去ったジョブズは、クックにひとつの指針を残していた。「俺ならどうするかと考えるな。正しいことをやれ」
ウォール・ストリート・ジャーナルによれば、ジョブズがクックを後継に指名したのは、同氏の部門が「問題なくスムーズに機能し、チームワークを重視していた」からだったという。クックはアップルらしい斬新なコンセプトを着想する人物ではなく、現状の業務をスムーズに回す「運営屋」だ。「プロダクトの人間ではない」とジョブズみずから評した人物を、あえて後継に据えたのだ。
ジョブズは生前、工業デザインの巨匠ジョナサン・アイブ率いる社内のデザインチーム「ID」のスタジオに毎日通い詰めた。しかし、クックはほとんどデザインの現場に足を運ばない。
デザイン重視のアップルにあって異質にも思えるが、このスタイルもあえてなのだろう。2017年、母校アラバマ州オーバーン大学の壇上でクックはこう振り返っている。「彼(ジョブズ)を模倣しようとしないことが必要だとわかっていた。真似しようとすれば、惨めに失敗するだけだ。自分自身の道を切り開き、最高の自分にならなければならない」
ジョブズの言葉に忠実なクックだからこそ、模倣をやめた。だが、根底に流れる精神は同じだ。かつてアップルの研究開発(R&D)部門で4年間、人事を担ったクリス・ディーバー氏は、「アップルにとっては、漸進的な(順を追って徐々に起きる)進化こそが、革命なのです」と語る。
■「最高の自分であれ」を追求したから成功できた
すでに存在するものを軸に少しの魔法を加えるやり方は、CEOが交代した今も変わっていない。
使いにくい小さな物理キーボードを搭載したスマートフォン「ブラックベリー」が覇権を握っていた市場に、後発で乗り込んだiPhoneはタッチスクリーンを武器に攻め込み大成功を収めた。遡れば、コンピューターといえばコマンドの暗記が必須だった時代、80年代に産声を上げた直観的に使えるパソコン「マッキントッシュ(現Macシリーズ)」も同じだ。ジョブズが築いた方程式に則り、クックは最高の製品作りを続ける。
自ら課した「最高の自分であれ」との哲学を、クックはひとりの人間としても貫いた。2014年、iPhone 6の売り上げが好調で会社が安定していた時期を見計らい、幹部一人ひとりと面談して自身が同性愛者であることを打ち明けた上で、世間に対しても公表に踏み切った。良心に従いつつ、冷静に時機を見極め行動に移す。周囲はこの決断を、「クックらしさの真骨頂」と評している。
カリスマ創業者から事業を継いだ例では一般に、後継者が前任者の模倣に走って失敗するケースが後を絶たない。クックは「最高の自分であれ」を追求したからこそ、同じ轍は踏まなかった。ウォール・ストリート・ジャーナルは2020年、同氏が継いだアップルを、「史上最も収益性の高い事業承継の一つ」と評している。
■承継の成功と、ささやかれる停滞
実際、クック率いるアップルは、数字の上で圧倒的な成果を生み出している。
ウォール・ストリート・ジャーナルが2020年に報じた時点で、アップルの時価総額はクックが就任した2011年時点の3480億ドル(現在のレートで約52兆2000億円)から1兆9000億ドル(同約285兆円)へと5倍超に膨らんだ。売上高も利益も2倍以上に伸びている。
4月20日現在、時価総額はさらに上昇し、約3兆9700億ドル(同約630兆円)を記録。AIチップメーカーであるエヌビディア(NVIDIA)に次いで世界2位の座を占め、3位マイクロソフトを凌ぐ。
新体制の下、不安要素も皆無ではない。クックはジョブズが好んだ創造的な挑戦を避け、iPhoneを核としたエコシステムを着実に拡張しようと取り組んできた。
結果、スマートスピーカーのHomePodは、競合に約2年出遅れた。AIアシスタントの「Siri」にも進化の遅れが指摘される。元アップルのソフトウエアエンジニアのジョン・バーキー氏は、アップル・パークには「停滞と段階主義が蔓延している」と批判する。
クックの指揮の下、満を持して投入したARデバイス「Vision Pro」の売れ行きも芳しくないようだ。アップルは販売数を公表していないが、英フィナンシャル・タイムズ紙は市場調査会社IDCの推算を取りあげ、2025年第4四半期に全世界で4万5000台にとどまったと報じた。
■残されたものから、新しいもの創り出す
それでも市場調査会社大手のカウンターポイントによると、iPhoneは2025年通年でスマートフォンシェアの20%を握り、前年比10%増を記録。世界で2億4740万台を出荷したとIDCは推計している。
クックはiPhoneを中核とした事業モデルを発展させることで、すでにアップルが牙城とするエコシステムを着実に広げている。
クックが銀座で履いていたスニーカーを縫い上げた職人たちには、特別な来歴がある。
40~80代の女性15人からなる彼女らは、共同制作集団「刺し子ギャルズ」を名乗る。2011年の東日本大震災のあと、被災地から生まれた復興プロジェクトだ。用いるのは「刺し子」と呼ばれる日本の伝統技法。傷んだ布地を捨てずに一針一針縫い重ね、補修と同時に装飾を施していく。
フォーチュンによれば、彼女たちは1足におよそ30時間を費やし、量産品のスニーカーを唯一無二の作品に仕上げる。壊れたものを繕い、残されたものから新たな価値を引き出す。彼女たちがその営みを始めた2011年、太平洋の向こうではジョブズが世を去り、クックがアップルの再建を引き継いだ。
ジョブズもまた、この世に残すべきものを、次の受け手へと静かに託していた。晩年には、長年通い続けたシリコンバレーの寿司・懐石料理店「桂月」に親しい友人や家族を連れ、一人ひとりに別れを告げていたという。桂月の閉店を知ると、マネージャー兼シェフの佐久間俊雄氏をアップルに迎え入れるよう手配したと、アップルインサイダーが伝えている。ジョブズの死後、佐久間氏はアップルの社員食堂で、ジョブズが愛した料理を出し始めた。創業者が自ら興した会社の社員に遺した、最後の贈り物だった。
残されたものから何を創り出すか。クックはアップルを率いた15年間、その問いに向き合い続けた。ジョブズが遺した「俺ならどうするかと考えるな」の言葉を胸に、世界が期待する新作のあるべき姿について、今日も朝3時45分から思案をめぐらせる。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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