※本稿は、渡辺佑基『鳥は飛びながら眠る』(中公新書)の一部を再編集したものです。
■孤立した池に魚がいるのはなぜか
魚の多くは子育てをせず、夥しい卵を産みっぱなしにする。生まれた仔魚(しぎょ)は大方捕食されたりむなしく野垂れ死んだりするが、一部が逞しく生き残って成長し、やがて親になる。
哺乳類や鳥とは正反対の、しかしそれはそれで理に適った繁殖戦略である。世界中の海や川や池や湖にあまねく魚が住み着いているという事実が、戦略の正しさを雄弁に物語る。
「あまねく」と今言ったが、本当にそうだ。一見すると魚なぞいそうにない住宅地の溜池や山奥の孤立した池にも、ほぼ必ずコイやフナなどが泳ぐ。アフリカや南米の一部の地域では、毎年雨季にだけ形成される水たまりにすら、カダヤシ類という小型の熱帯魚が住み着く。
これらの魚は一体どこから来たのか。
なるほど幾匹かの開拓者が入り込みさえすれば、そこで世代が回るようになるのは理解できる。溜池のような異色の住処も、実はライバル不在の楽園であるかもしれない。
■「鳥が運ぶ」という有力説
だが問題は、開拓者がいかにして新地に至るかである。魚は陸を歩かず、空も飛ばない。
人の手によって放流された例もあろうが、それでは説明のつかぬ山奥の池の魚も無数にいる。
じゃあどうやって? これは頭の体操クイズなどではなく、れっきとした生態学のミステリーだ。
あ、わかった! という声が聞こえてきそうだ。犯人は鳥だ、と。
そう、それが有力な説である。すなわちカモやハクチョウなどの水鳥が、魚卵を体に付着させたまま池から池へと飛ぶことで、知らず知らずのうちに魚の生息地拡大に手を貸しているという説だ。水鳥は潜水して底を漁ったり、水面に浮かんで頭だけを水中に差し入れたりする。だから水草に産み付けられた魚卵がくちばし、脚、羽毛などに付着するのは想像に難くない。
いやそれどころか、いくら首を捻っても他の案が思い浮かばぬという声が大半だろう。実のところ、生物学や生態学の専門家でも本説を信じる向きは多い。意地悪な読者がおられれば、学校の生物の先生や博物館の学芸員をつかまえ、だしぬけに「なんで山奥の小さな池にまで魚がいるの?」と訊いてみてほしい。彼らは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、うーんと思考をめぐらせた末にポンと手を叩き、「あれだ、鳥だ。水鳥の体に魚卵がくっついて運ばれるんだよ」と答えてくれるはずだ。
■「水鳥の体に魚卵が付着して運ばれる説」
もちろん私もそう信じていた。最近になって一連の論文を読む前までは。
巷間(こうかん)言われる「水鳥の体に魚卵が付着して運ばれる説」に着目し、どれほどの科学的根拠があるのかを文献で網羅的に調べた研究がある。
すると驚くべし、水鳥やその他の野生動物の体に魚卵が付着することを報告した論文は、ただの一篇もなかった。
むろん報告がないから間違いとは言えない。だが興味深いことに、ミジンコなどの微小な甲殻類の卵が他の動物の体に付着し、運搬されることを示した論文は多数見つかった。ミジンコで報告があるのに、研究の一層盛んな魚でないというのは、一つの真実を衝いているように思われる。
繰り返しになるが、日本でブラックバス(オオクチバス)が多くの湖沼に放流されたように、人の手によって魚の生息場所が広げられた例は多い。それに現在はぽつんと孤立する池でも、過去には川と連結していた場合がある。だがしかし、その2つの可能性を除外できる池や沼にすら、魚は疑いなく住み着いている。
いったいどうやって?
■鳥の糞からの復活劇
話がいちどきに進展したのは、ブラジルのとある干潟(ひがた)においてであった。
植物の種子や昆虫の卵が鳥に食べられ、糞として排出された後、立派に発芽したり、孵化したりすることがある。移動能力の乏しい植物や昆虫が世代をまたいで遠くへ分散するのに、鳥の糞が一役買っている。
この現象を詳しく調べようと、研究チームがハクチョウの糞を野外で採取し、中身を精査したところ、意外なものを見つけた。魚卵である。それは先に述べた乾燥に強いカダヤシ類の卵で、驚いたことにまだ生きていた。
もしかしたらカダヤシ類の卵は、水鳥の体に付着するのではなく、水鳥に食べられ、糞として別の場所に落とされた後、不死鳥のごとく蘇(よみがえ)るのかもしれない。そう考えた研究チームは、次に実験を行った。
卵の大方は跡形もなく消化されたり、潰れて死んでいたりした。しかし――研究チームは会心の笑みを浮かべたに違いない――生きた丸い卵が5個だけ発見された。水槽に移して観察を続けると、3個で胚の発生が進み、そのうち1個は見事孵化して仔魚が産まれた。驚くべし、鳥に食べられて消化器官を通過し、糞として排出された魚卵から次の命が誕生したのだ。
■鳥の糞からの復活劇は「起こり得る」
650個中の5個だから、生存率は1%に満たず、99%の卵はお陀仏(だぶつ)になったことになる。けれども魚の繁殖戦略は本来そういう「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」作戦である。カダヤシ類のメスの産む夥しい卵のうち、ほんの一部でも無事に孵り、成長してくれれば御(おん)の字なのだ。
「鳥の糞からの復活劇」が自然界でどれほど起きているのかは、今のところわからない。だが、それが確かに起こり得ることを実証した意義は大きい。
では、カダヤシ類以外の魚ではどうなのか。孤立した池にも魚が住み着いているという生態学のミステリーは、鳥の糞で説明できるのか。
件のカダヤシ類の卵は、魚卵としては特殊である。硬くて厚い膜に覆われ、水の干上がる乾季をも生き抜く耐久力を持つ。だから鳥の消化器官を生きたまま通過することも、ある意味では納得がいく。
であるならば、今回の発見が世界中の生態系に敷衍できるか否かを判断するには、より平凡なタイプの魚卵を使った実験結果を待たねばならない。
■コイとフナの卵を使った実験
カダヤシ類の実験に感銘を受けたヨーロッパの研究チームが、今度はコイとフナの卵を使った実験を試みた。
出ました、コイとフナ。これらは移入のミステリーを象徴する存在であり、日本を含む東アジアでもヨーロッパでも、池という池、沼という沼、湖という湖に住み着く。低酸素に滅法強く、しかも雑食性なので、他の魚なら耐えられぬ淀(よど)んだ水でも暮らしていける。だが「移民一代目」がどうやって外から入り込むのかは謎のままだ。
彼らの卵もカダヤシ類のように、鳥の糞から奇跡の復活劇を遂げるのか。重要なことに、コイとフナの卵は硬い膜に覆われておらず、ぷちぷちとした平凡なタイプである。鳥に食べられたらあっさり消化されそうだし、実際、カモなどの水鳥は水草に産み付けられた卵を嬉嬉として食べる。
そう考えれば、カモに食べられたコイとフナの卵が消化器官を通過し、糞としてよその池や沼に落とされた後、不死のヒーローのごとく蘇って仔魚が産まれるなんて奇跡は、夢にも起きそうにない気がする。
■コイとフナでも糞の卵から仔魚が産まれた
机上でいくら思考をめぐらせても、しかし結論は出ない。実験あるのみだ。研究チームは8羽のカモと大量のコイの卵を用意し、1羽につき約500個、都合4000個の卵を食べさせ、後に糞を採取した。次いでフナの卵でも同様の実験を行った。
これほど単純明快な科学実験もそうはあるまい。見るべきポイントはただ一つ、生きた卵が糞から見つかるか否かである。ミステリーの解明に繋がる大きな期待と、徒労に終わる不安とが入り混じる複雑な気持ちで、研究チームは糞の中身をピンセットで選り分け、精査したことだろう。
そして見事、生きたコイの卵を8個、フナの卵を10個、それぞれ糞の中から見出した。水槽に入れて見守ると、一部は菌に侵されて死んだが、残りは正常な胚の発生を続け、やがて孵化してぴちぴちとした仔魚が産まれた。硬い膜を持たず、耐久力の乏しいコイとフナの卵ですら、水鳥に食べられて糞として排出された後、立派に孵り得ることが実証されたのである。
なるほど生存率は恐ろしく低い。4000個中の8~10個だから、わずか0.2%に過ぎず、1%未満のカダヤシ類のさらに下を行く。
■研究例は少ないが世界中で起きている可能性
しかしながら、大事なのは全体の産卵数だ。コイは一度に最大150万個、フナは最大40万個という莫大な卵をぽろぽろと産む。水鳥に食べられたうちの99.8%が消化されて命の灯(ともしび)が消えたとしても、わずかな残りから元気な仔魚が孵るかもしれない。池から池へと移動する水鳥から、競合相手の少ない新天地に糞まみれの卵が落とされ、そこから奇跡の復活劇が起きるかもしれない。
そうなればコイとフナの作戦勝ちだ。己の遺伝子をできるだけ多く後世に残すという、生物としての至上の目的を首尾よく達成したのだから。
「鳥の糞からの復活劇」はまだ研究例が少なく不明な点が多いものの、コイとフナのみならずいろいろな魚で、また世界中で起きている可能性がある。住宅地の溜池や、山奥の孤立した池や、雨季にだけ形成される水たまりにすら魚が泳ぐという生態学のミステリーは、本説によって説明がつく。
それにしても、0.2%の可能性にかけて100万の卵を産むとは、なんて大胆な、しかし理に適った作戦だろう。魚という生物は私たち以上に数字に精通している気がしなくもない。
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渡辺 佑基(わたなべ・ゆうき)
総合研究大学院大学統合進化科学研究センター教授
1978年生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修。国立極地研究所准教授を経て現職。野生動物に小型の記録計を取り付けるバイオロギングという手法で魚類、海鳥、海生哺乳類の生態を調べている。東京大学総長賞、山崎賞受賞。『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』で第68回毎日出版文化賞受賞。他の著書に『進化の法則は北極のサメが知っていた』(河出新書)など。
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(総合研究大学院大学統合進化科学研究センター教授 渡辺 佑基)

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