■軍事費よりも急増する“社会保障費”
中国の国家予算が発表されると、必ず注目されるのが「国防予算の急増」だ。東アジアのミリタリーバランスの変動、さらには台湾有事への懸念がある中で注目されるのは当然の話ではある。中国経済が減速しても、国防予算は膨張が続いていることは不気味である。
ただ、国防予算のニュースだけに注目していると、中国が他のすべてをかなぐり捨てて軍備強化に邁進しているかのように思えてしまうが、それは誤解だ。図表1を見てほしい。
なんと、国防予算よりも社会保障費(予算案の社会保障・雇用支出と衛生健康支出の合計)のほうがはるかに多く、約3.7倍に達している。絶対額だけではない。増加率を見ると、直近の増加率は国防予算が上だが、2010年比で見ると、社会保障費は約4.7倍で、国防予算の約3.4倍を大きく上回っている。
社会保障費が国家予算における最大の支出項目となり財政を圧迫している……という意味では日本も中国もよく似ている。近年は「社会保障目当てに日本に移住する中国人」という記事を目にするが、実は中国の社会保障も拡充されているのだ。
と、この図を見ているだけで、台湾有事に邁進する軍事国家・中国というイメージが崩れていくようだ。果たして、中国の社会保障はどんな状況なのだろうか。社会保障という視点から見た中国。このテーマについて、中国社会保障制度に詳しいニッセイ基礎研究所の片山ゆき氏に話を聞いた。
■胡錦濤氏が敷いたレール
――国民の生活よりも国家の威信が大事。そんなイメージを持たれている中国ですが、まじめに数字を見てみると、社会保障費が国防予算以上にがんがん伸びているという。意外です。
【片山】中国の国防費は国の予算だけですべてではなく、別の資金源もあるでしょう。ただ、少なくとも国家予算上では社会保障費のほうがはるかに多いことは事実です。
社会保障が未整備の途上国という、古い中国を知っている人からすると意外ですよね。
公務員や国有企業従業員は社会主義時代の社会保障を受けられていましたが、民間企業従業員や農民に対する制度の整備はずいぶん遅れていました。民間企業正社員は1997年の国務院の決定によって、「都市職工基本養老保険」(日本の厚生年金に相当)への加入が可能となりましたが、自営業者や農民は手つかず。
それが胡錦濤政権期(2002~2012年)に大きく転換し、現在は「城郷居民基本養老保険」として運用されています。現在は10億人以上が年金に加入している状況です。習近平政権(2012年~)は新たな社会保障の拡充に積極的な印象はありませんが、胡錦濤時代に敷かれたレールに沿って制度を運用していくと、高齢化に伴って年金の支払いが増えていき、それに伴って財政支出も増えていく。結果として、先ほどのような社会保障費の膨張につながったわけです。
――なるほど。胡錦濤前総書記というと、江沢民と習近平の間にいた指導力のないトップというイメージが強いですが、農業税の廃止など都市と農村の格差是正ではかなり大事な仕事をしています。
【片山】一般的には仕事ができなかった人というイメージがあるようですが、実は社会保障業界関係者の間では評価が高いんです。
■日本と中国で異なる社会保障
――高齢化で社会保障費が高騰、財政が圧迫される。
【片山】総額だけでは分からない、大きな違いがあります。日本の財政支出は年金と医療費がだいたい同規模なのですが、中国は年金が大半を占めています。
というのも、中国は医療保険の支出をコントロールしているため、給付が抑制されているのです。長期の入院治療においても保険給付には上限があります。さらに大病院で治療を受けると自己負担率が上がり、小さな病院だと低いという仕組みもあります。どの程度のお金を支払って、どの水準の治療を受けるのか、自分で判断する必要があるのです。
健康保険に加入してさえいれば、誰でも低額で高水準の治療を受けられるという手厚い給付を受けられるのが日本。中国はそこまで手厚い給付はない代わりに、財政支出が相対的に少なく、持続可能な仕組みになっています。
■不正診療を防ぐ強烈な仕組み
――日本でも高額療養費制度の改革が始まっています。コスト削減派からは「中国に学べ」という声が上がっても不思議じゃなさそうな。デジタル国家・中国ならではの取り組みとしては、過剰医療を規制するデジタル・ソリューション「中国医保智能監管両庫」(中国医療保険・スマート監督ダブル・データベース)も強烈な仕組みですよね。
【片山】医療データベースについては医療水準切り下げという見方もあるかもしれませんが、過剰診療や不正診療抑制の先駆的な取り組みという見方もあり、大いに注目されています。
――確かに中国人にも「医者は信用ならん。不必要な薬をドカドカ出して、庶民の金をむしりとっていく」という不信感は強いですよね。
【片山】どういう医療、保険制度が理想だと考えるかは国・地域によっても違いますし、人それぞれという側面はあります。現在の中国の医療は日本ほどではないにせよ、一定の医療サービスは受けられ、かつ制度の持続可能性が高いという点では評価できます。
■公務員と農民の年金格差は「29倍」
――医療保険はコントロールしているが、年金は税金が注ぎ込まれている、と。
【片山】問題は年金です。中国には3つの年金があります。
第一に企業従業員が加入する「都市職工基本養老保険」。日本の厚生年金に近い制度です。
第二の年金が、先ほど紹介した、自営業者や農民を対象とした「城郷居民基本養老保険」。日本の国民年金に近い制度です。作ったのはいいものの、給付額は雀の涙で、平均すると月223元(約5100円)。これではさすがに暮らしが成り立ちません。
差別しているわけではなく、単純に保険料をほとんど支払っていないことが要因です。被保険者が掛け金を選べる制度なのですが、多くの人が年100元(約2300円)などの最低額を選択し、給付が少なくなってしまっています。実はこれでも中国政府は税金で補填していて、税金の補填は約6割。半分以上を税金で補っているのですが、それでも雀の涙のような年金しか支払えません。
5億人以上が加入する、3つの年金では加入者数最多の保険ですが、老後の暮らしを支えるという意味ではきわめて不十分なのです。
そして、第三の年金が公務員を対象とした機関事業単位基本養老保険。
■習近平でも手を付けられない
――すさまじい格差がありますね。公務員は恵まれている?
【片山】公務員の保険は2014年に企業従業員が加入する「都市職工基本養老保険」と統合されました。それまでは保険料を支払わずとも年金が支給されていたので、是正されたとみることもできます。ただ、あまりに急激な変化は問題ということで特別な加算措置が設けられた結果、他の国民と比べるとかなり手厚い年金をもらっています。
――年金の額も違いますが、税金の支援もすさまじいというか。5億人が加入する自営業者・農民向けの年金に税金補填は4346億元(約10兆円)、一方で6000万人しか加入していない公務員向け年金の補填は6673億元(約15兆3000億円)。不公平すぎるような。
【片山】自営業者、農民の保険料を引き上げる、公務員の年金給付を減らす。この改革は必須ですが、痛みを伴うだけになかなか着手できません。
――痛みを伴う改革はやりづらい。独裁国家でも、トップの好き勝手に改革できるわけではないわけですね。
■年金破綻は起こりえるのか
――社会保障費が膨張し、国家財政を圧迫している。となると、日本と同じく、年金崩壊が懸念されます。以前には「2035年に中国の年金が枯渇」とも騒がれました。
【片山】中国社会科学院世界社会保障研究センターのレポート『中国養老金清算報告2019~2050』でのシナリオですね。高齢化が進むなかで、年金財政は悪化。2028年に支払い額が掛け金を上回る赤字となり、2035年には累積剰余金がゼロになるとの見通しです。
これが「年金枯渇」という形でメディアでとりあげられたのですが、強すぎる表現です。「寿命の延びなどの影響で現行の制度設計には課題があり、修正する必要が生じた」……という落ち着いた理解が必要です。
実際に、レポート『中国養老金清算報告』の改定版では、シナリオは大きく変わっています。定年延長などの改革によって、赤字は2036年、剰余金ゼロは2044年へと後ろ倒しになりました。
――まだ中途半端な延命策というか。習近平総書記が自分の任期で破綻しなければ良し、「次のトップに解決を任せた」と先延ばししているようにも見えます。
【片山】確かに、問題がすべて解決したわけではありません。高齢化が進展する中で、社会保障を維持することは世界中のどの国も苦しむ難題で、中国も年金基金の投資運用を改善するなど別の形で、さらなる解決を図ることになるでしょう。ただ、「枯渇」「崩壊」と報じられることが多いので意外に思われるかもしれませんが、他国と比較すれば中国の社会保障が破綻する可能性は低いと見ています。
■ヨーロッパと日本の“中間の仕組み”
――素朴な疑問ですが、日本と中国、どっちの社会保障制度がよくできているのでしょうか。
【片山】理想の社会保障制度は一概には言えません。その国の伝統・文化や、それまで培われた相互扶助の概念などによって異なってくるからです。ただ、民間保険会社傘下の企業に勤める従業員という目から見ると、中国の医療保険はよくできた設計に見えます。日本のような手厚い給付ではないが、持続可能性は高い。
中国の改革開放をリードした、かつての最高指導者、故・鄧小平は1992年に欧州の福祉国家が財政的に立ちゆかなくなっていると指摘し、家庭や家族による扶養の重要性を指摘しています。日本や欧州のような福祉国家ほど手厚い給付はないが、アメリカのような市場原理でもない。その中間に落とし所を求めたのが中国の社会保障です。
――なるほど、持続可能性という意味では、中国の社会保障には評価すべき点が大きいということですね。一方でその弊害がないのでしょうか。
【片山】国の支援だけでは老後の生活や緊急時の医療費支出に不安がある。なので自己防衛として一般国民は貯蓄を増やし、結果として内需を下げているという側面が指摘されています。
■取材後記――年金問題は「国民の貯金頼み」
人民の生活をないがしろにしつつ、軍備増強にひた走る中国。
片山さんの話からうかびあがる実像はそうしたステレオタイプとはかなり違う。国防予算の約3.7倍という膨大な予算を社会保障に注ぎ込みつつも、欧州のような福祉国家は目指さず、ほどほどの国家支援とほどほどの自助努力で、持続可能な社会保障を目指しているのだ。
体にガタがきている中年の筆者としては日本の手厚い社会保障はありがたいばかりだが、財政面から考えて「中国式のコスト抑制を学ぶべき」との声が上がっても不思議ではなさそうだ。
その中国のあり方も正解かどうかは怪しい。中国経済の課題は消費不足だが、社会保障が手薄なために国民が消費に資金を回せないことは主な要因の一つ。世界銀行の「GDPに占める家計最終消費支出比率」を見ると、中国は40%。日本の55%、米国の68%と比較して明らかに低い。
中長期的に考えると、この比率を上げることが中国の成長にとって不可欠だ。そのための処方せんとして、中国内外のエコノミストたちは社会保障の拡充を提唱しているが、その案を採用すると今度は社会保障の持続可能性が低下する。
中国の社会保障が「持続可能」である最大の理由は、国民が国に頼らず自分で貯め込んでいるからだ。それが消費不足という経済問題を生んでいる。福祉国家の財政危機を回避した先には、別の罠が待ち構えていた。その落とし穴に、中国はすでにはまってしまっている。
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高口 康太(たかぐち・こうた)
ジャーナリスト/千葉大学客員教授
1976年生まれ。千葉県出身。千葉大学人文社会科学研究科博士課程単位取得退学。中国経済、中国企業、在日中国人社会を中心に『週刊ダイヤモンド』『Wedge』『ニューズウィーク日本版』「NewsPicks」などのメディアに寄稿している。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか』(祥伝社新書)、『現代中国経営者列伝』(星海社新書)、『ピークアウトする中国』(文春新書)、編著に『中国S級B級論』(さくら舎)、共著に『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA)などがある。
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片山 ゆき(かたやま・ゆき)
ニッセイ基礎研究所 保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任
北京師範大学、中国人民大学へ留学。その後、JETRO北京センター(中国日本商会から出向)を経て、ニッセイ基礎研究所に入所。中国の社会保障制度・民間保険を研究。著書『十四億人の安寧 デジタル国家中国の社会保障戦略』(慶應義塾大学出版会、2024年)は第15回日本保険学会賞を受賞。
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(ジャーナリスト/千葉大学客員教授 高口 康太、ニッセイ基礎研究所 保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任 片山 ゆき)

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