―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが”アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。
今回訪れたのは、神保町駅近くの裏路地にある地下喫茶店『かふぇ あたらくしあ』。古書店の街に馴染めない著者が不意にホットドッグを求めて迷い込んだ、著者の願いは今日も「すこしドラマになってくれ」

急募「古き良き」の楽しみ方【神保町駅・かふぇ あたらくしあ(喫茶店)】vol.28

 相変わらず、清潔と不潔の境界、のようなものに興味がある。

 ある人は吊り革すら掴むのが嫌だと言い、またある人は公共トイレのウォシュレットを使いたくないと言う。私はどちらも気にせず使う。

 しかし、ブックオフや古書店に並ぶ本には、ほんの少し、抵抗がある。前に読んでいた人の気配を感じて、その人がものすごく汚い部屋やトイレで読んでいたらどうしよう、などと考えてしまうことがある。すると、その場でスマホを開き、手に持っている古本の新刊の値段を調べ、定価で買えるなら割高でも新刊を選んでしまう。そんな手間も面倒くさくて、いつも新刊書店ばかり通ってしまう。

 だから、神保町が古書店の街と言われたところで、実はあまり惹かれない。

 小説を書くようになってから、よく出版社に呼び出され、ついでに神保町を歩くことも増えた。だが古書店に入ってみても、店主から「お前はどうせ買わんやろ」みたいな顔をされている気がして、そそくさと退散してしまう。

 古き良きものの価値を、きちんと理解できる大人になりたい。
どうしても「綺麗で新しいもの」に安心感を覚えてしまう。情けない話である。

 秋。ずらりと並んだ古書店に馴染めず、疎外感を覚えながら神保町の街を歩いていると、不意にホットドッグが食べたくなって、Googleマップで検索をかけた。

 人は不意に、ホットドッグを食べたくなるときがある。そうして辿り着いたのが、裏路地のビルの地下にある「かふぇ あたらくしあ」だった。

 扉を開けると、最初に音が飛び込む。厚みを持ったクラシック音楽が鳴り響いている。レコードやアンティーク家具、絵画に囲まれた店内は、テーブルの間隔が広く取られているだけでなく、その向きも一方向に定められていないため、良い意味で雑多な印象があり、どこか秘密基地感がある。

 案内された席に座って、注文を済ませ、店内を見回す。「古き良き」の空気を全面に醸す、蓄音機の姿が目に入る。

 1926年製クレデンザ蓄音機と、1912年製シレナ蓄音機。


 自分が生まれるより60年以上前に作られた蓄音機が、今も現役で動いているという。

 あまりに「古き良き」すぎて、その音を説明できる知識も、語彙も、魅力の捉え方もよくわからない。とにかく、何かが良い(らしい)。

 注文したホットドッグとコーヒーが運ばれてくる。カリカリのフランスパンにソーセージとレタスを挟んだシンプルなものだが、ソーセージにかかっているケチャップとカレーパウダーの組み合わせは、ベルリンのソウルフード「カリーヴルスト」と呼ばれるものらしい。美味い。コーヒーとの組み合わせも良い。

 このコーヒーもまた、店主が強いこだわりで選出した、いくつかのシングルオリジンのうちの一つである、ブラジルのシティオ・ダ・トーレを選んだ。選んでおきながら、その豆だけが持つ魅力を言葉にできず、またしても「美味い」にとどまる。

「言語化力」という言葉を胡散臭く思っているし、今も好きではない。しかし、こういう場面に遭遇して、改めて実感することがある。

 問題は、言葉にするより手前、「古き良き」を理解できない感性や知識の少なさ、そしてこの如何ともしがたいバカ舌のせいなのだ。


 べらべらと語ることはできるが、それでは薄っぺらさが露呈する。その前に、もう少し人としての厚みを持ったらどうだ?

 古い蓄音機から流れる音が、そう語りかけてくる気がして、私は急いでホットドッグを頬張った。

神保町の地下喫茶店『かふぇ あたらくしあ』で出会った、192...の画像はこちら >>
<文/カツセマサヒコ 挿絵/小指>

―[すこしドラマになってくれ~いつだってアウェイな東京の歩き方]―

【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
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