かつて世界中の海を支配した「海洋国家」イギリスが衰退の一途をたどっている。評論家の白川司さんは「低成長、生産性の停滞、移民問題、公共サービスの劣化といった国家的課題を解決できておらず、政権は迷走を続けている」という――。

■ホルムズ海峡封鎖でも存在感ゼロ
イギリスは海を支配することで世界を動かした国だった。ロイヤル・ネイビーが海上交通路を守り、ロイズが海上リスクを引き受け、シティが世界の資本を動かす。この軍事、保険、金融の三位一体こそが、大英帝国の本当の力だった。
ところが、イラン紛争によってホルムズ海峡が危機に陥ったとき、そのイギリスはもはや主役ではなかった。世界の石油とLNG輸送の大動脈であるホルムズ海峡で航行リスクが急騰し、船舶保険料は跳ね上がり、海運会社は通航を控えた。
イギリスの保険業界は「保険そのものが消えたわけではない」と説明しているが、戦争リスク保険の条件は厳格化し、保険料も急上昇した。つまり、市場はホルムズ海峡を「通常の商業航路」とはみなさなくなったのである。
これは、かつて7つの海を支配した国が、世界の最重要海峡の一つで主導権を発揮できなくなったことを意味する。
ホルムズ危機は、世界トップの海洋国家であり続けようとしているイギリスが、それを支える軍事力、金融力、保険市場、海外拠点、国民統合のすべてにおいて力を失い、大きく凋落したことを露わにしたのだ。
■世界に誇った「ロイヤル・ネイビー」が…
ホルムズ危機でまず問われたのは、「ロイヤル・ネイビー」、つまりイギリス海軍の実力だった。
イギリス海軍は長い伝統を有し、世界から仰ぎ見られてきた海軍である。かつては7つの海を支配し、世界各地の海峡、港湾、植民地、通商路に影響力を及ぼしてきた。
世界の海のルールはイギリス海軍が作ってきた。
だが、現在のロイヤル・ネイビーは、もはやルール作りを主導できるような海軍ではない。
ウィキペディアの現役艦艇リスト(2025年12月時点)によれば、イギリス海軍のフリゲートと駆逐艦の合計は13隻にすぎない。その内訳は、フリゲート7隻、駆逐艦6隻である。2000年にはこの種の中核水上戦闘艦が32隻あった。2010年の国防見直し後でも19隻だった。それが今や13隻にまで縮小している(ジョン・ヒーリー防衛大臣が3月のラジオ番組で「17隻ある」と言って炎上している)。
イギリスは空母も有しており、原子力潜水艦も持ち、核抑止力も維持しており、現在も高い軍事力と防衛力を有していると言っていいだろう。だが、重要海峡で商船を護衛し、危機に即応し、世界規模で継続的に海上交通路を守るという意味では、艦隊規模は十分であるとは言えなくなっている。
■軍事、金融、保険市場が連携できず
そう言える根拠が、ホルムズ危機におけるイギリス保険組合ロイズの態度である。紛争が起きている時であってもタンカーへの保険を担保することで海洋秩序を保ってきたロイズが、今回のホルムズ危機においては、実質的にその一部を拒否したのである。
ロイズは1つの保険会社ではなく、ロンドンを中心とする保険市場である「ロイズ市場協会」のことを指している。
ホルムズ危機をめぐって、ロイズは「戦争保険はなお利用可能であり、通航減少の主因は保険の欠如ではなく安全上の懸念だ」と説明している。
しかしながら、戦争リスク保険料は急騰し、通航条件は厳格化しており、保険市場は「この海は安全に通れる」とは判断しなかったのである。海軍が航路の安全を十分に保証できないとき、保険市場はリスクを引き受けるのではなく、価格に転嫁する。
かつてのイギリスは、ロイヤル・ネイビーが海を守り、ロイズがその海のリスクを引き受け、シティが貿易金融を支えた。ところが現在は、海軍が十分に守れない海を、ロンドンの保険市場も簡単には保証できなくなっている。ホルムズ危機は、ロイヤル・ネイビーの衰退を、保険市場が価格で可視化した事件だった。
■新しい「英国病」を作ったサッチャー
イギリスの衰退は、軍事だけの問題ではない。その根には、経済モデルの行き詰まりがある。
1970年代のイギリスは「英国病」と呼ばれる停滞に苦しんだ。その原因は労働組合の強すぎる影響力、国有企業の非効率、インフレ、財政悪化、産業競争力の低下など多様だった。
そんな危機に登場したのが、「鉄の女」ことマーガレット・サッチャーだった。
サッチャー首相は、民営化、規制緩和、労組改革、金融自由化によって、大きな反発をはねのけて英国病を退治した。
イギリスは再び市場経済の活力を取り戻し、シティは国際金融の中心として復活した。
だが、その成功モデルの継続が新しい病を生んでしまう。金融とサービス業は強くなる一方で、製造業と地方経済は痩せ細ったのだ。国家は効率化されたが、公共サービスの基盤は弱くなった。労働市場は柔軟になりイギリス企業は生産性を取り戻したが、総合的な国力を左右する中間層の安定が失われた。
「サッチャー改革」という劇薬によって英国病は克服されたものの、あまりに長く継続しているうちに、今度は「金融に強く、実体経済に弱い」という新たな「英国病」を作ってしまったのである。
■EU離脱後も国民の生活は楽にならない
これが明確に露呈したのは、2008年の金融危機以降だ。英財政研究所は、イギリスでは金融危機以降、所得と生産性の伸びが歴史的に弱く、低投資、政策ミス、政治的不安定、ブレグジット(イギリスEU離脱)が成長を妨げてきたと分析している。
ブレグジットも、この文脈で見るべきである。EU離脱は、主権回復の試みだった。しかし、主権を取り戻しても、成長力が戻るわけではなかった。英国予算責任局(OBR)は、EU離脱によって英国の輸出入量は長期的にEU残留時より15%低くなり、その結果として潜在生産性が4%低下するという前提を置いている。

名目賃金の伸びは日本より高いものの、2022年には物価上昇率が最高11.1%に達するほどの高インフレに見舞われ、実質賃金は一時マイナスに転じた。
ブレグジットを主導したボリス・ジョンソン首相は、コロナ禍での「パーティーゲート(Partygate)」などの不祥事で党内支持を失い、2022年に辞任した。これは「ブレグジットによってイギリスを再生する」という物語の挫折だった。その後も「サッチャリズムの継続」によって立て直しに失敗し続けた。
その後を継いだ労働党のスターマー政権は、サッチャリズムで疲弊したイギリスを「癒やす」政権として誕生した。だが、保守党の14年政権が積み残した低成長、生産性停滞、財政制約、移民問題、公共サービスの劣化などについて根本的に手を付ける様子はなく、さらなる迷走を続けている。
■ロンドンよりアメリカを選ぶ成長企業
イギリス金融の中枢にして、ヨーロッパ最大の金融ハブであるシティも、ブレグジットによって輝きを失いつつある。もちろん、国際金融インフラとしてのロンドンはいまだに圧倒的に強い。Global Financial Centres Index 38(2025年9月発表)では、ニューヨークが首位、ロンドンが2位、香港が3位、シンガポールが4位であり、世界金融センターの最上位圏にいる。
シティ・オブ・ロンドンの資料によれば、イギリスは2024年も金融サービスの純輸出で世界最大級の地位を維持し、金融サービス輸出は1227億ポンド、金融サービスの貿易黒字は926億ポンドに達している。外国為替、保険、国際銀行業務、法務、金融サービス輸出では、ロンドンは今も世界の中枢である。
だが、株式市場としてのロンドンは明らかに勢いを失い、ロイターによれば、有望なベンチャーがロンドン上場を取りやめたり、国際企業が主たる上場先を海外へ移すなどの事例が増えているという。
たとえば、イギリス発のフィンテック企業ワイズが、主たる上場先をアメリカへ移す方針である。
■多文化主義で「イスラム化」が加速
イギリスは経済力と軍事力の衰退とともに、社会的な結束力も失いつつある。その象徴が「イギリスのイスラム化」だ。これは、イスラム教徒が増えたこと自体というより、イギリス政府がこれまでの伝統を軽んじて「多文化主義」への希求で国家をまとめることを柱にしている点だ。
2021年国勢調査では、イングランドとウェールズでキリスト教徒は46.2%となり、初めて人口の半数を下回る一方、イスラム教徒は390万人と人口比6.5%にまで増えている。年齢構成を見ると、キリスト教徒の中央値年齢は51歳、イスラム教徒は27歳であり、若い層に増えている。
「シャリア法」をめぐる論争もイギリス社会を揺るがした。2008年には当時のカンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズが、イギリスでイスラム法の一部を認めることは「避けがたい」と受け取られる発言をし、大きな論争になった。もっとも、イギリス政府が設置した第三者評価では、シャリア評議会には民事法上の法的地位も拘束力もなく、国内法が優越すると明確に整理されているが。
キリスト教から派生した穏健なイギリス国教によってまとまっていたイギリス社会の内側から、イスラム法の圧力が生じている。このことは、多くのイギリス国民に静かな反発を生んでおり、「右派ポピュリスト政党」と称されるリフォームUKの躍進には、この圧力の存在があると考えられる。
■1年間で非EU圏移民が38万人流入
ブレグジットも、このことを増長する役目を担っている。
ブレグジット運動では移民問題が大きな争点となったが、そこでは2016年にトルコがEUに加盟するかのような訴えが離脱派の宣伝で使われ、ムスリム移民拡大への不安を刺激したことが大きかった。
ところが、ブレグジットが実施されると、イギリスからはEU市民が流出し、非EU圏からの移民が相対的に大きくなっていく。イギリス国家統計局(ONS)によれば、2025年6月までの1年間で、非EU圏国籍者の純移民はプラス38万3000人だった一方、EU圏国籍者の純移民はマイナス7万人だった。
ブレグジットは移民を減らすための政治運動でもあったが、実際には東欧を中心とするキリスト教系のEU移民を減らし、非EU圏からの移民への依存を高める結果になった。イギリス人が問題視した欧州からの移民は減ったが、結果的にムスリム移民を増大させて、イギリス社会の宗教・文化的多様化はむしろ進んだ。
■「海洋国家」の地位から転がり落ちた瞬間
イギリスが海洋国家として衰退していく経過を見る際に重要なのが、1997年の香港返還だ。香港返還はイギリス衰退の直接原因ではないものの、イギリスがアジアの戦略秩序を主導する帝国ではなくなったことを可視化した出来事だった。
香港はアジアにおける金融、法制度、貿易、海上交通のハブである。ロンドンと香港は、イギリスがアジアに影響力を残すための両翼として機能していた。
より深刻だったのは返還後だ。香港国家安全維持法が導入されて、民主派議員の資格を剥奪した際、イギリス政府は共同宣言違反と主張するだけで、約束が反故になるのをただ手をこまぬいて見守るしかなかった。
インド洋にあるチャゴス諸島のモーリシャス返還も同様だ。イギリスは2025年5月、インド洋の戦略的要衝であるチャゴス諸島の主権をモーリシャスに移す一方、ディエゴガルシアの英米軍事基地を少なくとも99年間維持する合意に署名した。
英米共同基地を維持するための方策ではあったが、これはイギリスがインド洋の要衝を単独で保持できなくなったことも意味する。
2026年4月にこの合意が事実上停止された。CNNによれば、トランプ大統領が「大愚策だ」「ディエゴガルシアを渡すな」と繰り返し批判し、アメリカの支持が得られず、イギリスはチャゴス諸島返還合意を停止したのである。イギリス政府はチャゴス諸島にあるディエゴガルシア基地を維持するためだけに返還しようとしており、アメリカ頼みなのは明らかだ。
■「アジアの海洋国家」日本はどうなる?
イギリスは自国の海外領土を単独で管理できなくなっているほどに海軍力を失っており、香港を守れず、チャゴスを主権として維持できず、ホルムズを単独で開けない状態だ。
ここに、世界一の海洋国家だったイギリスの実態がある。もちろん、イギリスはいまだに世界に冠たるロイヤル・ネイビーを有し、ロイズを管理し、AUKUSやNATOなどの国際枠組みを牽引している。GCAP(次世代戦闘機開発)では日本、イタリアと次世代戦闘機開発を進め、なお高度な防衛産業を維持している。
ただ、単独でこれまでの安全保障システムを維持する力は失っており、その役目は徐々にアメリカに移りつつある。
シティはある水準の強さを維持しているものの、成長企業を引きつける株式市場としてはアメリカに及ばなくなりつつある。それとは対照的に、日本市場は企業統治改革や資本効率改善への期待によって、海外投資家から再評価され始めている。まだシティに迫っているというレベルではないものの、勢いという点では日本が目立っている。
ホルムズ危機で露呈したのは、かつてのイギリスモデルが限界に来ている事実だ。海のルール作りをしてきた国が衰退して、次に誰がルールを作るのか。アメリカがその役割を担いつつあるが、そこに中国が割って入ろうとしているのは言うまでもない。
そこで、アジアを代表する海洋国家である日本が、どういった役割を果たしうるか。それこそが、ホルムズ危機がわれわれ日本人に突きつけている大きな課題である。

----------

白川 司(しらかわ・つかさ)

評論家・千代田区議会議員

国際政治からアイドル論まで幅広いフィールドで活躍。『月刊WiLL』にて「Non-Fake News」を連載、YouTubeチャンネル「デイリーWiLL」のレギュラーコメンテーター。メルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評。著書に『14歳からのアイドル論』(青林堂)、『日本学術会議の研究』『議論の掟』(ワック)ほか。

----------

(評論家・千代田区議会議員 白川 司)
編集部おすすめ