■「三枚舌外交」の深刻さが薄まっている
イギリスの歴史の教科書は、紙面の都合や中学生向けという対象年齢を考慮しても、記述によってはものごとの深刻さがやや矮小化されているきらいがあります。その最たる例が、現代のパレスチナ問題にまで続く「三枚舌外交」についての説明です。
三枚舌外交とは、第一次世界大戦中にイギリスが行った、互いに矛盾する三つの約束のことです。
1 フサイン=マクマホン協定(1915年):アラブ人に対し、パレスチナを含むアラブ国家の独立を約束
2 バルフォア宣言(1917年):ユダヤ人に対し、パレスチナでの「民族的郷土」すなわちユダヤ人国家の建設を支援すると約束
3 サイクス=ピコ協定(1916年):フランスと密約を結び、戦後パレスチナ地域を英仏両国で分割することを決定
これが、現在のパレスチナ問題まで続く紛争の火種となった、極めて重大な外交上の背信行為です。同じ土地の権利を三つの異なる勢力に約束したこの行為は、その後100年以上にわたって中東を苦しめる紛争の根源となりました。
■政府の失策は「感傷的な物語」に
しかし、この教科書はこの重大な問題を、イラク建国の母とも呼ばれるガートルード・ベルという一人の女性を中心とした物語的な形に編成しています。
もちろん、どんな集団とどのような約束を取り付けたかについては、ある程度丁寧に紹介されています。しかし、この章のタイトルは「ガートルードがアラブ人に抱いた夢を助け、そして妨げたのは何だったのか?」なのです。
つまり、この問題は国家的な背信行為という文脈から切り離され、彼女個人の「夢」の実現いかんという話に落とし込まれています。章の終わりも、彼女が睡眠薬を大量に飲んで自殺したことを紹介して、こう締めくくられています。
「ガートルードは、中東のアラブ諸国が安定した平和になることをいつも夢見ていました。残念ながら、彼女の死後、これは決して実現されそうにないと思われます」
この結末は、どこか人ごとのような印象を与えます。
現在もなお続くパレスチナ紛争、イスラエルとアラブ諸国の対立、そして数えきれない犠牲者――これらの深刻さが、この物語的な構成によって相対的に薄められてしまっている感は否めません。
■エモい物語になってしまった3つの理由
では、なぜこのような物語的構成を採用したのでしょうか。いくつかの可能性が考えられます。
第一に、中学生という対象年齢を考慮した教育的配慮です。複雑な国際関係や外交政策の矛盾を理解するのは難しいため、一人の人物に焦点を当てることで理解しやすくしたという側面があるでしょう。
第二に、「善意の個人」と「システムの問題」を切り分けることで、批判の矛先を分散させる効果があります。
ガートルード・ベル個人は中東の平和を願っていたが、イギリス政府の政策によって妨げられた――このような構図にすることで、問題を「システムの欠陥」として提示し、個人(ひいては読者であるイギリスの生徒たち)の罪悪感を軽減しているとも解釈できます。
第三に、歴史を「物語」として提示することで、生徒の興味を引きやすくするという実践的な目的もあるでしょう。抽象的な外交政策よりも、一人の女性の人生のほうが感情移入しやすく、記憶に残りやすいのは確かです。
しかし、いずれの理由があったとしても、結果として国家の責任が個人の悲劇へと矮小化されてしまっているという批判は免れないでしょう。
■「アボリジニの虐殺」も書かれていない
ここまで読むと、この教科書は自国の負の歴史に対して中途半端な態度を取っているように見えるかもしれません。
その一端は、教科書の最後の章に現れています。
最後の章には、教科書を使用している子どもたちに対して、「オーストラリアの歴史について書かないのはなぜか」など、イギリス史(それも負の側面)を語るうえで欠かせないトピックが扱われていないことをあえて指摘させるページが用意されているのです。
これは極めて挑戦的な教育手法です。多くの教科書は、掲載されている内容が「正しく完全である」という前提で書かれています。
しかし、この教科書は自らの「不完全性」「選択性」を明示し、それについて生徒が批判的に考えることを促しているのです。
オーストラリアといえば、イギリスによる植民地化において、先住民アボリジニに対する虐殺や文化破壊が行われた場所です。
この重要なトピックが教科書に含まれていないことを、生徒自身に気づかせ、「なぜ含まれていないのか」を考えさせる――これは、教科書というメディア自体の政治性を教える、非常に高度な教育実践と言えます。
■教科書では「完璧な答え」を提示しない
こうして見ると、この教科書の意図が見えてきます。それは、すべての点について中立的・網羅的に情報を提供しようとするのではなく、教科書自体が一定の立場を示したうえで、それについて生徒が自由に考えることを促すという姿勢です。
教科書は「完璧な答え」を提示するものではなく、「考えるための素材」を提供するものである――このような教育哲学が、この教科書には貫かれているように思われます。
もちろん、これには批判もあり得ます。
しかし、別の見方をすれば、これは歴史というものの本質的な不完全性を教えているとも言えます。どんな歴史叙述も、特定の視点からの選択と編集の産物であり、完全に中立で客観的な歴史など存在しないということを、教科書自身が体現して見せているのです。
■日本の教科書との決定的違いとは
イギリスの中学生向け歴史教科書を分析して見えてきたのは、反省と矮小化の間を揺れ動く、複雑な自国史の描き方でした。
三枚舌外交のような重大な国家的背信行為を、一個人の「叶わなかった夢」という物語に落とし込むことで、その深刻さを相対的に薄めてしまっている側面もあります。これは意図的な矮小化なのか、それとも教育的配慮によるものなのか、判断は難しいところです。
しかし最も興味深いのは、教科書自身が自らの「不完全性」を認め、生徒たちに批判的に考えることを促している点です。
日本の歴史教科書と比較すると、その違いは鮮明です。日本の教科書は網羅的・中立的であろうとするあまり、個々の出来事の記述が簡潔になりがちです。
一方、イギリスの教科書は、限られた事例を深く掘り下げ、その問題点を生徒自身に考えさせる構造になっています。
もちろん、どちらの方法が優れているかは一概には言えません。しかし、「世界史を学ぶとイギリスが嫌いになる」と言われる当のイギリスが、自国の負の歴史をどう教えているのか――その一端を知ることは、私達自身の歴史教育を見つめ直すきっかけにもなるでしょう。
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東大カルペ・ディエム
東大生集団
2020年6月、西岡壱誠が代表として株式会社カルペ・ディエムを設立。西岡を中心に、貧困家庭で週3日バイトしながら合格した東大生や地方公立高校で東大模試1位になった東大生など、多くの「逆転合格」をした現役東大生が集い、日々教育業界の革新のために活動している。漫画『ドラゴン桜2』(講談社)の編集、TBSドラマ日曜劇場『ドラゴン桜』の監修などを務めるほか、東大生300人以上を調査し、多くの画期的な勉強法を創出した。そのほか「リアルドラゴン桜プロジェクト」と題した教育プログラムを中心に、全国20校以上でワークショップや講演会を実施。年間1000人以上の学生に勉強法を教えている。
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(東大生集団 東大カルペ・ディエム)

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