人間は一面では語れない。それは経営者も同じだ。
2026年5月18日に逝去したセブン&アイ・ホールディングス名誉顧問の鈴木敏文さんは、日本にコンビニを根付かせた流通のカリスマだ。ライターの栗下直也さんは「冷徹な合理主義のウラには、青年期の挫折があった」という――。
■流通のカリスマが「NO」を乗り越えたワケ
5月18日、セブン&アイ・ホールディングス元会長の鈴木敏文が93歳で逝去した。日本に「コンビニエンスストア」という未知の業態を定着させ、おにぎりやおでんを国民食へと昇華させ、銀行まで創り上げた「流通のカリスマ」の旅立ちだった。
鈴木の生涯を振り返るとき、不思議なことに気づく。彼の人生の節目には、いつも誰かの「NO」があった。受験の面接では一言も答えられず不合格になり、大卒後に入社した会社では上司に反対され、コンビニや銀行の立ち上げはマスコミと業界から猛反発を浴びた。最後は創業家から待ったをかけられて表舞台を去った。
経営者にとって反対は障害だが、鈴木にとっては違った。全員が反対するということは、誰もまだそこに目をつけていないということ。拒絶され、反対されることから物事を始める男だった。
苛烈なトップダウンと論理で組織を牽引した鈴木だが、その本質は驚くほど「シャイ」であった。

■シャイだからこその冷徹な合理性
鈴木は1932年、長野県坂城町の名士の家に生まれる。厳格な母の下で極めて内向的な少年として育った。当時の同級生の目には、常に何かを考え込んでいるような、およそ子供らしからぬ物静かな存在として映っていたという。この生来の内気さが災いし、彼は大きな挫折を経験する。旧制中学の受験時に面接で極度の緊張から一言も答えることができず、不合格になってしまう。
この苦い経験が、鈴木を変えた。高校では自らを奮い立たせるように、生徒会長に立候補。その後に進学した中央大学でも全学自治会の書記長を務めるなど、無理をしてでも前に出る訓練を重ねた。
大学卒業後、取次大手の東京出版販売(現・トーハン)に入社した彼は、広報課で無料の目録誌だった「新刊ニュース」の編集を任される。そこで、上司の反対を押し切り、目録誌を有名作家の対談などを盛り込んで有料誌へと改革する。発行部数を5000部から13万部へと爆発的に伸ばすという規格外の実績を残す。
ただ、自己変革を遂げる中で身につけた「合理性」は周囲との軋轢も生んだ。
東販時代の元同僚によれば、当時の彼は一度言い出したら譲らず、時には激しい口論になることもあったという。
「知・情・意のうち情がすっぽり抜け落ちている」と評されたり、「人間の感情すらバランスシートにかけかねない」と恐れられることもあった。生来のシャイな自分を押し殺し、論理と意志の力で周囲を圧倒する。鈴木がビジネスの場で被り続けた「冷徹な合理主義者」という仮面は、こうした青年期に形成されたのだろう。
■日本にコンビニは無理と猛反発された
鈴木がイトーヨーカ堂に転職することになったのは、30歳の時だ。最初の縁は、中央大学の同窓生の勧めでヨーカ堂を訪問したことだった。この時はいったん入社を断っているが、その後、テレビ局関係者らと制作プロダクションを立ち上げようとした際、出資を頼みに再びヨーカ堂を訪ねたことが、思わぬ転職のきっかけとなった。
入社後も、鈴木の妥協なき姿勢は変わらなかった。上司であった本部長が、取引業者との不明朗な関係や部下への責任転嫁によって若手社員の反発を買っていた際、鈴木は問題を解決するには彼に辞めてもらうしかないと社長に直談判し、刺し違え覚悟で組織を浄化したエピソードが残っている。
その後、彼が主導した数々の巨大プロジェクトは、常に周囲の「猛反対」から始まっている。1973年にアメリカのサウスランド社と提携してヨークセブン(現セブン‐イレブン・ジャパン)を設立し、翌74年に東京・豊洲に1号店を出した時も、流通の権威たちは日本でコンビニは成功しないと猛反発した。
■皆が反対することはチャンス
数年後におにぎりや弁当の販売を提案した時も、当時は家で作るものだという認識が強く、全員が首を横に振った。
2001年にアイワイバンク銀行(現・セブン銀行)を設立した時も同様だ。素人が銀行業に参入するなど絶対に失敗するとマスコミや銀行関係者から大合唱が起きた。
普通なら心が折れるか、妥協する場面だが、鈴木は意に介さなかった。「皆が反対するということは、皆が考えていないという意味だから逆にチャンスだ」。鈴木にとって、全員が反対する事案とは、誰も競合がいないブルーオーシャンを意味していた。
銀行設立の際、初代社長として白羽の矢を立てた元日銀理事・元長銀頭取の安斎隆を口説き落とした時も、当時の幹部たちを驚かせた。
鈴木は、安斎の手を固く握りしめ、深々と頭を下げた。心配することは何もない、お客様の立場で考えてさえくれればいい、後のことは全て任せる――ただひたすらにそう懇願したという。プライドも体面もかなぐり捨てたこの泥臭さが、不可能を可能にしてきたのだ。
■社で語り継がれる「冷やし中華事件」
なぜ、鈴木はこれほどまでに周囲との摩擦を恐れず、非常識を現実に変えることができたのか。それは彼の中に、「お客様にとってどうなのか」という絶対的な基準があったからだ。
この基準の前では、創業者の威光すら意味を持たなかった。
過去の記録によれば、かつて創業者の伊藤雅俊が、セブン‐イレブンでキャッシュサービスビジネスを始めようと提案したことがあった。ところが鈴木は防犯上の危険性を理由に激怒した。
深夜営業のコンビニに現金を置けば、強盗を招き寄せるようなもの、短期的な収益のために店舗やオーナーを危険にさらすような商売はそもそも長続きしない――鈴木は部下にそう吐き捨て、「自分をクビにしてからやれ」と伊藤に直談判して提案を白紙に戻したという。
雇われの身でありながらここまで啖呵を切れるのは、私心ではなく「お客様のため」という強烈な自負があったからに他ならない。
商品の質へのこだわりも尋常ではなかった。後年、セブン‐イレブン・ジャパン社長を務めた井阪隆一は、週刊ダイヤモンドのインタビューで、鈴木が組織に植え付けた「まずいものは悪」という哲学を明かしている。
社内で伝説のように語り継がれているのが、春先の看板商品である冷やし中華の開発で、何度作り直しても鈴木の試食を通らず、11回連続で却下された出来事だ。しびれを切らした販売担当者が、そろそろ出さないと機会ロスになってしまうと泣きついたところ、鈴木は笑いながらこう返したという。「いいじゃないか、まずいものを出すよりは」。
売上や利益よりも、まずい商品を出して顧客の信用を失うことのほうがよほど恐ろしい。この徹底した姿勢が、圧倒的な商品力の源泉となったのである。
■ビッグデータより「車中のラジオ」
鈴木はデータ重視の経営者と思われがちだが、商品の仮説を立てる段階では「流通の世界ではほとんど通用しない」としてビッグデータをあえて使わなかったという。
代わりに重視したのは、極めてアナログで泥臭い情報収集法だった。移動中の車内では常にラジオをつけっぱなしにし、ニュースや情報番組から世相の変化を感じ取る。それが鈴木のスタイルだった。
また、現場の常識を心地よく破壊することにも長けていた。
業績不振で店長交代となったアリオ上尾店での出来事だ。関係者の証言によれば、新店長に対し、鈴木が告げたのは、店が一つ潰れたところで会社が潰れるわけではないのだから、失敗を恐れず好きにやってみろという型破りな指示だった。
その店長は鈴木の指示を受け、店舗のテラス席での「セルフバーベキュー」という奇策を打ち出す。店舗の敷地内で火や生肉を扱うことは、火災や食中毒の懸念から小売業ではご法度とされており、通常なら本部が即座に却下するところだ。しかし鈴木の強烈な後ろ盾があったため実現に至り、店内で肉を買って手ぶらでバーベキューができるこのサービスは口コミで広がり、精肉などの売り上げを劇的に伸ばす大成功を収めたのである。
■会議後の意外な振る舞い
鈴木の経営スタイルは、常に「老い」と「時代の変化」との闘いだった。かつてメディアの取材に対し、「人間は年をとる。だがそれは頭ではわかっているが実感できる人は少ない。
(中略)それが実感できるかどうかが結局は勝負の分かれ目になる」と語っている。
ところが、2016年、長年連れ添った創業家から、ついに鈴木自身が待ったをかけられる側に回る日が来た。自ら発議した井阪隆一社長の交代を含む人事案を巡って、「ガバナンスの要」として控えていた伊藤名誉会長が伝家の宝刀を抜いたのだ。これまで数々の反対を意に介さず突き進んできた男は、この一度だけは抗わなかった。
鈴木はあっさりと辞任を決断する。自ら身を引く潔さもまた、彼らしい合理的な引き際だったのかもしれない。
周囲から「人を褒めたところを見たことがない」と評される鈴木だが、その裏には意外な素顔が隠されていた。当時の幹部たちの間で知られているのが、会議後の彼の振る舞いだ。
■極めて不器用で人間臭い男
会議の席で部下をコテンパンに叩きのめした後、普通のトップならフォローを入れるところだが、不器用な鈴木はそうしない。その代わり、会議が終わった後、周囲にこっそりと「大丈夫かな。あいつは俺の話をちゃんと理解したかな」と漏らし、ひそかに気を揉んでいたという。
セブン‐イレブンの店舗は、整然としてよどみがない。一見すると無表情にも見える。しかし、その根底に流れているのは、「あったら便利だろうなぁ」という顧客の素朴な願いに対する異常なまでの執着である。
巨大なシステムの背後には、照れくさくて人を褒められず、部下を叱った後に陰で心配し、ただひたすらにお客様の喜ぶ顔を追い求めた、極めて不器用で人間臭い男の素顔が隠されている。
面接で一言も話せなかった少年は、いつしか、誰もが反対する場面でただ一人「NO」と言わない男になっていた。その静かな確信が、私たちの日常風景そのものを築き上げたのである。

【参考文献リスト】

週刊東洋経済 2023年4月1日号「【追悼記事 伊藤雅俊氏】変化を恐れず商人道を貫く」

東洋経済オンライン 2023年3月15日「イトーヨーカ堂創業者が愛誦した『商人』の極意」

日本経済新聞電子版 2016年4月23日「ビルから出てください 迷走セブン&アイ」

週刊ダイヤモンド 2015年6月6日号「特集 流通最後のカリスマ 鈴木敏文の破壊と創造」

週刊ダイヤモンド 2005年7月2日号「編集長インタビュー イトーヨーカ堂/セブン‐イレブン・ジャパン会長兼CEO 鈴木敏文」

日経ビジネス 2001年5月14日号「特集 鈴木敏文の自縛」

AERA 1988年5月31日号「現代の肖像 セブン‐イレブン社長の鈴木敏文氏」

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栗下 直也(くりした・なおや)

ライター

1980年東京都生まれ。2005年、横浜国立大学大学院博士前期課程修了。専門紙記者を経て、22年に独立。おもな著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)がある。

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(ライター 栗下 直也)

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