■物価高を招く食料品の消費税ゼロ政策
物価高対策の柱として先の衆議院選挙で公約とされた、食料品の消費税ゼロとする政策がなかなか前に進まない。実現に意欲的な高市早苗総理に対し、この問題を検討している社会保障国民会議は夏前に中間報告を出すとしているが、さまざまな検討課題が出される中で、結論は出るのだろうか?
消費税をゼロとすることにはレジの変更に1年もかかるが、1%ならあるていど早く対応できるという業界の意見が出された。これに配慮して、食料品の消費税を1%にしてはどうかという案も主張されている。
この業界の意見に対して、食料品の消費税ゼロを悲願だと言う高市総理は、国会において「日本の恥」とまで発言した。
しかし、そんなことも検討しないで政策をぶち上げることこそ日本の恥だとする論調もある。何より、食料品の消費税をゼロにすれば、物価高はむしろ悪化する。物価高対策が物価高を招くという支離滅裂な政策なのだ。
本稿では、その理由を解説していきたい。
■マクロ経済から見た「最悪の愚策」
そもそも食料品の消費税ゼロで5兆円もの財源を喪失するうえ、高市総理によって“責任ある積極財政”が推進されれば、財政赤字・支出の増加による金利の上昇が経済を圧迫する(住宅ローンの利払い増加、投資の抑制など)だけでなく、国債の利払い増加で財政赤字のさらなる拡大を招く。ツケを回されるのは我々の子孫たちである。日本はますます貧しくなる。
通常なら金利の上昇は円高に働くが、財政規律の低下による日本(円)売りに加え、同じく物価高に直面しているアメリカでも金利がなかなか低下しない中では、円安がさらに進み、輸入物価の上昇でインフレが加速する恐れがある。先に物価高対策として行うには支離滅裂と書いたのは、このためだ。
こうしたマクロ経済上の問題だけでなく、そもそも物価高対策としても熟慮された提案ではない。政策効果に乏しいばかりか、既得権を優先して、優先順位の高い他の政策には目を向けようともしない。
今回の物価高を招いた大きな要因はコメである。
高市総理は、コメの価格を下げるのではなく、減反を維持強化し米価を維持する方向に政策の舵を切っている(参考記事)。原油やガソリンの価格が上がることに対しては対策を講じるが、既得権が絡むコメ問題については価格を下げるどころか上げようとしている。減反を強化して、コメの生産を減少させ、食料安全保障だけではなく国の安全保障を危うくする。
■農業票に縛られている日本の政治家
しかし、高市総理だけが支離滅裂なのではない。政党の多くは、この物価高対策の根本的な矛盾を指摘しようとしない。ほとんどの政党は食料品の消費税ゼロを支持している。
国民のだれもが食べるコメよりも、ガソリンの方が大切なのだ。ガソリンへの補助は、その消費が多いベンツなどの高級車を運転する高所得者を利する。ガソリンが高くなれば、電車など他の公共交通機関の利用が進む。ガソリンだけでなく石油製品の価格上昇によって化石エネルギーから他のエネルギーへの代替・転換が進めば、地球温暖化対策にも貢献する。ガソリンへの補助は、好ましいエネルギーへの転換を阻んでしまう。公共交通機関が少ない地域には、バスの運行や自家用車の共同利用への補助など特別な対策を講じればよい。しかし、国会論戦でこのような議論は聞かれない。国家としての大局観を持たない政治家たちなのだ。
逆に農業については、どの政党も農業の既得権とそれが抱える農業票を逃がしたくない。減反を強化するという高市内閣の主張に、物価高対策だけではなく国家安全保障の見地からも反対する政党はない。小さな問題は国会論戦の対象となっても、国家の全体利益に関わるような大きな問題に取り組もうとする政党は皆無だ。
■消費税ゼロを恐れる「農業既得権グループ」
ここまで述べてきたように、食料品の消費税ゼロは、マクロ経済の観点から見れば「物価高対策」の名に値しない。むしろ財政悪化や円安を通じて、物価高をさらに悪化させる危険すらある。
しかし皮肉なことに、この政策には一つだけ、既得権を揺さぶる効果がある。日本農業の構造改革を迫る可能性だ。食料品の消費税ゼロに警戒しているのは、財政悪化やインフレを懸念する立場だけではない。JA全中をはじめとする農業既得権グループもまた、別の立場からこの政策に強い警戒感を抱いている。
ただし、その理由は私とはまったく異なる。彼らが恐れているのは、食料品の消費税ゼロが、零細兼業農家を支えてきた現在の“特例構造”、より直截に言い換えれば零細農家保護・温存によるJA農協の利権構造を崩しかねないからだ。
図表1からわかるように、日本の農家の8割は売上が500万円以下の零細農家だ。さまざまな農業保護政策でこうした小規模経営を滞留・温存させてきたことが、日本農業の生産性が伸び悩む大きな要因となっている。もし彼らが農業から撤退し、農地が大規模農家へ集約されれば、生産性が向上し、コメなどの食料品の価格の低下につながる可能性が高い。しかし、零細農家の多くは兼業農家で、その兼業収入をJA農協は預金として活用することで発展してきた。
そして、減反・高米価政策と並んで、その零細兼業農家を下支えしてきた政策こそが、現在の消費税制度なのである。
消費税の制度の中にいる事業者はインボイス制度(適格請求書等保存方式)で繋がっている。しかし、外にいる免税事業者はインボイス(適格請求書)を発行できないので、納税事業者との取引から排除されるという問題が生じる。インボイスがないと、「仕入れ税額控除(納税する消費税額から、仕入れの際に支払った消費税額を控除してもらう制度)」ができないためだ。
たとえば、コメの卸売業者が免税事業者の農家からコメを仕入れてスーパーに売る場合。本来なら、卸売業者はスーパーから受け取った消費税額からコメ農家に払った仕入れにかかる消費税額を控除できるはずなのに、免税事業者の農家はインボイスを発行できないので、卸売業者は仕入れ税額を控除できない。免税事業者と取引すると、卸売業者はスーパーから受け取った消費税をまるまる納税しなくてはならない。卸売業者にとっては消費税の負担が重くなるため、免税事業者は卸売業者から取引を拒否され、流通過程から排除されてしまう。
このことにより、零細農家が農業から撤退することをJA農協や農林族の政治家は恐れたのだ。零細農家のほとんどは会社員などの兼業農家で、彼らが農業をやめると給料所得がJAバンクに貯金されなくなってしまう。また、多数の零細農家の減少は、農業票の減少に直結する。
だが、国民には何も問題はない。
■零細農家は益税を受けている
しかし、JA農協や農林族議員の政治力により、農家・農業経営体の免税事業者については、農協や卸売市場が農家・農業経営体の代わりに販売相手(卸売業者など)にインボイスを発行することが特例的に認められている。このため、免税事業者である零細農家でも流通過程から排除されないように手当てされている。
逆に、免税事業者の農家でも、農協や卸売市場を経由して販売すれば、販売した時の消費税を受け取ることができる。しかし、免税事業者なので、消費税を受け取っているのに、納税しない。1000万円の売り上げにかかる消費税は80万円、農薬等の仕入れにかかる税額が60万円だとすると、この農家は20万円を納税しないで懐に入れていることになる。これを益税という。零細農家は流通過程から排除されるどころか、特例的な救済措置を利用して儲けているのだ。税制上大規模な農家よりも優遇される零細農家は農業から退出しようとはしない。構造改革は進まない。
JA農協にとっては、この特例措置を受けるためには零細農家に自分たちを通じて販売するように誘導することができるし、これらの零細農家は農家というよりサラリーマンの兼業農家なので、これらの農家を維持して、そのサラリーマン収入をJAバンクの預金として活用することができる。消費税を利用した一石二鳥の特例措置だ。JA農協の政治力の賜物と言ってよい。
■JAが恐れる食料品の消費税ゼロ
食料品の消費税がゼロとなると、通常の事業者なら、売り上げにかかる税額ゼロから受け取ったインボイスにより農薬等の仕入れにかかる税額60万円を控除することができ、国から60万円の還付を受けられる。しかし、消費税の制度の外側にある免税事業者は、農薬等の仕入れにかかる税額60万円を控除することはできない。農薬等の仕入れ税額をまるまる負担しなければならなくなる。これまで20万円の利益を受けていたのに60万円の負担となる。現状から比べると80万円の負担増だ。
もし、免税事業者である零細農家がこの負担増を次の取引相手に転嫁しようとすると、取引相手は大規模農家と取引する方が安く農産物を購入できるので、免税事業者は流通過程から排除されてしまう。
食料品の消費税が1%のときでも、上記の特例措置によりJA農協が免税業者の代わりにインボイスを発行したとしても、売り上げの消費税として受け取れるのは8万円に過ぎず(益税が減少)、仕入れ税額60万円から8万円を引いた52万円が、免税業者の負担になる。JA全中は、これを救済してほしいと言っているのだ。
しかし、これまで棚ぼた的な利益を得てきた人たちが、今度は不利益を受けるといって救済すべきなのだろうか? 嫌なら本則課税事業者となればよい。それが公正公平な措置だろう。
■給付付き税額控除を行うべき
社会保障国民会議の中間報告が、どのようなものになるかはわからない。
食料品の消費税ゼロや1%は、巨額の財源不足や財政悪化、円安を通じて、むしろ物価高を悪化させる危険が大きい。唯一期待できるのは、零細農家の退出による日本農業の生産性向上や農地集約という効果だが、JA農協が零細農家の仕入れ税額相当額(前の例では60万円)などの給付措置(零細農家への直接支払い)を要求して実現してしまえば、それもなくなってしまう。JA農協の政治力を使えば難しくはないし、国会での討論を聞くと自民党農林族議員もそのつもりのようだ。百害あって、一つしかない一利も消されてしまう。
食料品には高級な牛肉、キャビア、ワインなど高額所得層ほど多く支出する商品も含まれる。食料品の消費税ゼロは、低所得者を救うのではなく高額所得層をより利することになる。低所得者対策が必要なら、食料品の消費税ゼロではなく最初から給付付き税額控除を行うべきだろう。
また、2年後に給付付き税額控除を実現し食料品の消費税を元の8%に戻すというが、これは政治的に可能なのだろうか? 経済だけでなく社会に混乱を招くだけのように思われる。
本来、物価高対策として向き合うべきは、減反政策によって高止まりしたコメ価格の問題である。しかし政治家たちは、農業票やJA農協との関係を恐れ、その本丸には踏み込もうとしない。むしろ目を背けている。
食料品の消費税ゼロという耳あたりのいい政策の陰で、「物価高の元凶」への議論そのものが封印されているのである。
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山下 一仁(やました・かずひと)
武蔵野大学国際総合研究所研究主幹
1955年岡山県生まれ。77年東京大学法学部卒業後、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、同局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員、2010年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、2026年5月より現職。著書に『バターが買えない不都合な真実』(幻冬舎新書)、『農協の大罪』(宝島社新書)、『農業ビッグバンの経済学』『国民のための「食と農」の授業』(ともに日本経済新聞出版社)、『日本が飢える! 世界食料危機の真実』(幻冬舎新書)、『食料安全保障の研究 襲い来る食料途絶にどう備える』(日本経済新聞出版)など多数。近刊に『コメ高騰の深層 JA農協の圧力に屈した減反の大罪』(宝島社新書)がある。
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(武蔵野大学国際総合研究所研究主幹 山下 一仁)

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