■スーパーの「いつもの棚」が変わった
5月下旬、近所のスーパーに買い物に行くと、あまり見慣れない光景を目にした。精肉や刺身のパックが、プラスチックの蓋からラップに変更されていた。

塗装業を営む知人は、「シンナーが手に入らず注文を断った」という。彼は「売り上げは想定よりはるかに減る」とこぼしていた。中小の事業者にとって、プラスチックなどの原料となるナフサの減少で製品の調達はかなり難しくなっているようだ。
その背景にあるのは、言うまでもなくイラン戦争だ。ホルムズ海峡の実質的な封鎖で、わが国の企業が必要とする原油やナフサの輸入は減少した。ナフサは原油から生成されるので、原油の中東からの輸入が減ると、どうしてもナフサの供給は減ることになる。
■補助金のあるガソリンが最優先されている
そしてもう一つ、令和の「ナフサショック」を増幅させているのが、高市政権のガソリン補助金という指摘もある。中東からの原油の輸入が減っている現在、限られた原油から作る製品の中で比較的、利益の出そうなガソリンに供給が向かいがちというのだ。
つまり、単価の低いポリエチレンなどよりも、1リットルあたり42.6円の補助金(5月中旬時点)が得られる、ガソリン生成に供給が向かう傾向が出ているとみられる。そのため、利率が高くないシンナーや、コンビニのレジ袋などの製造に必要なナフサは十分に行きわたっていない状況のようだ。
今後の状況は、何といっても、ホルムズ海峡の状況次第ということになる。ここへ来て、徐々に船舶の航行が可能になりつつあるとの観測はあるものの、米国とイラン、さらにはイスラエルの出方、船舶保険料の高騰などを考えるとあまり楽観視はできない。

中東からの原油輸入の減少が続くようだと、国内の石油備蓄が取り崩されることになりそうだ。そうして懸念が高まると、わが国の物価には一段と押し上げ圧力がかかる恐れは残る。令和の「ナフサショック」で、わたしたちの生活環境はさらに苦しくなるかもしれない。
■自動車、医療、アパレル業界にも影響
粗ガソリンとも呼ばれるナフサは、経済活動に不可欠な基礎資材といわれている。ナフサは、原油を精製して重油や軽油、灯油を得る過程で生産される。ガソリンはナフサを加工して生産される。
また、ナフサを分解・精製して、エチレンやプロピレン、ベンゼンなどの化学品になる。化学反応を経て中間材料になり、コンビニの袋やプラスチック製品だけでなく、自動車用品、医療用品、アパレルなどの原料となる。数え方にもよるが、その用途は数千といわれている。ナフサが不足すると、日常の生活に必要なモノやサービスの供給に深刻な影響がある。
わが国のナフサの調達は、国内での原油精製が4割、中東輸入が4割、それ以外の輸入が2割程度といわれている。国産ナフサ原料の9割は中東由来だ。
ということは、実に、わが国のナフサ需要量の8割は中東に依存している。
そのため、イラン戦争が発生し、実質的にホルムズ海峡が封鎖されたインパクトは大きかった。わが国のナフサの輸入、生産量は減少した。国内でナフサを供給するためには、石油備蓄を利用してナフサを生産することになった。
■カルビーの商品が白黒になった理由
政府のガソリン補助金の影響も無視できない。イラン戦争による原油輸入の減少、それによるガソリン価格上昇を抑えるため、高市政権はガソリンに補助金をつけた。石油プラント企業にとって、ナフサをガソリンの生産に回したほうが収益的にはプラスになるだろう。
そのため、ガソリン補助金は、石油化学分野での流通のメカニズムに影響し、ナフサの需給バランスを歪めたとも考えられる。その結果、菓子の包装(主にはインク)、塗装業に必須のシンナー、ユニットバスなどの建材、注射器やカテーテル、ゴム手袋など医療資材の生産に必要なナフサ供給が減少した。
また、イラン戦争の発生による供給減で価格も上昇した。国内のナフサの取引基準価格は、戦争前の6万円台(1キロリットル)から、12万円程度に上昇した。当面高止まりが続くとの見方は多い。
供給減、さらには補助金による需要の偏在、そして価格高騰により、中小を中心に国内企業が必要なナフサを、必要な時に、必要なだけ手に入れることは難しくなった。
■国内の石油備蓄量はおよそ「200日分」
そうした状況下、国内の関連業界では調達先の多様化が急務になっている。5月、米国など、中東以外からの調達量が通常月の3倍以上に増えるとみられる。それに加えて、国内の石油備蓄も、ナフサの供給回復の材料になるだろう。資源エネルギー庁によると、5月24日時点での石油備蓄量は203日分だった。
また、イラン戦争発生後のナフサの不足に関しては、生産設備の定期修理の影響もある。修理を終えた設備が再稼働することで、ナフサの供給量は一時的に持ち直しに向かうだろう。そうした取り組みは、一時的に、ナフサ不足の影響緩和につながる可能性がある。
ただ、効果の持続性には懸念も残る。国内の石油備蓄が残っている間に、イラン戦争が本格的な停戦に至ればよいが、どうなるかは読みづらい。
■価格に転嫁しきれず、打撃を受ける企業
むしろ、国内企業の対応を見ると、中東以外の国や地域からナフサの代替調達経路を確保したうえで、前倒しで価格転嫁を行う事業者が出始めた。自動車タイヤなどに使う合成ゴム市場では、5~7月の大口価格が、2~4月に比べ5割高になったと報じられた。

当面、ナフサなどの供給は制約された状況が続き、価格には押し上げ圧力がかかると予想される。そうした見通しに基づき、今から段階的に値上げを行い、収益を確保しようとする川上の事業者は増えるかもしれない。
調達価格が上昇する一方、消費者向けの価格の引き上げペースは、対企業(B2B)の取引価格の上昇ペースを下回る傾向にある。ナフサの価格上昇、あるいは高止まりにより、事業者の調達価格が、販売価格を上回る(逆ザヤ発生の)恐れは高まっている。それは、企業の業績悪化要因だ。
特に、中小の石油化学品メーカー、卸売業者などで販売が減少して資金繰りは悪化し、事業の継続が難しくなるケースが増加すると懸念される。人手不足、円安によるコスト増に加え、ナフサ不足も企業の倒産要因の一つになる恐れは高い。
■インドのモディ首相も動いた
すでに多く報じられているように、ナフサ不足は、食品、医療、住宅建設やリフォーム、自動車など、広範囲にマイナスの影響を与えている。ナフサを原料とするモノの供給が減少すると、それだけ需要は発現しなくなる。景気減速の可能性が高まることも想定される。
また、ナフサの供給減少で、モノやサービスの価格も上昇するだろう。状況によっては、円安の進行で大手企業でさえ海外企業にナフサを買い負ける展開もありうる。

その場合、5月下旬の時点よりも、ナフサの不足は深刻化するだろう。ナフサショックは、日用品の入手しづらさ、医療サービスの供給不安にとどまらず、わたしたちの雇用・所得環境を含めた生活環境全般に悪影響をもたらすと懸念される。
海外では、政府がそうした懸念を、国民に明確に伝えるケースが増えている。インドでは、モディ首相が危機感を表明した。モディ氏はガソリンやディーゼルの消費削減、金購入の抑制、海外旅行の延期、テレワークの奨励、食料油の使用削減などを国民に呼びかけた。5月20日には、通貨防衛のためにインドネシア中銀が0.50ポイントの予想外の利上げを実施した。
■「ナフサショック」はこれからが本番
一方、わが国政府は、国民に対して楽観的なコメントに終始しているように見える。そうした姿勢は、国民に安心感を与える意味では重要だろう。しかし、政府のリスク管理の面から考えると、やや楽観的過ぎるとの指摘もある。首相は、国民に節約を呼びかける考えを示さなかった。
現在の状況が予想以上に続くことになると、ナフサの不足、価格上昇により、わが国のインフレ懸念は追加的に高まるだろう。それは、長期金利が一段と上昇する要因にもなる。
金利上昇は企業の資金調達コスト、家計の住宅ローン金利支払いの増加につながる。それに伴い、個人消費や設備投資の下振れは高まるだろう。金利上昇は株価にもマイナスだ。
ナフサショックは小売りなど一部の業種にとどまらず、わたしたちの生活環境の悪化につながると考えたほうがよい。私たち自身のリスク管理の視点が必要になる可能性がある。“転ばぬ先の杖”の例えもある。

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真壁 昭夫(まかべ・あきお)

多摩大学特別招聘教授

1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。

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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)
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