■人類初の2時間切り、1時間59分30秒
4月下旬、ロンドンマラソンで出たタイムに世界中が衝撃を受けた。
男子はセバスチャン・サウェ(ケニア)が人類初の2時間切りとなる1時間59分30秒で優勝。初マラソンとなったユーミフ・ケジェルチャ(エチオピア)も1時間59分41秒を叩き出したのだ。ともに従来の世界記録(2時間0分35秒)を1分近くも上回り、人類初の“サブ2”を達成した。
マラソン「2時間切り」の平均スピードは1km2分50秒になる。これはどれだけの速さなのか。1988年から10年以上も保持していたマラソン男子の世界記録は2時間6分50秒だったが、今回の新記録は当時より1kmあたりで10秒以上も速い計算になる。
もっと身近な例でいえば、400mトラックを68秒ペースで約105周走りきったことになる。これは50m走のタイムで8.5秒にあたる。男子小6の平均タイム(約8.9秒)を上回るスピードになる。
■世界記録保持者は「サブ2は不可能」と断言
マラソンはよく「人生」に例えられるが、もはや昔のイメージはない。振り返ると、男子マラソンの高速化が顕著になったのは、トラックの猛者たちが本格参戦を始めた21世紀に入ってからだった。
それでもマラソンの2時間切りは夢の領域でしかなかった。
2003年9月のベルリンでポール・テルガト(ケニア)が2時間4分55秒の世界記録を樹立した。その記者会見でテルガトは、「記録は破られるものですから、さらに更新されるでしょう。でもマラソンを2時間未満で走るのは不可能であることに変わりありません」と話している。1997年に10000mで当時の世界記録(26分27秒85)を打ち立てた世界屈指のスピードランナーもサブ2の実現に否定的だった。
だが、2008年になると業界が色めき立つ事態が発生した。ベルリンでハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)が2時間3分59秒の世界記録をマーク。当時、サブ2の可能性を聞かれたゲブレシラシエは、「20年は難しいと思いますが、それ以降には2時間以内の記録が出ると思います」と答えたのだ。
■ナイキの厚底で2時間0分25秒
サブ2の達成はまだまだ先の未来かと思われたが、ひょっとするという可能性が見えてきた。その野望を本気で実現しようとしたスポーツメーカーがある。
2017年5月、フルマラソンで2時間切りを目指す「BREAKING2」という特殊プロジェクトを開催したのだ。スピードダウンを抑えるために鋭い曲がり角の少ない1周2.4kmのサーキット場で行われ、3人の挑戦者に対して、ペースメーカーを合計30人ほどスタンバイ。選手たちを向かい風から徹底ガードしながら、絶妙なペースでレースは進んだ。
2時間を切るには当時の世界記録(2時間2分57秒)と比較して、マイル(1.6km)ごとに7秒短縮しなければいけなかった。無謀なチャレンジかと思われたが、前年のリオ五輪の男子マラソンで金メダルを獲得したエリウド・キプチョゲ(ケニア)が2時間0分25秒で走破。2時間切りは果たせなかったものの、当時の世界記録を2分半近くも上回り、世界中のファンを驚かせた。
そのときキプチョゲらが着用していたのが、後に世界のマラソンを席巻することになるカーボンプレート搭載の厚底シューズだった。
当時32歳だったキプチョゲは、「良い準備と計画があれば、あと25秒はいけるだろう」と豪語。その言葉通りのことが実現する。
■2019年秋、非公認だが2時間切り達成
2019年10月の特別レースで1時間59分40秒をマーク。非公認ながら人類初の“2時間切り”を達成した。
キプチョゲは公認レースでも金字塔を打ち立てる。2018年のベルリンで従来の世界記録を1分強も縮める2時間1分39秒をマークしていた彼は、2022年の同大会で2時間1分09秒まで記録を短縮した。
■箱根駅伝のナイキ着用率95.7%
キプチョゲらが愛用したナイキの厚底シューズはロードレースで信じられない記録を連発。箱根駅伝の着用率は2021年に95.7%に到達した。反発力のある硬質なカーボンプレートを超軽量フォームで挟んだモデルが“シューズ革命”をもたらした。
しかし、ナイキ一強の時代は長く続かなかった。各社が同じスタイルのシューズを開発。そしてナイキを上回るメーカーが登場する。それがアディダスだ。
■アディダス本社が本気で開発
ナイキの厚底よりも超軽量の『ADIZERO ADIOS PRO EVO1』が誕生したのは2023年9月のことだった。それ以来、世界のメジャーレースで3本ラインが輝いた。そして、今回その最新モデルとなる『EVO 3』を履いたサウェとケジェルチャがロンドンマラソンでサブ2を達成したわけだ。
『EVO 3』には最先端のテクノロジーがぎゅっと凝縮されている。中でも特筆に値するのは、過去モデルのいい点を継承しつつも、延長線上で開発改良という戦略を思い切って捨てたことだ。バネとなるカーボンプレートは使用しているが、それをソールの外周部分のみに配置して、推進力と後述する軽量化の両立につなげたと言われている。
ひたすら1秒でも削るための「理想」を追求し、10回以上の試作を重ねたのは、ドイツのヘルツォーゲンアウラッハにあるアディダス本社内のラボだけでない。ケニアやエチオピアの高地キャンプなどでもテストを実施したという。その成果として、前モデルからランニングエコノミー(一定の走速度を維持する際に、どれだけ少ないエネルギー=酸素消費量で走れるかを示す指標)が1.6%UPした。
たった1.6%と思うだろう。しかし、数字は小さいが、42.195kmを走り切るためのエネルギー効率としては極めて高い効果を発揮する。
■重量は片足で卵1.5個
ライバル企業が蹴散らすインパクトのあったこのアディダスの新モデルの特徴は何か。やはり、その圧倒的な「軽さ」には驚くしかない。
走りに直結するソール部分の新フォームが劇的に軽くなったことで前モデル比30%の軽量化に成功。重量は、片足97g(27.0cm)しかない。
シューズの性能が同じなら、当然、軽いほうが有利になる。コロラド大学の論文(2016年)によると、シューズが片足10g軽くなると0.078%速くなるという。単純計算では、シューズが片足50g軽くなると、2時間12分00秒のランナーなら30秒ほど速く走れるのだ。
マラソンのタイムにとって、その秒数はとてつもない貢献度だ。
20年ほど前と比較すると、レーシングシューズのソールは3倍ほどの厚さになっているにもかかわらず、重量は軽くなっている。これはテルガトやゲブレシラシエらかつての世界記録保持者も想像していなかったシューズの進化だったに違いない。
■驚異の「軽さ」以外のテクノロジーも搭載
また『EVO3』には「軽さ」のほかにも競合他社の開発部門を落胆させ、へこませたにちがいない、とっておきの技術をシューズに搭載している。それは、着地時のブレを大幅に少なくする仕様だ。着地時のエネルギーが分散されることなく、大きな推進力となり、それがタイムにも確実に表れてくる。元祖厚底シューズのナイキのお株を奪うような革新的な開発をやり遂げたアディダスは称賛に値するだろう。
ロンドンのサウェの走りを分析すると、30km以降の走りが“非常識”だった。35kmまでの5kmは13分54秒、40kmまでの5kmは13分42秒、ラスト2.195kmを5分51秒。後半のハーフマラソンは2023年のシカゴで世界記録(2時間0分35秒)を樹立したケルヴィン・キプトゥム(ケニア)の59分47秒(レース後半)だけでなく、太田智樹(トヨタ自動車)が保持する日本記録(59分30秒)も大きく上回る59分01秒だった。
『EVO3』を含むシューズの進化によってトレーニング法も変化した。多くの監督が「トレーニングの質が上がった」ことと、「脚へのダメージが少なくなった」ことを挙げている。加えて、カーボンプレート搭載の厚底シューズを履きこなすためのフィジカルトレーニングを取り入れているチームも増加した。シューズ革命は単に「速い」だけでなく、いくつものプラス要素が付随しているのだ。
■「サブ2」に貢献した栄養補給法
それからスペシャルドリンクでのエネルギー補給も格段によくなった。サウェのレース当日の朝食は、「パン2枚とハチミツ、それに紅茶」だけだったと発言したことに、多くのアスリートや陸上関係者は衝撃を受けた。市民ランナーを含めて、マラソン前は「炭水化物多め」が常識中の常識だからだ。
実はサウェが重点を置いたのはレース数日前とレース中だった。スウェーデンのイェーテボリ大学の教授らとともに“スポーツ燃料”の製品開発を行うスタートアップ企業『Maurten』のジェルとドリンクを軸に栄養戦略を立て、実行したという。
スタート2日前からカーボローディング(数日前から糖質=炭水化物の摂取量を増やし、体内のエネルギー源=グリコーゲンを多く蓄える食事法)をするだけでなく、レース中はスタートからゴールまで、平均して1時間あたり115g(おにぎり約2個分、レース全体で約4個)の糖質を摂取したという。
これも20年前には考えられない戦略だろう。科学が進歩する限り、人類はまだまだ速くなる。2時間を切った人類の次なる目標は、1時間55分、50分……と未踏の異次元へと高まるのだろうか。
なお、通称「スーパーシューズ」と呼ばれるこの『EVO3』は500ドル(約7万9500円)で4月下旬に世界各地で限定販売され即完売(数千ドルで転売されていると言われる)だったが、日本ではまだ発売されていない。
----------
酒井 政人(さかい・まさと)
スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)
----------
(スポーツライター 酒井 政人)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
