■人間の「心」は遺伝の影響を受けている
橘玲:作家
河田雅圭:進化生物学者、『心はどこまで進化したのか』著者
安藤寿康:行動遺伝学者
橘:これまで日本の人文科学・社会科学は人間の心理や行動が遺伝・進化の影響を受けていることをタブー視して認めず、子育てや教育のような環境のみで語ることを「政治的に正しい(ポリティカリー・コレクト)」としてきました。
河田さんのような進化生物学の立場では、人間や社会を自然科学に基礎づけることは当然でしょうが、人文系の人たちの認識が変わってきたという印象はありますか?
河田(進化生物学者):多くの人文系の分野では、そもそも人間の心の性質の多くが遺伝的影響を受けて進化した、ということ自体に触れない傾向があります。一方で、進化心理学的な考え方をする人は、人間の行動の一部を、すべての人が持っている普遍的な本能によるものと考える傾向があります。
橘:『心はどこまで進化したのか』を読んで驚いたのは、自然科学のなかでも進化学についての対立があることです。進化生物学と進化心理学で、人類の遺伝と進化についての主張が違っているというのは、はじめて知りました。
■「進化=環境に適応して向上する」ではない
河田:「進化」というと環境に適応して向上することだと思われがちですが、そうではありません。進化とは、「ゲノムの情報が世代を経て変化すること」です。心が遺伝情報に影響されているなら、心も進化するはず。
ただ、進化心理学という学問では、狩猟採集時代に獲得された人間の心は、そこから進化していないという仮定を置いています。そのため、現在の人間の個人間でみられる心の性質の違いには、遺伝的な違いがほとんどないと主張しています。
実際には、遺伝情報が変化するなかで心も一緒に変化し、現在でも心の違いには遺伝的な違いが影響しています。
■教育の場で遺伝はタブー
橘:安藤さんの場合、行動遺伝学はより直接的に遺伝を語るわけですから、いろいろと思うところはあるんじゃないですか?
安藤(行動遺伝学者):ふたごや養子のデータを大規模に取ると、やはり遺伝は無視できません。しかし、日本の教科書には「遺伝と環境は相互作用である」という、理論とも言えないイデオロギーとしての遺伝環境論しかありませんでした。
教育や人文系では遺伝はタブーで、だから当然、進化もタブー。教育の場で遺伝の「い」の字を言っただけでシーンとなる。だから潜伏してちまちま研究をやってきました(笑)。
橘:面と向かって批判された経験はありますか?
安藤:ないんですよ。それが不気味です。「優生思想につながる」「差別を助長する」と言う人はいます。ふた言目には「遺伝率は誤解しちゃいけない」と。それは僕が最初からずっと言っていることで、批判とも言えない批判ばかりです。
橘:私が2016年に『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)を出す前、「知能や精神疾患、犯罪は遺伝する」という本を書いていると大手出版社の編集者に話したら、「そんなことをすれば大変なことになる」と真顔で忠告されました。でも実際に出したら、抗議どころか「救われました」という反響が数多く寄せられました。
■自閉症、発達障害は親の子育てが原因ではない
橘:遺伝の影響がまったくないのなら、自閉症や統合失調症、発達障害などはすべて環境、すなわち親の子育てが原因になる。
「遺伝についていっさい語ってはならない」という環境決定論が、難しい子どもを持つ親をさらに苦しめてきた。そんな人たちが、自閉症や統合失調症の遺伝率がきわめて高いという行動遺伝学のデータを知って、「自分たちが悪いんじゃないんだ」とようやく思えるようになったのではないでしょうか。
遺伝について論じようとすると、一方的に「優生学」のレッテルを貼って黙らせようとしてきたリベラルは、ものすごく残酷だと思います。
安藤:優生学というとドイツが発祥と思われがちですが、唱えたのはイギリスのフランシス・ゴールトン、そしてアメリカが国家政策としてドイツより先に展開しました。
病気や精神疾患の人に子どもを残させないという国家方針が始まりで、その後、ヒトラーの虐殺で優生学イコール悪と結びついた。
でも今は、受精卵を調べて悪い遺伝子があれば産まない、自分の遺伝子を調べてどう使うか、ということも「自由主義優生学」とか「消費者優生学」と呼ばれます。タブー視すると逆に危険性を覆い隠してしまう。何がまずくて、何がいいのかを、医学的のみならず社会的、倫理的にオープンに議論することが重要です。
■人生の軌跡がわかるDNA占い
安藤:生命は基本かなり偶然です。
偶然性を減らすために、制度や教育システムを作るわけですが、実際に減らすことは難しい。僕は「偶然が生んだ必然」と言っていますが、その人が持つ条件は偶然だけれど、その中でどう人生を選択していくかっていう連鎖は、本人にしかない遺伝的な条件に導かれており、その意味で「必然」と呼べるものでしょう。
橘:GWAS(ゲノムワイド関連解析)によって人間の全ゲノムが解析できるようになり、遺伝と進化についてより詳細に論じることが可能になった。これはとてつもなく大きな知のパラダイム転換だと思いますが、残念ながら日本ではほとんど理解されていません。
河田:ええ。人のさまざまな性質の違いは、ゲノム配列の違いで説明できます。ふたごの研究で「だいたい半分が遺伝する」と言われてきたものが、ゲノム配列の違いに由来し、心理的性質・精神疾患・知能・身体的特徴などあらゆる人間の性質に影響しています。ふたごから推定していた遺伝率を、今やゲノム配列から直接推定できる時代になったんです。
橘:プロミンは、受精卵のゲノム解析をすればおおよその人生の軌跡がわかる時代が来るとして、「DNA占い」と呼んでますね。
■MBTIよりも“当たる”
河田:性格はだいたい5つ、ビッグファイブ(神経質性、協調性、開放性、誠実性、外向性)に分かれます。性格診断として流行りのMBTI(Myers-Briggs Type Indicator/マイヤーズ=ブリッグス・タイプ指標)の16タイプはユング心理学がベースで、再現性がとれず研究者は信じていません。
それはさておき、この5因子の違いが、性格だけでなく、教育達成度、宗教への関与、リスク行動など、その人のあらゆるところに関係している、とゲノム解析でわかってきました。
橘:もちろん未来をすべて知ることはできないでしょうが、受精卵を子宮に着床させる前に、これから生まれてくる子どもが外向的なのか内向的なのか、大学を卒業しそうか高卒や高校中退になりそうか、経済的に成功しそうかどうかまで、その傾向をスコアにできるということですか?
河田:はい。実際に、あるアメリカの会社が研究の一環として、胚に対して学歴・世帯収入・認知能力・主観的幸福度のスコアを提供していたとされています。どの程度信頼性があるかは疑問ですが。
安藤:その通りです。そして行動遺伝学の大家、タークハイマーが唱えた行動遺伝の第一原則は「あらゆる行動が遺伝的」ですから、知能やパーソナリティだけでなく、あらゆる次元の行動の個人差に関して、データさえあれば、すべて一定の確率で予測できることになります、理論的には。あとはデータを手に入れようとするかだけの問題ですね。
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河田 雅圭(かわた・まさかど)
進化生物学者
1958年、香川県生まれ。帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業、北海道大学大学院農学研究科修了(農学博士)。静岡大学教育学部助教授、東北大学大学院理学研究科助教授、東北大学大学院生命科学研究科教授などを経て、2023年から東北大学教養教育院総長特命教授、名誉教授。専門は進化学、生態学。ヒトを含め様々な生物を対象に、ゲノムレベルから集団などのマクロレベルをつなぐ進化研究を行ってきた。
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橘 玲(たちばな・あきら)
作家
1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラーに。05年の『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補に。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。著書に『「読まなくてもいい本」の読書案内』(ちくま文庫)、『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)、『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』(幻冬舎文庫)、『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)など多数。
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安藤 寿康(あんどう・じゅこう)
慶應義塾大学文学部教授
1958年東京都生まれ。
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(進化生物学者 河田 雅圭、作家 橘 玲、慶應義塾大学文学部教授 安藤 寿康 構成=ライター・編集者、井上英樹)

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