メッシ、実はスペイン代表になる寸前だった…日本代表戦のあとに渡った「一つのテープ」が未来を変えた

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2026年ワールドカップ決勝に進出したアルゼンチン。その中心選手であるリオネル・メッシにとって、相手となるスペインは特別な国だ。

13歳で移住し、バルセロナで世界最高の選手へと成長した場所だからだ。



そして、もし22年前にアルゼンチンサッカー協会が動いていなければ、今回の決勝でメッシはスペイン代表のユニフォームを着ていた可能性があったという。



『Globo』は15日、若き日のメッシを巡って繰り広げられた両国の争奪戦を紹介している。その運命を変えたのは1本のビデオテープと急きょ組まれた親善試合だったようだ。



2004年6月、アルゼンチンの育成年代の関係者はまだメッシの存在を十分には把握していなかったとのこと。しかし一方、スペインサッカー連盟はバルセロナの下部組織でプレーしていたメッシを追跡。年代別代表へ招くことを望んでいたという。



そんな状況を変えたのが、メッシの映像を収めたVHSテープだったそう。アルゼンチン人代理人のオラシオ・ガッジョーリ氏が、当時アルゼンチン代表監督を務めていたマルセロ・ビエルサのアシスタント、クラウディオ・ビバス氏に映像を手渡した。



ガッジョーリ氏は最初、メッシの名前さえ明かさなかったという。ただ、「アルゼンチン人の選手がいる。ビエルサに見せてほしい」と伝えた。



2004年8月に行われたキリンチャレンジカップの日本代表との試合を終えて帰国したビバス氏は、その映像をビエルサに見せたという。彼はその時のことをこう振り返っていたようだ。



「ビエルサ監督は『通常の速度で再生してくれ』と言ったんだ。しかし、私は『これが通常の速度です』と答えた。彼はあまりにも速くドリブルし、シュートを打ち、ゴールを決めていた」



その映像は、アルゼンチンの育成年代代表を率いていたウーゴ・トカリ監督に届く。ただ、当時はU-17ワールドカップの直前であり、メッシを大会メンバーへ追加するには遅すぎた。



それでもトカリ氏は、スペインがメッシを狙っていることを知り「緊急に動く必要がある」と考えたようだ。当時の規定では、育成年代であってもアルゼンチン代表として公式にプレーすれば、将来的にスペイン代表へ変更することが難しくなるものだった。



トカリ氏は「メッシを呼ぶために、どれほど必死で親善試合を組んだか想像してほしい。もし彼がスペイン代表でプレーしていたら、私は殺されていただろう。別の場所へ移住しなければならなかったはずだ」と明かしているそうで、それほど緊急性の高いミッションだったようだ。



ただそこで問題となったのは、メッシ本人はもちろん、家族の連絡先さえ把握していなかったことだという。

協会職員だったオマール・ソウト氏は、まずロサリオの電話帳を借りたという。分かっていたのは、名字が「メッシ」で、ロサリオ出身だということだけだったためだ。



ソウト氏は電話帳からメッシ姓の番号が載ったページを破り取り、手当たり次第に電話をかけたという。最初に連絡が取れたのはメッシの祖母だったそう。そして祖母から叔父、叔父から父親ホルヘ氏へと連絡先をつないでもらい、ようやく本人の家族へたどり着いたとのことだ。



そしてアルゼンチンサッカー協会は、急きょメッシのために育成年代の親善試合を2試合開催した。さらにメッシがアルゼンチンへ移動するための航空券も負担したという。



最初の試合は、アルヘンティノス・ジュニアーズのスタジアムで行われたパラグアイ戦。そして当時17番を着けていたメッシは、後半から途中出場。アルゼンチンが8-0で勝利した試合で、彼は7点目を記録した。



そしてメッシはその後、2005年初めにコロンビアで開催された南米U-20選手権へ出場し、5ゴールで得点ランキング2位となった。同年のU-20ワールドカップでは当初ベンチスタートだったものの、グループステージ第2戦から先発へ昇格。

最終的にアルゼンチンを世界一へ導いた。



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あの緊急招集から22年が経ち、メッシは今度アルゼンチン代表の主将としてスペインとワールドカップ決勝を戦うことになる。もし、このエピソードのどれか一つでも欠けていれば、メッシの代表キャリアはまったく違うものになっていたかもしれない。



筆者:石井彰(編集部)
画像提供:Getty Images

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