石川県出身「最高のJリーガー」5名
石川県出身「最高のJリーガー」5名

1月1日に発生した能登半島地震で大きな被害を受けている石川県。今回はその石川県で生まれたJリーガーのベスト5選手をセレクトした。

豊田陽平

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プレーしたクラブ:名古屋グランパスモンテディオ山形京都サンガF.C.サガン鳥栖、蔚山現代、栃木SC、ツエーゲン金沢

石川県出身の名サッカー選手としてまず想像できるのは日本代表も経験した豊田陽平であろう。星稜高校でプレーしたあと、高卒ルーキーとして名古屋グランパスに加入。初年度から出場機会を獲得し、2年目には4ゴールを決めるなど結果を残した。

その後プレーのチャンスが減ったこともあって2007年にはモンテディオ山形、2009年には京都サンガFCと移籍し、2010年に加入したサガン鳥栖で大ブレイク。毎年のように2桁ゴールを叩き込み、Jリーグ屈指のストライカーとして成長した。

2022年からは地元石川県のクラブであるツエーゲン金沢でプレーしており、38歳になった今も主力選手の一人として現役を続けている。ちなみに今季がキャリアで初のJ3リーグ挑戦である。

橋本晃司

石川県出身「最高のJリーガー」5名
石川県出身「最高のJリーガー」5名

プレーしたクラブ:名古屋グランパス、水戸ホーリーホック大宮アルディージャ川崎フロンターレ、オレンジ・カウンティ、いわてグルージャ盛岡、鈴鹿ポイントゲッターズ

星稜高校で本田圭佑、豊田陽平と共にプレーした攻撃的MF。その後明治大学で長友佑都や小川佳純とチームメイトになり、アタッカーとして目覚ましい活躍を見せた。そして特別指定選手として名古屋グランパスに加入してプロデビューした。

名古屋ではほとんど出場機会を与えられないまま退団することになったが、2012年に加入した水戸ホーリーホックでレギュラーを獲得し、2013年にはシーズン12ゴールを獲得するなど活躍。高いテクニックを生かしたプレーで注目を集めた。

その後大宮アルディージャや川崎フロンターレを経てアメリカの独立リーグでプレーするなど珍しいキャリアを歩み、さらに一度引退したあとで鈴鹿ポイントゲッターズに加入。現役復帰してJFLでプレーし、2022年限りでスパイクを脱いだ。現在はテレビ金沢で営業職。

作田裕次

石川県出身「最高のJリーガー」5名
石川県出身「最高のJリーガー」5名

プレーしたクラブ:水戸ホーリーホック、大分トリニータ、モンテディオ山形、ツエーゲン金沢

豊田陽平、橋本晃司、本田圭佑らとともに星稜高校の黄金期を経験しセンターバック。卒業後は筑波大学へと進み、そして2010年に水戸ホーリーホックでJリーガーデビューを果たした。

対人戦に強いディフェンダーとして活躍を見せ、セットプレーでの得点力にも定評があった。Jリーグ1年目で水戸ホーリーホックのレギュラーを掴み、36試合に出場。その後大分トリニータ、モンテディオ山形を経て地元のツエーゲン金沢へと加入した。

当時J3だったチームを1年でJ2昇格に導き、2018年までは絶対的なレギュラーとして存在感を発揮。2021年に現役を引退してからもクラブに残り、アンバサダーとU-15のコーチを務めている。

高木貴弘

プレーしたクラブ:ジェフ市原、ザスパ草津、大宮アルディージャ、コンサドーレ札幌アルビレックス新潟FC岐阜、SC相模原

Jリーグで長くプレーしたゴールキーパー。石川県出身で星稜中学校を卒業したが、その後ジェフ市原ユースに加入して千葉県へと移住。2001年にトップチームへと昇格し、Jリーガーとなった。

プロになってからはなかなか出場機会に恵まれなかったものの、2006年に移籍したザスパ草津でレギュラーとして活躍して注目され、2007年にはコンサドーレ札幌でJ1昇格に大きく貢献するなど活躍。日本にその名を轟かせた。

ただJ1では1年での降格となってしまい、その後はどのクラブでもあまり出場機会がなかったものの、15年間に渡って各クラブで信頼できるサブとして大きな役割を果たした。現在は北海道コンサドーレ札幌でトップチームのGKコーチを務めている。

田中俊也

石川県出身「最高のJリーガー」5名
石川県出身「最高のJリーガー」5名

プレーしたクラブ:サンフレッチェ広島愛媛FC、ツエーゲン金沢

最後は迷ったものの、愛媛FCでエースストライカーを務めた経験を持っている田中俊也をセレクト。星稜高校時代には全国大会で12ゴールを決めたという実績を作り、ユース年代の識者からは大きな評価を集めた選手だった。

2003年には高卒でサンフレッチェ広島へと加入したがあまり出場機会がなかったことから愛媛FCにローン移籍。それが彼にとっての天気になり、2006年にはJ2で14ゴールを決めるなど大活躍を見せた。

2009年限りで愛媛FCを退団したあとは地元のツエーゲン金沢に加入し、JFLを戦った。わずか1年での退団にはなったものの、そのキャリアの最後を出身地の金沢で締めくくった。現在は指導者を務めている。