日本女子テニスの活性化と若手育成を目的として、往年のスター選手たちが立ち上がった。伊達公子さんが、世界ランキング50位以内を記録した元選手たちに声をかけて立ち上げた団体「一般社団法人Japan Women’s Tennis Top50 Club」(JWT50)が、世界への扉を開く国際大会を新設。

4月から6月にかけて開催された3大会で、3人の選手が飛躍のきっかけを掴んだ。大会創設に込められた、「選手にとって居心地の良い大会にはしない」の真意とは?

(文・写真=内田暁)

「日本の選手が再び世界で活躍するために」JWT50が起こしたアクション

「選手にとって、居心地の良い大会……には、しませんので!」

少しばかりいたずらっぽい笑みを湛え、伊達公子さんがそう言ったのは、ちょうど1年前のことだった。彼女が “一般社団法人Japan Women’s Tennis Top50 Club(以下JWT50)”を立ち上げ、近い将来「ITF$15000の大会を日本に立ち上げたい」と、宣言した時のことである。

前出したいくつかの用語については、少々解説が必要だろう。

まずは、“JWT50”。これは、元シングルス世界4位の伊達さんが、日本女子テニスの活性化と若手育成を最大の目的に、世界ランキング50位以内を記録した元選手たちに声を掛け立ち上げた団体だ。現在、同組織の構成員は9名。

伊達さんの志に賛同した同胞たちが、「日本の選手が再び世界で活躍するにはどうすれば良いのか?」「何が障壁になっているのか?」と話し合いを重ね、具体的な方策を探ってきた。

各々が熱い想いと意見を交わすミーティングの中で、「今、日本にITF$15000の大会が無いのよね」とこぼしたのは、元世界24位の神尾米さんと、同47位の中村藍子さん。引退後、指導者として後進育成に勤しんできた二人は、「ジュニアや若手が世界に羽ばたく上での障壁」として、同じ悩みを抱いていた。

では、“ITF$15000”とは何か? これは、テニスの国際大会の中で、最もグレードの低い大会群のことである。「ITF」は「国際テニス連盟公認大会」の意で、参戦選手には世界ランキングが付与される。“$15000”は大会の賞金総額で、この金額がそのまま大会のグレードと言えるだろう。

グレードの低い大会とは、いわば世界へと羽ばたくとば口。まだ世界ランキングを持たぬ若手やプロ予備軍は、“ITF$15000”大会に出場してポイントを獲得し、ランキングを上げながらよりグレードの高い大会群へと挑戦していくのが、トッププロになる順路。伊達さんをはじめ、JWT50のメンバーに名を連ねる面々も、かつて同じ道を歩んだ。

ただその“ITF$15000”大会群が、2年前の時点で日本に一つも存在しなかった。

理由としてひとつ考えられるのは、興行的メリットが少ないこと。名のある選手の出場が見込めないとなれば、企業もスポンサーとなることに二の足を踏む。

とはいえ“世界への扉”が閉ざされてしまっては、ジュニアや若手の成長は見込めない。そこで伊達さんたちがまっさきに動いたのが、この大会群の新設だったのだ。

「居心地の良い大会にはしない」という言葉の真意

いざやると決めれば、動きは早かった。伊達公子や杉山愛ら、実績も知名度も、そして何より理念のある人たちが動くのだから、賛同する者も増える。大東建託を冠スポンサーに、“W15大東建託オープンsupported by JWT”と銘打った国際大会群を新設し、既に今年4月末から6月にかけ3大会を開催した。

第1回目の大阪市大会のトーナメントディレクターを務めたのは、伊達さん。2回目の福井市では杉山さんがその役職につき、先週千葉県柏市で開催された3大会目では、元世界41位の森上亜希子さんが担った。

大会の特性として挙げられるのは、ランキングを持たぬジュニアや一般の中高生にもチャンスを与えるべく“ワイルドカード選手権”も開催し、将来性を感じさせる選手には特別賞などのインセンティブを与えたこと。一貫しているのは、「この大会を足掛かりに、世界へ羽ばたいて欲しい」との想い。それが冒頭に記した、「居心地の良い大会にはしない」の言葉の真意である。「このクラスの大会群は、一気に突破し二度と戻ってこないという決意が必要」というのが、JWT50会の面々が抱く共通認識だ。

それら大会創設に込められた伊達さんたちの想いは、参戦選手たちにも自ずと伝わるだろう。

一回目の大会会場となったITC靭テニスセンターは、ツアー大会や国別対抗戦の会場にもなり、複数のミーティングルームも備える施設。

ただ伊達さんたちは、あえてそれらの部屋は使わなかった。通路の一角に衝立を立て、踊り場や出入口付近のスペースを、事務所や選手ラウンジとして用いる。狭い一角に、伊達さんに杉山さん、森上さんら往年のスターたちがひしめく現場は、自ずと良い緊張感に包まれた。その空気に肌身で接した選手たちは、大会に参戦する意義を感じながら試合コートに向かったはずだ。

世界への扉を開いた3人の王者

実際に、3つの大会を制した3人の選手は、いずれもそれぞれのキャリアにおける転換期を迎えていた。

大阪を制した川口夏実は、年始に800位だったランキングを、現在300位台にまで上げている20歳。

“盛田正明テニスファンド”の支援を受けてフロリダにテニス留学し、全豪オープンジュニアのダブルスを制したトップジュニアだった。

だが、本格的にプロ活動を始めようとしたまさにそのタイミングで、世は新型コロナウィルスに覆われる。出端をくじかれ、飛躍の機を逸していた彼女にとって、この大会の優勝は仕切り直しへの大きな一歩になった。

福井大会で頂点に立ったのは、大阪大会準優勝者の倉持美穂。ジュニア時代にエリート街道を歩んだ川口とは対照的に、早稲田大学卒業後にプロ転向した24歳である。倉持もプロ転向の年は、コロナ禍による渡航規制も厳しく、日本での国際大会もことごとく中止となったため、思うようにポイントを稼げなかった一人。それでも、来たる機に備え練習とトレーニングを重ねた意志が、今実を結びつつある。

柏市大会優勝者の伊藤あおいは、早くからプロ志向の強かった19歳。テニス愛好家で現在はコーチを勤める父の時義さんが、伊藤を指導するにあたってお手本としたのは、他でもない伊達公子さんだ。

「伊達さんは、あの小柄な体で世界の4位まで行けることを証明した。あんなに良いお手本を見習わない手はないじゃないですか」と、時義さんはサラリと言う。

伊藤にとっては、伊達さんはキャリアの原点。

「お父さんが伊達さんに憧れ、私はそれを教え込まれてきた。その伊達さんが大会を開催してくれたことに感謝だし、出場の機会を頂けて光栄です」

力みのないプレースタイル同様の柔らかなトーンで、伊藤はそう言い小さく笑った。

なお伊藤は、2020年末に開催されたダンロップ主催の“ROAD TO THE AUSTRALIAN OPEN”を制し、翌年の全豪オープンジュニアの出場権を獲得していた。だがコロナ禍のため、選手の派遣は見送りになり出場できなかった経緯がある。

年齢や歩んだ足跡は異なる3大会の優勝者だが、彼女たちに共通するのは、いずれもコロナ禍によりキャリアのスタート地点で足止めをくらうも、確固たる意志を持ち、世界やプロを志し続けた点だ。

「選手にとって、居心地の良い大会にはしない」の真意をくみ取った選手たちが、タイトルを手にしたことは大会創設者にとっても大きな意義を感じられたことだろう。

「早く(このレベルの大会は)卒業してね」

伊達さんたちは優勝者に、そんな言葉を贈った。

なおこの夏にも北海道札幌市で、3大会連続でJWT50主催大会が開催されることは決まっている。

どのような決意を抱き、いかなる道を歩んだ選手が、次にタイトルを手にするのか? そしてここから彼女たちは、いかなる飛翔を見せるのか?

始まりの始まりを予感させる何かが、今、動きだしている。

<了>