韓国の李在明(イ・ジェミョン)政権発足後の日韓関係について、韓国紙は「関係改善に向けた期待が高まっているが、まだ安心できないとの見方も根強い」と報じた。これまで両国関係は韓国での新政権発足直後は回復の兆しが見られるが、後に歴史問題などで悪化するパターンが繰り返されてきたからだ。
朝鮮日報によると、「2003年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領就任式には当時の小泉純一郎首相が出席し、同年6月に盧武鉉大統領が日本を国賓訪問した際には「未来志向的な両国関係」を約束した。
翌年も両首脳は済州島で「ノーネクタイ」で会談するなど個人的な関係を深める様子も演出した。その後は歴史問題や日本による独島(日本名・竹島)周辺での海底探査問題で摩擦が表面化。盧武鉉大統領は06年に韓日関係に関する特別談話を自ら読み上げ、「世界の世論と日本国民に日本政府の不当な措置を絶え間なく告発する」と訴えた。
08年の李明博(イ・ミョンバク)大統領就任式にも現職の福田康夫首相が出席した。李明博大統領は就任当日に初の日韓首脳会談を行い、日韓シャトル外交復活した。実際にそれから2カ月後に李明博大統領は日本を訪問し、福田首相と会談した。
ところが日本政府が同年7月に公表した「中学校社会科新学習指導要領」に竹島に関して「韓国が不法に占有」というニュアンスの記載があり、これに李明博大統領は「深い失望と遺憾を表明する」として抗議した。さらに12年には李明博大統領が韓国の現職国家元首として初めて竹島を訪問したため、両国関係は急速に悪化した。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領は17年に就任した際、両国の過去史問題を克服し未来志向的な関係を約束した「金大中(キム・デジュン)-小渕宣言」(1998年)の継承を明言した。
同年、文在寅政権は慰安婦合意を事実上破棄。18年には韓国の大法院(最高裁判所に相当)が新日鉄住金(現日本製鉄)に強制徴用被害者への賠償を命じる判決を下したため、日韓関係は再び最悪の状況となった。
日本は19年に韓国をホワイトリスト(輸出管理優遇措置対象国)から除外するなど強硬に対応し、韓国では「ノー・ジャパン(日本製品不買運動)」が盛り上がった。
朝鮮日報が日韓関係の先行きを不安視するのは、こうした動きが続いたためだ。記事は「李在明政権でパターンの変化はあるか」と言及し、関係改善に期待感をにじませた。(編集/日向)