ゴールデンウィーク前夜、大学から泰安の実家に戻った私は、父から連絡を受けた。
「泰安行きの新幹線で日本人の旅行者に出会ったんだ。
「うん、いいよ」と返信した。
こうして、日本人の吉見さんとウィーチャットの友達になった。吉見さんから、予定していた中国の友人が急病で来られなくなり、泰山観光に困っていると聞いた。「時間があれば、一緒に山に登りませんか?」と誘われ、私は喜んで引き受けた。翌朝、山麓で会う約束をした。
夜、ベッドで横になりながら、そのことを考えていた――これから見知らぬ外国人と泰山を登るのだ。少し失礼かもしれないが、吉見さんのことをネットで検索してみると、東京・西池袋公園の漢語角・日語角に参加している動画が見つかった。さらに驚いたことに、その動画を私は以前見たことがあり、「東京に行ったら参加したい」と思っていたのだ。こんな偶然があるなんて、不思議な縁だと感じた。
でもよく考えるとちょっと不安になってきた。日本語を2年勉強しただけの大学生で、読み書きは何とかできても、リスニングや会話は苦手だ。日本に行ったこともなく、日本人と話した経験は学校の日本人教師2人だけだ。本当にうまく話せるだろうか。だがその不安はすぐに消えた。泰安の人間として、外国人に泰山を紹介するのは私の役目だ。日本語の先生の言葉を思い出した。
「言葉は道具じゃない、架け橋だ。本当の交流には完璧な文法より勇気が必要なんだ」
泰山の入り口で、私は吉見さん本人と対面した。動画で見たよりずっと元気そうで、私を見ると優しく微笑んだ。「こんにちは!初めまして……」緊張しながらお互いのお辞儀をし、私たちの泰山の旅が始まった。
多分、これまでの人生で、最も集中して日本語を使った一日であっただろう。
それでも不思議なことに、私と吉見さんは中国と日本の文化比較、学校生活、旅行の面白エピソードなど、さまざまな話題を語り合った。観光スポットを通る度に、私は知っている日本語でできるだけの説明をした。言葉が足りず翻訳アプリに頼ることが多くても、吉見さんは一度も話を遮らず、私がたどたどしく話し終えるのを待ってから、真剣に返事をしてくれた。
西池袋公園の漢語角・日語角について私が切り出すと、吉見さんは嬉しそうにリュックからプラスチックの定規を取り出した――まさにあの動画で見たもので、漢語角・日語角のロゴが印刷されていた。画面越しに見たものが、今まさに私の手の中にある。
言葉は完璧でなくても、誠意さえあれば壁は越えられる。この小さな定規では東京と泰安の距離を測れないが、そこに込められたのは中日民間交流の絆だ――泰山の石碑が千年の風雨に耐えて今なお鮮やかなように、東京の漢語角も年を重ねても色褪せない交流を続けている。
文化の交流は、このような小さなきっかけから始まる。一本の定規、一言の「こんにちは」、そして心を開く勇気――これらが積み重なれば、言葉の壁は消える。
■原題:泰山で交わした、たった一日の絆
■執筆者:王心怡(斉魯工業大学)
※本文は、第21回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「『推し活』で生まれた新しい日中交流」(段躍中編、日本僑報社、2025年)より転載・編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。











