次々と新たなスターが生まれる新日本プロレスにおいて、致命的ともいえる約1年半のブランク。事実、この間に新日本プロレスを知った数多くのファンにとってジュニアヘビー級の超新星「高橋ヒロム」の名は、幻となりかけていた。


それだけに、2019年11月3日の大阪大会で突如ファンの前に姿を現し、見事なバンプ(受け身)を披露した彼の姿は、大きな衝撃だった。サンフランシスコでのアクシデントから1年半。彼は何を思い、そして何を目指していたのだろうか。2020年1月4日の東京ドーム大会、しかもタイトルマッチというこれ以上はない舞台を目前に控えた高橋ヒロムの心中を直撃した。

「引退試合」として闘い抜いたサンフランシスコでのタイトル戦

─2018年7月7日、サンフランシスコで行われたIWGPジュニアヘビー級選手権の試合中に受けた首の負傷により、約1年半という長期欠場から、ついに復帰することになりました。長期欠場を経験したレスラーの中には、欠場中は敢えて試合の映像やニュースを観ないようにしていた人もいるようですが、ヒロム選手の場合はどうでしたか?

ヒロム 俺の場合は、どっちもあったかなという感じですね。1年半っていうホントに長い間だったので、正直途中で(プロレスから)距離を置いていた時期もありましたよ。

─具体的には、いつ頃なんでしょう。

ヒロム 最初に心が折れたのは、ニューヨークであったマディソン・スクウェア・ガーデンの大会(2019年4月)に出られないことが確定したときですね。そこから、BEST OF THE SUPER Jr.(5月~6月/ジュニアヘビー級のシングル・リーグ戦)の間くらいまでが、いちばん気持ちが離れてしまっていた時期だと思います。

─逆に言うと、それまでの間は心が折れていなかったと。

ヒロム はい。
気持ち的には、2019年のイッテンヨン(東京ドーム大会)で復帰する予定でいたので。

─なんと。それって首の怪我からの復帰としては、かなりの早業じゃないですか。

ヒロム そうなんですよね。でも、自分の中では復帰する気満々でしたから。確かに試合でケガをした瞬間は「これで引退するんだな」と思いましたよ。(アメリカの病院に)入院したときも3日間絶対安静で、その間に何かあったら、もう体が動かせないかもしれないよって言われましたし。

─僕らファンも、あの時は正直もうダメなんじゃないかと思っていました。

ヒロム でも、奇跡的にアメリカの病院は3日で退院できたんです。幸い、首の骨折だけで済んだので。まさに絶望から大逆転の3日間じゃないですか。だからその時は調子に乗って、東京ドームどころか7月22日の八王子大会で復帰戦だなとか思ってて。
俺、地元が八王子だから(笑)。

─骨折”だけ”って! それだけでも十分すぎる大ケガだし、なんなら打撲のダメージだって、そんなに短期間では全快しないですよね? いくらプロレスラーだって。

ヒロム そうなんですけど、なにしろケガした瞬間は、マジで引退だと思ってましたからね。全身に痛みが走るというか、体が熱くなって動けなくなったんです。

─話を聞くだけでも恐ろしい。

ヒロム で、これはもう終わりだなと思って一度はレフェリーに試合を止めてくれって頼んだんですけど……その一瞬後で気づいたんですよ。これが引退試合になるんだったら、カッコつけとかないと面白くないなって。それですぐに続行をお願いして、タイトル防衛して、控室に戻ってから倒れたんです。

─想像を絶する激痛だったと思うのですが、よくそこまで冷静な判断ができましたね。

ヒロム 中途半端な痛みだったら、逆に試合を止めてもらっていたかもしれないですね。逆に「もうダメだ」と思ったからこそ、最後をきれいに飾っておきたかった。今思えば、レフェリーにも申し訳ないことしましたよね。
場合によっては、試合続行の判断を責められても不思議じゃなかったわけですから。でも、俺はあのとき続行を認めてくれたことに、心から感謝しています。

敢えて設けた約5カ月の「空白期間」は高橋ヒロムの何を変えたのか?

─言われてみれば、そんな状態から3日で退院できたわけですから、早く復帰したい気持ちになるのも、無理はないのかもしれないですね。

ヒロム そうなんですよ。実際、痛めたのは首だけだったんで、体はすぐに動かせる状態になっていました。なんなら、首の痛みも割と早く消えていて。受け身だけは今年(2019年)の5月くらいまでNGだったんですけど、他のトレーニングはできる範囲でずっと続けていたんです。

─復帰のゴーサインが出たのは、いつ頃だったんでしょう?

ヒロム BEST OF THE SUPER Jr.が終わったくらいのタイミングでしたかね。お医者さんから、首の骨がつながっていると判断していただいたのは。

─6月くらい、ということですね。だとすれば、復帰宣言を行った11月3日のエディオンアリーナ(大阪)大会まで、実に半年ほどの「空白期間」があったことになります。その間、敢えて表舞台に出てこなかった理由は、どこにあったのでしょう?

ヒロム 自分の中では、再びお客さんの前に顔を出すなら、いちばん目立つ瞬間を狙ってやろうって決めてたんですよね。
BEST OF THE SUPER Jr.のタイミングは逃してしまったので、次に目立つ場所となるのが、11月3日のエディオンアリーナ大阪だったと。毎年この大会で、次の東京ドーム大会で行われるIWGPジュニアヘビー級戦の挑戦者が決まることが多いんですよ。そこで、俺が颯爽と登場して挑戦表明すれば、いちばん面白いじゃないですか。

限界の淵を見た男、高橋ヒロムが東京ドームで掴む2つの「栄光」

Photo by Shuya Nakano

─確かにそうですけど、一時は八王子で復帰しようと思うほど、気持ちがはやっていたわけじゃないですか。よく、そこまで我慢できましたね。

ヒロム 逆に、11月までの時間を自分のためだけに使えるのってチャンスなんじゃないか? って気づいたんです。しようと思えばすぐにでも復帰できたけど、せっかくだから、この時間を上手く使って、もっと強くなってやろうって。他の選手が、ツアーや試合を重ねてダメージを蓄積させている間に、俺は十分に休息をとったりトレーニングしたり、プロレスについてじっくり考えたりすることができました。

─選手として、滅多に得られない充電期間だったと。

ヒロム しかも、タイトルマッチだけに集中していましたからね。大阪で復帰宣言をしたときに、病み上がりでいきなりタイトルマッチなんて大丈夫か? みたいな声も出てましたけど、何言ってんの? こっちは、とっくに仕上がってんだよ! って感じでしたよね(笑)。

オスプレイを倒すことで、ようやく「あの時」の続きが始まるんです

─タイトルマッチの相手となるIWGPジュニアヘビー級現王者のウィル・オスプレイ選手については、どう見ていますか? ヒロム選手の欠場中は、まさに新日本のジュニア戦線を席巻する存在になっていましたが。


ヒロム 俺がいない間の新日本ジュニアで、唯一焦らされたのがオスプレイでしたよね。あいつだけがズバ抜けて化け物。他の選手は、まったく眼中に入らなかったくらい。

─来日当初はアクロバティックな空中技が持ち味という印象でしたが、それこそヒロム選手が不在だった期間を通じ、それ以外の要素も含め、総合的に一回りも二回りも成長した感じがします。

ヒロム いや、彼は最初からすべてがズバ抜けていたんですよ。もし観客から見て、この期間で大きく成長したように思えるなら、それは彼が自分の強さや魅力をアピールする術を身に着けたということなのかもしれない。

─魅力という点でいえば、失礼ながらルックスも随分とカッコよくなりましたよね。最初の頃は、イギリスの好青年みたいに素朴な印象だったのに。

ヒロム 新日本プロレスでの闘いを通じて、自分に自信がついたんでしょうね。元々ズバ抜けていた男が自信を得てしまったんですから、これは恐ろしいですよ。

─先日の記者会見でも、全面的にオスプレイ選手を称賛していました。やはり今回は、そんな彼に挑む気持ちのほうが強いのでしょうか。


ヒロム もちろん立場的には挑戦者なので、挑む気持ちで闘いますけど、一方で東京ドームでの試合は、自分にとって「あの時」の続きという想いもありますよね。

─サンフランシスコでのタイトルマッチですね。

ヒロム 実はあのとき、俺としては最多防衛記録を狙うつもりで闘っていたんです。でも記録は結局2回で、しかもベルト返上という形で止まってしまった。だから、早く試合を再開させて(俺のベルトを)返してくれよって気持ちもあって。

限界の淵を見た男、高橋ヒロムが東京ドームで掴む2つの「栄光」

Photo by Shuya Nakano

─とはいえヒロム選手が認めているように、現在のオスプレイ選手は、かなりの強敵ですよね。

ヒロム だからこそ、なんですよ。今のオスプレイを越えないことには、最多防衛記録なんて目指せっこないわけじゃないですか。それはつまり、オスプレイを倒さないと「あの時」の続きが再開できないってことなんです。

─止まっていた時計の針を、また動かしたいと。

ヒロム それどころか、まったく別世界の始まりですよ。1年半の間、俺を焦らせ続けていたオスプレイを倒した時の俺って、間違いなく最高に面白い存在になっているわけですからね。

怪我をしなければ見えない世界、進めない道もあるんだ

─東京ドームでの対戦相手としては、1月5日に予定されている獣神サンダー・ライガー選手の引退試合にも出場が決まりました。先日、ライガー選手にインタビューをした際、ヒロム選手に対し「ケガをしない運」を身に着けてほしい、というような発言をしていたんですよね。現役生活で大きな怪我が少なかった、ライガー選手ならではの優しい言葉だなぁと思ったのですが。

ヒロム ……俺へのエールだってことはわかりますけど、正直なとこ「運が悪かったからケガした」みたいなことを言ってほしくないんですよね。

─表情が変わりましたね。

ヒロム そもそも運が良いとか悪いとか、そういうの俺はあんまり信じていないっていうか、人生の最初から最後まで、自分に起こる出来事はすべて、あらかじめ決まっていると思っているんです。

─運命論者的な。

ヒロム そうですね。運命からは逃げられない、っていうか。だからこそ、降りかかった出来事を、自分なりに最大限ポジティブに活かさないとダメなんですよね。運悪くケガした、みたいな考え方だと、ネガティブになっちゃうじゃないですか。

─確かにそうですね。

ヒロム 怪我をしない選手がプロ、みたいな言い方をする人もいたけど、それも可笑しな話なんですよ。俺だって、怪我なんてしたくなかった。レスラーなら誰だってそうでしょ? でも、プロレスラーである以上、怪我のリスクから逃れることはできないんですよ。リングの上で、命がけで闘っているんですから。俺はあの怪我を運命として受け入れているし、あの怪我があったからこそ、様々な面で成長できた自分がいると思っています。怪我が縁となる、新しい出逢いもありましたしね。

─どういうことでしょう?

人間関係でいえば、マキシマム ザ ホルモンのダイスケはん(Vo)やflumpoolの山村隆太さん(Vo)と知り合いに知り合えました。変な話ですが、互いに同時期に怪我や病気で”欠場”していたことがきっかけで。お互いに今こんな練習をしているんだよとか報告しながら、励まし合っていました。

─確か、以前からマキシマム ザ ホルモンのファンでしたよね。

ヒロム そうなんですよ。同じ八王子出身っていうこともあって、俺の中では神的存在です。そのボーカルのダイスケはんと、知り合いになれたわけですから。しかも、ダイスケはんと山村さん、両方の復帰ライブを観ることもできたんです。彼らの”復帰戦”には、大きな刺激をいただきましたよ。俺も負けてられないなぁって。

─欠場中でなければ、ライブを観に行く時間なんてつくれないですものね。

ヒロム そうなんですよ。動けないわけじゃなかったですからね。欠場中は、ライブを含め様々なエンタメに積極的に触れるようにもしていました。今年のSUMMER SONICもバッチリYouTubeで家ソニ観戦してましたし。

─それこそ新日本プロレスのツアーと、がっつり重なってしまう時期ですものね。お目当てのバンドがいたとか?

ヒロム The 1975がヤバかったですね。サウンド的にはエクストリームっていうわけでもないんだけど、どこか生き急いでいる感じっていうか、なんか今の俺と通じ合うものがあるなって思えて。

限界の淵を見た男、高橋ヒロムが東京ドームで掴む2つの「栄光」

Photo by Shuya Nakano

─ちょっと意外なチョイス。しかも、なかなか鋭い見方をしていますね。

ヒロム で、すごい好きになったんで、こりゃ単独ライブも観とかなきゃって、その後すぐタイまで追っかけたんですよね。

─なんと! それって、無茶苦茶フットワーク軽いじゃないですか。

ヒロム 元々そういうとこがあるのかも。そういえば、今朝メキシコから帰ってきたばかりだし。新日本の道場が工事中で使えないんですよ。だったら、メキシコで練習しようかなって、10日間ほど向こうに行ってきたばかりなんです。

ライガーを倒した先に目指すのは、新たなジュニアの「顔」

─まさに「すげぇー!」としか言いようがない(笑)。って、ちょっと話が脱線してしまいました。あらためて5日に対戦するライガー選手について聞きたいと思います。欠場中ではありましたが、ヒロム選手はライガー選手の引退試合の相手に、いちはやく立候補していましたよね。結果的に、ライガー選手からの指名という形で、それが叶った形となりましたが。

ヒロム 俺としては、引退試合の発表があった3月の時点で指名してほしかったというのが正直なところですね。なんか、最後まで「誰でもいい」みたいなこと言ってたじゃないですか、あの人。それって、俺が好きだった獣神サンダー・ライガーの態度じゃないから。

─5日のカードが発表された際には、ヒロム選手へのメッセージとして「俺を木っ端みじんに叩き潰してほしい」とも言っていました。

ヒロム そんな言葉、ホントは聞きたくなかったですよ。俺が闘いたいのは、子どものころから憧れていた強くて怖いライガーなんです。好きだからこそ言いますが、弱気なライガーとなんて闘いたくない。やる以上は、俺のベルトを奪って引退、くらいの迫力を見せてほしいな。でなきゃ、試合する意味がない。

─かなり手厳しいですね。逆に言えば、それだけライガー選手に対する想いが強いのかと。

ヒロム ライガーさんに対する想いの強さは、誰にも負けてないですよ。だからこそ、最初に引退試合の相手として立候補したわけですし。なぜなら、ライガーを超えることができるのは俺しかいないから。これまで新日本、いや世界のジュニアヘビー級の「顔」がライガーだったとしたら、次の「顔」になるのは誰なのか。俺は誰よりもその「顔」になりたいし、なると決めてますから。異論は認めるけど、だったら俺を蹴散らしてみろってこと。今言いたいことは、それだけですね。

限界の淵を見た男、高橋ヒロムが東京ドームで掴む2つの「栄光」

Photo by Shuya Nakano

高橋ヒロム(たかはしひろむ)
1989年、東京都八王子市出身。デビュー当初から負けん気の強いファイトとアピールの強さで注目を集め、2012年には直訴によりBEST OF THE SUPER Jr.初出場を決める。2013年から海外修業へ旅立ち、メキシコではマスクマン「カマイタチ」として活躍。2016年の凱旋帰国後から現在のリングネームとなりロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン入り。2017年にIWGPジュニアヘビー級を初戴冠。2018年7月から長期欠場に入り、2019年12月19日後楽園ホール大会で復帰。2020年1月4日の東京ドーム大会ではIWGP Jr.ヘビー級王座に挑戦する。

<INFORMATION>

WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム
2019年1月4日(土) OPEN 15:00 / START 17:00
2019年1月5日(日) OPEN 13:00 / START 15:00

【高橋ヒロム選手出場試合】
2019年1月4日(土)
IWGPジュニアヘビー級選手権試合
60分1本勝負
ウィル・オスプレイ(第85代チャンピオン)vs 高橋ヒロム(挑戦者)

2019年1月5日(日)
獣神サンダー・ライガー引退試合Ⅱ
60分1本勝負
獣神サンダー・ライガー&佐野直喜with藤原喜明 vs 高橋ヒロム&リュウ・リー

https://www.wrestlekingdom.jp/
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