13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部などで活動した倭寇は、当時の明にとって頭の痛い問題だったようだ。特に前期倭寇は日本人を主として構成されていたと言われるが、中国メディアの快資訊はこのほど、「なぜ倭寇は明にとって大きな脅威になったのか」と問いかけ、この理由について分析する記事を掲載した。
倭寇は、海賊集団としてよく知られているが、実際には海賊的な活動はその一部に過ぎず、幅広く貿易活動なども行っていたようだ。しかし、記事では倭寇の海賊行為に注目し、当時の明は倭寇に悩まされていたと伝えた。
明は中央集権の大国だったのに、なぜ倭寇を追い払うことができなかったのだろうか。記事によると、明の「文官」に問題があったという。「文官」は武力による解決ではなく政治的な方法で問題解決を図るが、「倭寇は道理を説いて通用する相手ではなかった」と主張し、文官では役に立たなかったと主張している。
そして、明では「文官を重視して武官を軽視する」傾向が頂点に達しており、文官は武官のことを「匹夫の勇」に過ぎないと見なしていたという。それで、戦争で武官が果敢に攻めれば「功をむさぼり、目先の利を好む」と批判し、兵を動かさなければ「優柔不断でわざと敵を攻撃しない」とやはり批判していたそうだ。
しかし、後に戚継光という武将が現れ、倭寇を追い払っただけでなく、明政府内の腐敗した文官も追い出したことは、明にとって幸いなことだったと記事は結論した。現代では、文民統制はどの国においても基本方針であり、中国も同様のはずだが、記事の中国人筆者は文官を否定的にとらえているようだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)