呂氏は1905年、遼寧省の生まれ。東北軍閥の張学良の腹心として秘書を務めた。張学良は父親の張作霖が日本軍に爆殺されたことがきっかけで、それまでの抗争相手だった蒋介石が率いる国民党に合流(1928年)。しかし1931年の満州事変で、故郷の東北地方を追われた。36年には西安で蒋介石を軟禁し、共産党との協力を迫り、実現させた(第二次国共合作)。
呂氏は1937年に中国共産党入党。同年の盧溝橋事件発生後は率いる部隊とともに国民党を離れ、人民自衛軍として日本軍を相手にゲリラ戦を展開。河北省を中心に大きな戦果をあげたとして知られる。
1945年には中国共産党東北局委員に就任。共産党と国民党が中国の支配を争った解放戦争期には、東北軍区副司令官などを務めた。中華人民共和国が成立した1949年10月から1965年1月までは中央政府の鉄道部副部長、65年1月からは鉄道部長を務めた。
75年には政界に復帰し、鉄道兵政治委員や中央軍事委員会委員などを務めた。正式の名誉回復は1980年。
張学良の部下だった1920年代にテニスをたしなむようになり、90歳になるまでプレーしたという。中国テニス協会会長も務めた。
なお、中国では呂氏が「106歳で死去」とする報道もある。中国建国60周年の10月1日を記念する記事で、9月28日に家族が「(もうすぐ)106歳になる。耳は遠いが話はしっかりしている」と語ったと紹介されたため、混乱したと思われる。生年を付記している記事は104歳と紹介している。
ちなみに、中国では年配の人が自分の歳を「数え」で語ることが比較的多いが、その場合、呂氏の年齢は死去の時点で105歳になる。(編集担当:如月隼人)
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