日本語と中国語(175)-上野惠司(日本中国語検定協会理事)

(58)カクシャク(矍鑠)――仮名書きで十分

 矍鑠。むずかしい字ですね。
こんな字、別に書けなくてもいい。読むほうも、読めるにこしたことはないが、まあどっちでもいい。

 カクシャクという音から、元気のいい様子、しゃんとしたさまを言っているのだなという勘が働けば十分である。書くこともないが、その必要があれば、カクシャクと仮名で書いておけば、十分である。

 コントン(混沌・渾沌)、カンナン(艱難)、テンメン(纏綿――「情緒纏綿」のテンメン)、ホウコウ(彷徨)など、同じ韻を重ねて用いた語呂合わせみたいな熟語は、あまり漢字の意味にこだわらずに、音から伝わる感覚から、つまり勘で理解することが大切である。字のほうにあまり意味がないのだから、いちいちむずかしい漢字を書かなくても、仮名で済ませておけばよいのである。

 上のような熟語は、専門用語、つまり私たちのショウバイ用語で畳韻(じょういん――同じ韻を重ねる)と称しているが、カクシャク(矍鑠)もその一つというわけである。

(59)カクシャクは何歳から?

 ところで、「カクシャクとした老人」ということばから思い浮かぶのは、何歳くらいの老人だろうか。

 60代?70代?80代?人それぞれだろうが、「年をとっても、丈夫で元気のいい様子」という以上、少なくとも70代に達していなければ使いにくいように思う。もっと上?「大勲位」とやらの最高位の勲章をお持ちの元首相や、98歳で現役の何とか病院の理事長先生も、カクシャクたる老人と称してよさそうだ。

 「矍鑠」という語は『後漢書』の馬援伝に出てくる。年老いた馬援将軍が、まだまだ戦えるとよろいとかぶとを身に着け、馬に騎ってみせたところ、光武帝が「矍鑠たるかな、この翁や」と称えた。
以来、「矍鑠翁」は馬援の代名詞として使われるようになったという。

 時に馬援将軍、まだ62歳であった。史書の記述であるから、いうまでもなく数え年であろうが、当時の62歳、現代ならやはり優に80歳を超えているに違いない。70歳が古来稀であった唐の杜甫の時代よりも、さらに数百年の昔の話なのだから。

(60)「致仕」――70歳引退は古来の習わし

 数えにせよ満にせよ、「古稀」が人生における一つの節目であることはまちがいない。

 ところで、この「古稀」と先にちょっと触れた『論語』の「従心」のほかに、もう一つ70歳の異称があるのをご存じだろうか。

 「致仕」(ちし)、或いは「致事」。「致」の字、「いたす」と読んで「力を尽くす」という意味があるので、まちがって「致仕」を仕官することだと取り違える人がいるが、正反対で、実は「官職を返上する」こと。

 白居易に「不致仕」という詩があり、「七十而致仕、礼法有明文」(七十にして致仕するは、礼法に明文あり)と詠んでいる。「明文」(はっきりと記されたよりどころ)とは、『礼記』の「大夫七十而致事」(大夫は七十にして事を致す)を指しているのであろう。

 役人の定年が70歳というのは、古代にしては(いや、現代においても)長すぎるように思われるが、今日のように人材が有り余っていなかった当時にあっては、珍しくはなかったのであろう。余人をもって代えがたく、やむをえず職にとどまる場合は、天子から杖を賜ったり、特別な車駕の使用を許されたりした。
(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)

【関連記事・情報】
私はカクシャクとしていない ことば雑録(24)(2009/10/21)
「恙無し」とツツガムシは関係なさそう ことば雑録(23)(2009/10/14)
「恙無し」は毒虫にかまれないことか? ことば雑録(22)(2009/10/07)
タケウマを知っていますか? ことば雑録(21)(2009/09/30)
「紅旗」雑誌も車も今は昔 ことば雑録(20)(2009/09/23)
編集部おすすめ