日本のアーティストの海外進出が盛り上がっています。なかでも、アメリカ最大規模の野外フェス、コーチェラに出演したYOASOBI。
そして、アメリカの公共ラジオNPRの人気番組『Tiny Desk Concert』日本版の藤井風が話題を呼びました。

J-POPから消すことの出来ない「個性」の正体

 カラフルなサウンド、ハーモニーとリズムの複雑な構成。いずれをとっても海外勢に引けを取らないどころか、もっと緻密なことをこともなげにやってのけている姿にたくましさすら覚えました。

 “ひょっとするとJ-POPは洋楽を超えてしまったのではないか?”と思うほど、YOASOBIと藤井風のパフォーマンスは堂々たるものでした。

 だとすれば、いつかK-POPのようなセンセーションを巻き起こせるのではないか、とも考えたくなりますが、筆者はそうは思いません。といっても、それは悪い意味ではない。急速かつ大量に伝播できない代わりに守られるユニークさがあることを、両者のパフォーマンスが教えてくれたからです。


 では、J-POPから消すことの出来ない個性とは何なのか。考えてみたいと思います。

YOASOBIの根幹を成す「ikuraの発声と滑舌」

 まずコーチェラのYOASOBI。カラフルなライティングに、めくるめくサウンドコラージュ。ヘヴィでアタックの効いたビートが刺激に拍車をかけていました。

 しかし、そうした演奏やプレゼンテーションにあって、それでもなお中心にあるのはikuraのボーカルなのですね。より正確を期すならば、ikuraの発声と滑舌こそがYOASOBIの根幹を成しているわけです。


 口の形を崩さずに発音する日本語で細かく刻むリズムを表現する。母音の伸びる日本語は、元来リズミカルになりにくい言語です。

 にもかかわらず、この矛盾した要素を音楽として成立させることこそが、YOASOBIの一番の醍醐味だと気付かされたのです。

 それは大ヒット曲「夜に駆ける」から変わっていません。けれども、歌メロ中心の「夜に駆ける」から、1曲の中に様々な断片を詰め込んだ「アイドル」、「ビリビリ」へと変化していく音楽性にあって、その特徴がさらに際立ってきている。

 つまり、海外仕様でサウンドのテクスチャ―を重視する作りになればなるほど、ikuraの声、日本語の滑舌の強さが浮き彫りになっているわけです。


“針の穴に糸を通すような”作業をしている藤井風

『Tiny Desk Concert』の藤井風も興味深く見ました。ソウル、R&Bのイディオムを見事に自分のものとして、いかにも“勉強しました”感もなく、一筆書きの柔らかさでもって体現する芸風は唯一無二です。

 けれども、藤井風の“ソウル”がクオリティを高めれば高めるほど、生々しさ、迫力からは遠ざかっていく。

 本家『Tiny Desk Concert』での、CHICやチャーリー・ウィルソン、そしてロバート・グラスパーやジェイコブ・コリアーなどと聴き比べると、藤井風は対照的、もっと言えば真逆です。

 子音の強さ、メリハリのあるアクセントを根拠とするハイハットやベースライン。分厚いハーモニーにおける多声の一部として機能するボーカル。こうした西洋のイディオムを身に着けながら、藤井風は日本語でもってそこに逆行して針の穴に糸を通すような作業をしているわけですね。


 それゆえに、彼の歌は細くしなやかにならざるを得ず、必然的に“洋楽”とは異なる響きを持ってしまう。

『Tiny Desk Concert』日本版でも、ディスアドバンテージこそが唯一無二の個性になることを示しているのです。

二組の海外進出が教えてくれたこと

 YOASOBIも藤井風も、日本語のリズム、抑音で考え、立案し、実演している音楽です。衣服は洋装でも、肉体は日本。古臭い言い方かもしれませんが、日本人が存在して日本語を話す限り、ここからは逃れられず、またそこにいつの時代にも通じる新しさが生まれるのではないでしょうか。

 作曲家の小倉朗(1916-1990)は『日本の耳』というエッセイで、こう書いています。


<なるほど、日本の音楽は知的作用を隔絶した世界である。ヨーロッパの音楽は、記譜法を確立するとともに、理論的体系を積み重ねながら調的な力を追求してきた。(中略)すなわち、ヨーロッパの音楽は調的な力の把握に知的作用の授けを借りたが、日本の音楽は、調性をひたすら体験的なものとして感じ、伝承してきたのである。(中略)いいかえれば、ヨーロッパの音楽は客観的、日本の音楽は主観的性格を持つということになる。もしベートーヴェンが音ではなく光を失っていたとしたら音楽は書けなかった。けれども古来日本の音楽家には盲人が少くない。
そういう日本ではもっぱら、耳づて、口づてで音楽が伝承されてきた。>(『日本の名随筆25 音』 團伊玖磨 編 作品社 p.70)

 ニュースのナレーターのようなikuraの滑舌と、読経のような藤井風のスムーズなR&Bは、どうしようもないほどジャパニーズ。

 改めてそのことを教えてくれた、価値ある世界進出だったのだと思います。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4