シーズン401奪三振、両リーグでのMVP獲得などの大記録を残し、「プロ野球史上最高の左腕」と評される江夏豊氏。78歳になった江夏氏の最後の書き下ろしとなった書籍『江夏の遺言』(江夏豊・松永多佳倫の共著、小学館刊)が話題を呼んでいる。
同書では「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など、球史に残る名場面を振り返ったほか、各球団での衝突と軋轢の真相、さらには引退後に起こした「過ち」からの再起の日々を赤裸々に明かしている。※本記事は『江夏の遺言』から本文の一部を抜粋、再編集したものです。

江夏豊が激怒した「江夏の21球」の真相。マウンドから睨みつけ...の画像はこちら >>

「江夏の21球」の裏にあった怒り

 
俺の広島時代といえば、「江夏の21球」がすぐ脳裏に浮かんでくると思う。

ノーアウト満塁からの21球が異常なほど“伝説”になってしまい、それ以降はどんなピンチであっても“江夏なら絶対に抑えてくれるはずだ”という期待が高まりすぎて、俺にはとてつもない重圧がのしかかった。大げさに聞こえるかもしれないが、自分の野球人生で学んだすべてがあの最終回に集約されていて、人間の良い部分と嫌な部分の両方をあのマウンドで経験した。それほどの場面だったから“やり終えた”という感情よりも、“心底疲れ切っていた”というのが本当のところだ。

4対3の最終回、先頭打者・羽田幸一への初球をセンター前に運ばれたところから始まった。まさか1点差の場面で初球の真っすぐに手を出してくるとは思わず、頭の中がゴチャゴチャになった。次の打者に集中しなくてはならないのに、羽田に打たれたことを反芻しながら投げ、いつの間にかノーアウト満塁のピンチを招いていた。

羽田の初球以上に俺の心をかき乱したのは、ノーアウト満塁でベンチが池谷(公二郎)と北別府(学)をブルペンに送ったことだ。“なんじゃ!”と怒りでブチ切れそうになった。

“最後まで俺を信用して心中しろ”──という理由ではない。古葉さんが延長に備えて投手を準備するのは指揮官として当然の手立てだから、文句はない。
だが、大阪球場は室内にもブルペンがあった。“なぜわざわざ外のブルペンに送ったのか、グラウンドでやっている俺に配慮せえや”──と憤ったのだ。

「俺も一緒に辞める」親友の覚悟

後日、ブチをはじめとする親しい仲間からは、「お前の性格を知って、古葉さんはわざと見えるように外のブルペンに行かせたに決まっている」と言われた。もしそうだったのなら、古葉さんは相当の策士だ。ブチは「怒りがこもった豊の球は打たれない」と解釈したようだが、日本シリーズ第7戦の最終回、一本でも打たれたらサヨナラで逆転負けの場面だ。マウンドにいる俺の精神状態を第一に考えるのが指揮官の役目だろう。あえて俺の怒りに火を付けようと考えたとしても、悪い方向に出ることもある。一か八かの賭けだ。

俺はイラつきが収まらず、ベンチの古葉さんをずっと睨みつけた。なんと、古葉さんも俺を睨み返していた。

ノーアウト満塁で迎えたのは代打・佐々木恭介。前のシーズンでは首位打者を獲得し、この79年シーズンも3割2分を記録していた。

初球は内角低めのカーブが外れてボール。
この時、佐々木がちょっと動いた。ストレートだったら平然と見送っていたはずで、佐々木がカーブ狙いだと確信する。そこで2球目はど真ん中の棒球で見逃しのストライク。俺が言うのも何だが、佐々木はこの球を振るべきだった。

次がファウルとなって1ボール2ストライクと追い込んだ時、サードのサチがマウンドに寄ってきて、俺にこう声をかけた。

「お前が辞めるなら、俺も一緒に辞めるから」

この一言で、カッカしていた頭がスーッと落ち着いた。何よりも俺の気持ちを敏感に察してくれたサチの心意気がとてつもなく嬉しかった。

さらにファウルを挟んでからの5球目、インコース低めのストレートを佐々木は見送ってカウントは2-2になる。「江夏の21球」の中で、実はこの5球目こそ俺にとって最高のボールだ。佐々木が見送ったことで、“よし、次のボールで三振だ”と確信できた。

江夏豊が激怒した「江夏の21球」の真相。マウンドから睨みつけた名将・古葉監督との確執と、今明かされる和解の瞬間
『江夏の遺言』(小学館)


江夏が語る「最高傑作の配球」

配球とは芸術だと思う。1球目と2球目、2球目と3球目、3球目と4球目、4球目と5球目……すべて繋がっている。
この5球目が狙い通りのコースに決まったからこそ、6球目の同じインローヘのカーブが活きる。結果は空振り三振。18年間の現役生活で、最高傑作の“芸術”だった。

タケちゃん(北野武)は「江夏の21球」を“江夏の自作自演”とネタにしていたけれど、そんなに俺は器用じゃない。結果的には自分でピンチをつくって自分で抑えたのだからマッチポンプに見えてしまうのだが、そもそも自作自演できるほどの技術があったら、とっとと3人で片付けている。早く終わらせて日本一を決めたほうが、どれだけ身も心も休まることか。

次の打者・石渡(茂)への「スクイズ外し」でピンチを脱して、広島が日本一を達成するのは周知の通りだが、俺はこの試合が終わって以降、古葉さんとは翌年の開幕までまともに口をきかなかった。ブルペンの一件で、腹の虫が収まらなかったからだ。

翌年の開幕戦の日に俺は監督室のドアをノックして、こう告げた。

「去年の日本シリーズ最終戦でどうしても納得できないことがあったので、今日は帰らさせてもらいます」

古葉さんは顔色を変えて釈明と謝罪をしてくれた。一言謝ってくれればそれでいいと思っていたので、新たな気持ちでシーズンに入ることができた。

親友・サチの心意気、古葉さんとの確執と和解、そして野球人生で最高の“芸術”──「江夏の21球」は、二度と起こり得ない奇跡の連続だった。


【松永多佳倫】
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て沖縄移住後、ノンフィクション作家に。プロ野球界の重鎮のインタビューをはじめ、スポーツ取材に定評がある。著書に『怪物 江川卓伝』(集英社)、『92歳、広岡達朗の正体』、『確執と信念 スジを通した男たち』(ともに扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。5月15日に江夏豊氏との共著『江夏の遺言』を刊行した。
編集部おすすめ