2019年に「老後2000万円問題」が話題になったが、金融庁の報告書でも、夫65歳以上・妻60歳以上の無職世帯では毎月の不足額平均が約5万円とされていた。十分な老後資金があるはずでも、配偶者の急病や介護をきっかけに家計が一気に揺らぐケースは少なくない。
老後のお金は「総額」だけで安心できるのか。財務コンサルタントの見解もあわせて見ていきたい。
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十分な老後に忍び寄った異変

「正直、勝ち組だと思っていました」

神奈川県横浜市在住の佐藤義雄さん(仮名・69歳)は、苦笑しながらそう振り返る。

大手商社を定年退職後、再雇用は選ばなかった。若い頃から堅実に働き、住宅ローンも60代前半で完済。退職金の大半には手をつけず、企業年金を含めた月の収入は夫婦合計で28万円。預貯金は5100万円あった。

世間では「老後2000万円問題」が騒がれていたが、義雄さんにとっては“別世界の話”だった。

「旅行も外食も我慢しなくていいし、子どもたちにも迷惑はかけない。少なくとも、お金のことで老後に困ることはないと思っていました」

実際、暮らしは穏やかだった。月に数回は夫婦で外食し、年に一度は国内旅行へ出かける。長女夫婦の子どもが遊びに来れば、少し多めに小遣いを渡す。スーパーで値札を見てためらうこともない。
長年働いてきたご褒美のような、静かな老後だった。

その前提が崩れたのは、67歳の冬だ。

朝、洗面所から大きな物音がした。駆けつけると、妻が床に倒れていた。声をかけても反応が鈍く、救急車で搬送された先で告げられた病名は、くも膜下出血。一命は取り留めたものの、後遺症が残る可能性が高く、退院後も長期のリハビリが必要だと言われた。

「先生の説明を聞いているときは、頭が真っ白でした。助かってよかったという気持ちと、これからどうなるのかという不安が、一気に押し寄せてきました」

入院中は高額療養費制度もあり、思ったほど医療費は膨らまなかった。だが、本当の負担は退院後に始まった。

築30年近い自宅は2階建てで、浴室にも玄関にも段差が多い。妻が安全に暮らすには、手すりの設置、段差の解消、引き戸への変更、1階だけで生活できるよう和室の改修も必要だった。見積額は総額380万円。
介護保険で一部は補助されるとはいえ、焼け石に水だった。

さらに介護タクシーと通院費用で月12万円前後。紙おむつや介護用品、配食サービスなどの細かい出費も積み重なった。以前は夫婦の生活費が月20万円台で収まっていたのに、気づけば毎月の支出は年金収入を大きく上回るようになっていた。

想定外だった介護と認知低下

追い打ちをかけたのが、認知機能の低下だった。退院後しばらくして、妻は昨日の会話を覚えていないことが増えた。義雄さんが「今日、病院だよ」と言っても、「そんなの聞いてない」と怒り出す。夜中に突然、「会社に遅れる」と着替え始めたこともあった。

施設入居も頭をよぎり、夫婦で見学に回り始めたが、そこで突きつけられたのが現実だった。入居一時金は500万~800万円。月額利用料も決して安くはない。

「2000万円じゃ全然足りない。いや、5000万円あっても、こういうことが起きると安心なんてできないんだと思い知らされました」

それでも義雄さんが本当にこたえたのは、通帳の残高ではなかった。
ある日、病院の待合室で妻がふいにこう言ったという。

「あなた、どちらさまでしたっけ」

冗談かと思った。だが、妻の目は本気で戸惑っていた。その瞬間、義雄さんは老後の前提がすべて消えた気がした。

「お金が減るのももちろん怖い。でも、それよりつらかったのは、妻の顔つきや話し方が、少しずつ別人みたいに変わっていくことでした」

<解説>老後資金は“総額”では守れない

十分に備えたはずだった老後は、音もなく崩れていった。貯金があることと、安心して暮らせることは、同じではなかったのだ。では、こうしたケースは特殊なのか。財務コンサルタントの桜井潤一氏は、「実務では非常に多い」と指摘する。

「たとえば『老後資金3000万円で安心』と考えていた夫婦でも、夫または妻が倒れた瞬間に流れが変わります。介護サービスで月10万~20万円の追加支出、自宅改修で100万~300万円、施設を検討すれば入居金と月額費用がかかる。見落としがちなのは、『元気な時の生活費でそのまま続く』という思い込みです」

佐藤さんのケースでも、入院費そのものより、退院後の住宅改修や介護移動費、施設検討といった“暮らし直し”のコストが重くのしかかった。老後資金は、ゆるやかに減っていくものではなく、ある日を境に一気に削られ始めることがあるというわけだ。
桜井氏はこう続ける。

「老後資金は『いくらあるか』より、『どんなスピードで減るか』で考えておくことが重要です」

では、こうしたリスクにどう備えるべきなのか。桜井氏が強調するのは、「金額」よりも「柔軟性」だ。

「資産の一部は、すぐ使える現金で確保しておくこと。介護費用も『総額でいくら必要か』ではなく、『月いくら支出が増えるか』で把握しておくこと。そして、どちらか1人でも回るシンプルな家計構造にしておくことが大切です。加えて、『自宅で介護するのか、施設に入るのか』という選択も、費用と生活の両面から事前にイメージしておく必要があります」

老後設計は“もし明日”で考える

そのうえで、桜井氏は最後にこう語る。

「老後のお金は、『いくら貯めれば安心か』という発想だけでは足りません。『もし明日、どちらかが倒れたら?』という前提で設計しておくことが、結局はいちばん現実的な備えになるのです」

十分に備えたつもりでも、人生はときに、その前提ごと静かに崩してくる。老後資金とは、その“想定外”にどう備えるかという問いでもある。

「貯金5000万円で“老後は勝ち組”のはずだった」大手商社を退職、住宅ローン完済の69歳男性がカン違いしていた“老後資金の盲点”
桜井氏
桜井潤一
ユニバーサルバンク代表。財務コンサルタント。
早稲田大学卒業後、大手銀行に24年間勤務。2020年株式会社ユニバーサルバンク設立。富裕層の資産運用から、数十億の法人融資まで1,000社以上の審査と支援を経験。「銀行を超えた銀行を創る」という思いから2020年独立、「株式会社ユニバーサルバンク」設立。3,000万円以上の自己投資をして起業初年度から年商1億5,000万円のビジネススクールを経営、提供するセミナーも6,000人以上が受講。「真に豊かな人生を送れる人を増やしたい」という想いから、財務×ビジネス×資産形成を融合したReal Wealth®︎プログラムを開発
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