名外野手だったチェット・レモン氏が5月8日(日本時間9日)に、70歳で生涯を閉じた。外電によれば、現役時代の1990年に真性多血症という希少血液疾患と診断され、血栓症を何度も患い、少なくとも13回は脳卒中を起こし、歩くことも話すこともできなかったという。
高校時代、野球とバスケットボールに秀でたレモン氏は、1972年にアスレチックスからドラフト1巡(全体22位)指名を受けた。俊足好守の内野手として期待されプロ野球に飛び込んだが、1975年6月にはホワイトソックスに移籍。同年は三塁手としてマイナーで38失策を犯して自信をなくしていた。
そこでホワイトソックスは翌年、内野手から中堅手にコンバートした。守備の負担が軽減されただけで無く、スピードを生かした外野守備を発揮。打撃にも好影響となってレギュラーポジションを獲得した。
3度の打率3割をマークし1978、79年、さらにタイガースに移籍後の1984年にオールスター戦に選出。1984年にはタイガースのワールドチャンピオンに貢献した。通算1988試合に出場し215本塁打、884打点。死球の多い選手で3年連続最多など、通算151死球は歴代25位だ。
そして彼には、今でも記録マニアから注目されている数字がある。1977年にマークした、歴代4位の512刺殺だ。
2007年、マリナーズが右翼手だったイチロー選手を中堅手として起用したため注目されたが、424刺殺止まりだった。
外野手の歴代刺殺ランキングと9イニング換算の(刺殺数)は、
①1928年テーラー・ドーシット(カージナルス)547(3・48)
②1951年リッチー・アシュバーン(フィリーズ)538(3・51)
③1949年リッチー・アシュバーン(フィリーズ)514(3・34)
④1977年チェット・レモン(ホワイトソックス)512(3・54)
⑤1980年ドウェイン・マーフィー(アスレチックス)507(3・25)
9イニング換算ではレモン氏の3・54がNO1。なお、昨年シーズン397刺殺のNPB外野手新記録をマークした楽天・辰己涼介外野手は9イニング当たりでは2・82だった。
当時のボールが今よりも反発力が少なく、なおかつスタジアムが全般的に今より広かった時代といっても、改めてレモン氏の記録が飛び抜けているかがうかがえる。また、21世紀のメジャーでは、外野手が適度な休養やDHとして起用することが多くなった。だからこそ、500刺殺は誕生しないと断言できそうだ。
【参考】ベースボール・リファレンス
蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)