「13」は宮本和知が85年から6年間つけた。「13という数字は不吉な感じがあったし、あまりそれまでにイメージできる選手もいなかった。

でも社会人出身で即戦力と期待されているからこそ、10番台の若い番号をもらえるんだ、とポジティブにとらえた」と当時を振り返る。

 ハイライトは89年。10月6日の大洋戦(横浜)では、5―0の完封勝利で胴上げ投手となると、近鉄との日本シリーズ第7戦でも6回から登板、セーブを挙げ、ペナントと日本シリーズ両方で胴上げ投手の栄誉に輝いた。

 翌90年には初の2ケタとなる14勝を飾り、2年連続胴上げ投手の栄誉となった。

 91年から「21」に昇格する。「やはり左腕のエース番号といわれる数字だったので、本当にうれしかった。でも『13』にも思い入れが強い。後に中日の岩瀬が活躍してくれたおかげもあって、左投手やリリーフ投手のいい番号に成長させてくれた。居場所のなかった番号に、居場所ができたという思い」と宮本は語った。

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