巨人の終身名誉監督で「ミスタープロ野球」と親しまれた長嶋茂雄さん=報知新聞社客員=が3日、亡くなった。89歳だった。

ミスターが17年間の現役に別れを告げたのは、1974年10月14日。中日とのダブルヘッダーを終え、5万人のファンの声援に涙を浮かべて応えた。セレモニーでは今も語り継がれる「我が巨人軍は永久に不滅です」のフレーズで心境を吐露。当時の報知新聞から「現役最後の日」を振り返る。

 長嶋は泣いた。珠玉の涙がそのホオを伝わった。抜けるような青空の下、数々の栄光を刻んできた後楽園球場で青年・長嶋は泣いていた。

 第1試合終了後、感動的なハプニングが5万観衆の涙を誘った。両軍ナインがロッカーへ引き揚げた無人のグラウンドへ長嶋は突然一人歩き出していた。球団が演出したセレモニーにはない衝動的な惜別だった。「外野のファンにもお別れと感謝のあいさつをしたい…」。混乱を配慮した球団の制止を振り切って歩を進めた。

 帽子を振り、両手をかざす長嶋に5万観衆は全員が立ち上がっていた。痛くなるような拍手と「長嶋、長嶋」の絶叫の中で長嶋は千金の笑顔を振りまいていたのだ。

 だが右翼スタンド前まできた時だった。長嶋の足が止まった。ポケットから白いタオルを取り出して顔を覆った。激しい嗚咽(おえつ)だった。万感が胸を襲っているのだろう長嶋は肩を震わせ、そしてまた踏みしめるように歩き出していた。

 「たくさん泣け、長嶋」「もっと泣け、長嶋」。中堅から左翼席のファンも総立ちだ。拍手はいつしか長嶋の歩調に合わせた手拍子に変わっていた。太陽の輝きにも似た涙を長嶋はもう一度タオルで拭った。

 偉大なバットマンは最後の最後まで、その燃える闘志をグラウンドで表現してみせた。

4回、土井を一塁に置いて長嶋のバットがうなった。中日の先発村上の4球目、真シンで捉えた弾丸ライナーが左翼席へ一直線に消えていた。15号2ラン。今季1勝をマークしているが、無名の投手が「足が震えてどうしようもなかった。まだ夢を見ているようです」と抑えようもない感動に自分を見失っていた。

 試合前のミーティングで長嶋がナインの前に立っていた。「皆さんと楽しくプレーしてきたが、今日が最後の公式戦となった。17年間、思い残すことも悔いも全くない。皆さんもいずれは引退という宿命を背負ってプレーしているのだが、どうぞベストを尽くして悔いのない選手生活を送ってください」

 これだけ言うと長嶋はいつもと変わらない燃えるひとみでグラウンドへ飛び出していった。その雄姿にいたずらな感傷はみじんもなかった。

 バットマンとしてすべての戦いが終わった。“V9ナイン”がわれさきにかけ寄った。

一人ひとり手をしっかり握った。王と2人、肩をたたき合う。2人の間に言葉はいらない。それだけで心が通じた。王の両目が真っ赤だった。フェアに技を競い合ったONの戦いもいま終わった。

 つるべ落としの秋の日が西に落ちて、白球の飛び交ったグラウンドに夕やみが迫っていた。照明灯が消えた。静かにバットを置いた偉大なスターが、一筋のスポットライトに鮮やかに浮かび上がった。その額に、プロ野球を引っぱり続けた17年間の激戦の歴史がきざみこまれていた。

 震える声が海鳴りのように続く歓声と拍手をしずめた。

 「みなさん、本当にありがとうございました…」。

別れの歌が静かに、悲しく流れていく。ともに喜び、ともに苦しみ抜いたナインの手を握りながらまた泣いた。

 偉大な英雄が姿を消した。万人の心に強烈なイメージをしるして…。14日後楽園球場。形容しがたい感動にファンは酔い、泣いた。この日の長嶋の、そして自らの涙を5万観衆は忘れない―。

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