巨人の長嶋茂雄終身名誉監督=報知新聞社客員=が、2013年に国民栄誉賞を受賞した際に、スポーツ報知紙面で特集した「私だけが知る長嶋茂雄」を再録。原辰徳氏がミスターの意外な一面を語った場面を抜粋した。

(肩書、敬称などは当時のまま)

◆4番継いだ松井への期待 落ち込む姿見たくない

 原監督は選手、コーチ、監督として、長嶋さんと接した。ヘッドコーチを務めた2000年、ある日の試合後、打撃コーチ2人と東京Dの監督室に呼ばれた。「明日までに打撃コーチと一緒に3通りのオーダーを考えてきなさい」と言われたことがあった。

 「翌日に代表で案を持って行って『監督、昨日の宿題ですが』と聞くと『何だっけ』と言う。でもこれは長嶋さん流の僕への信頼だと思った。『ヘッド、それはあなたが決めなさい。私はそれに従う』と言って、あとはカラッとしている。試合中の集中力も素晴らしかったが、切り替えの早さもすごかった。掌握術という点では、1度我々に考えさせて支配するようなそぶりを見せる。監督室などで我々はしかられるけど、2人になるとメンバーも見ずに『ヘッドコーチが決めたメンバーで行きなさい』となる」

 喜怒哀楽が激しい長嶋さんを常に支えた。ヘッドコーチとして、落ち込む姿を見たくなかった。

 「とにかく、長嶋監督が試合で負けて落胆する姿、背中を見たくないという思いで、必死に動いた。

僕はいつも監督のそばにいた。嫌がられようが何であろうがそばにいて、遠征に行って試合が終われば、監督の部屋に行き、東京Dでも監督室に行った。いい勝ち方、連勝が続くと背中が太陽に輝き、にこやかになる。自分にないものはそこかなと思う。僕は隠すというか、繕うものがあるかもしれない」

 その長嶋さんからは中間管理職の役割の難しさも教わった。

 「A、Bという作戦があった。監督はAと言う。僕はBだと思った。『ヘッド、やっぱりAで行こう』と言われたら、分かりましたとなる。選手に『あの作戦はAで行くから』と言うと『Bがいい』と思っている選手も多くて怪訝(けげん)そうな顔をする。そこで中間管理職の立場のつらさを思い知った。のど元まで『バカ野郎、オレだってそう思ってんだ。

しかし…』と言いたくなったけど、そこを言うと組織ではなくなる。もしかしたら、監督はそこを理解したうえでわざと言われたのかもしれない」

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