長嶋さんと言えば、初の天覧試合でのサヨナラ本塁打だろう。今でも語り継がれる伝説の試合は1959年6月25日、後楽園球場で行われた。

当時の紙面をもとに、活躍した長嶋さんのヒーロー原稿を再録。6年前に長嶋さんが語った当時の思い出話や、いま明かされる真実まで披露してもらった。

【昭和34年6月25日・後楽園】開始19時(2時間10分)

〔審判〕島(球)津田、國友、円城寺、富澤、佐藤

◇観衆40,000

阪神 001003000 |4

巨人 000020201X|5

[勝]藤田 21試合14勝2敗

[敗]村山 22試合5勝7敗

▼[本]=長嶋12号(小山・5回)13号(村山・9回)坂崎5号(小山・5回)藤本12号2ラン(藤田・6回)王4号2ラン(小山・7回)

勝利打点=長嶋 9回サヨナラ本塁打

◆2発お祭り男 王同点弾 初ONアベック

 巨人は5回、長嶋が左翼へ、坂崎が右翼へ連続ホーマー。長嶋の12号はシュート、坂崎の5号はカーブを打った。「雲の上を歩くようだ。体が軽いから調子がいいのかなと思っていたが…。あがっているんだね」といっていた小山はうつろな目でホームを踏む坂崎を眺めた。

 阪神はしかし6回にまた藤田を攻めた。無死から吉田が中前安打、鎌田は三振したが、そのとき吉田が二盗した。すかさず三宅は左翼線へ適時打し、つづく藤本も藤田のストレートを高々と左翼席へ打ち込んだ。藤本の12号2ランで今度はまた阪神が2点のリード。

 シーソーゲームはまだつづく。

7回は巨人の番だ。1死、坂崎が右前安打、つぎの王が2―2後の内角球をライナーで右翼席へ。王の同点4号2ランが小山をKOした。阪神は村山のリリーフ。おもしろいゲームになった。

 それまでは陛下の姿をさぐろうと貴賓席へ思い出したような視線を送っていたファンもいまはわれを忘れて大騒ぎだ。8回は阪神にチャンスがまわる。藤田が乱れて2四球、それをバントで送り1死二、三塁。横山の1―1のとき田中監督がベンチへ出てなにか横山に策をさずけた。タイムがとけたそのときだ。広岡が二塁へ走る。二塁走者の藤本が帰塁するより一歩早い。

振り向きざまに投げた藤田のけん制球が藤本を刺した。スクイズか強打か、藤本は田中監督に気を奪われていたようだ。そのスキを広岡がみごとにとらえた。

 同点のまま9回の裏がきた。村山はトップの長嶋を2―2と攻める。5球目は内角直球で勝負。長嶋が勝った。左翼席上段で長嶋のサヨナラ13号がはねかえった。4本のホームランをたたきつけてやはり勝った巨人は強い。負けた阪神もよくやった。長嶋のサヨナラ・ホームランは今年(1959年)のセ・リーグで3本目。

巨人・水原監督「陛下がお見えになっていて、やはり選手は硬くなりがちだった」

[60年前の舞台裏]

◆陛下退席5分前のドラマ 超異例の2局同時中継 選手らに“恩賜の煙草”

 昭和天皇、香淳皇后ご臨席による天覧試合が1959年6月25日に初めて実現した。

プロ野球が「国民的スポーツ」に転換する契機になった試合といっても過言ではない。

 当時、後楽園球場の巨人戦中継は日本テレビが独占していたが、同局は全国20局をネットしていたものの一部地域で見られないことを考慮し、NHKの中継も許可。異例の2局同時中継となった。

 当日、昭和天皇は午後9時15分に退席し、皇居に戻られることになっていた。そんななかで長嶋は同9時10分にサヨナラ本塁打を決めた。この試合の出場選手、審判員らには“恩賜の煙草”(皇室の紋が入った紙巻きたばこ)が贈られ、水原円裕(茂)監督らはそれを神棚に飾ったという。

 試合は巨人・藤田、阪神・小山両エースの先発で始まった。鳴り物応援が禁止され、いつもとは違う雰囲気が球場を包んだ。7回、巨人のルーキー・王貞治が同点2ラン。4―4で迎えた9回、先頭の長嶋が阪神・村山実の速球をとらえ、ソロ本塁打を左翼ポール際へ打ち込んだ。ちなみに、この試合で初めて「ONアベックアーチ」が生まれた。

 長嶋は「当時は『天皇陛下や皇后陛下は野球なんてご覧にならない』という雰囲気があった。

相撲は見に来てくださる感じはあったけど、野球は無理だと思っていた。何とか一度、とかねがね思っていた」と回想する。長嶋だけでなく、多くのプロ野球関係者も「陛下に来てもらえたら」と常々口にしていた。

 両陛下がどの球場で観戦されるかは直前まで分からず。試合日のわずか6日前に決まった。読売新聞が「天皇 後楽園ナイターへ 25日の巨人・阪神戦 初めてプロ野球ご見物」と報じた。当時の日本野球機構事務局長・井原宏の「今年初めから宮内庁当局と打ち合わせていたが、どのカードをご覧になるかは、もっぱら陛下のご意思にお任せした」との談話も掲載された。

 長嶋は天覧試合前の約20日間、スランプに陥っていた。調子が上がらず、前日の試合も無安打だった。しかし当日は第1打席で左前安打。独特の雰囲気の中、勝負強さを見せた。「国民が注目しているビッグゲームは不思議と力がわいてきた」

 試合の6年後、長嶋は、昭和天皇から「あの時はいいホームランだったね」とお言葉をかけられた。

長嶋は「天覧の中でホームランを打ったこと自体が、野球人として最高の栄誉」と語り、プロ野球人気を押し上げた一戦を深く心に刻んでいる。

編集部おすすめ