◆1974年10月14日(後楽園)

 現役時代の長嶋茂雄さんは、抜群の勝負強さでファンの記憶に刻まれる名場面を数多く残してきた。公式戦2186試合、日本シリーズ68試合の中から、ベースボール・アナリストの蛭間豊章記者が12試合のメモリアルゲームを厳選した。

 

◇  ◇  ◇  ◇

 10月12日に中日の20年ぶりリーグ優勝が決まり、巨人は10連覇を逃した。その日、長嶋は現役引退を表明した。最終戦は後楽園での中日とのダブルヘッダー。雨で順延となった14日、月曜日にも関わらず、ミスターの最後の試合とあってファンが詰めかけ超満員。後日談だが、あの落合博満も外野席で観戦したという。

 第1試合で通算444号アーチ、そして王貞治と最後のアベックアーチを記録した長嶋は、第1試合終了後、「外野席のファンにも挨拶がしたい」との思いで、無人のグラウンドに飛びだした。関係者が混乱を招くと制止したにもかかわらず、場内をゆっくり歩き、一周した。帽子を取り、両手を広げ、声援に応えた。右翼席の前を歩いた時だった。ポケットから白いタオルを取り出して顔を覆った。「泣きたいだけ泣け」。外野席ファンからの声援も涙声だった。

そのままゆっくりと右翼から左翼へ、そして三塁側へと感動的なシーンが続いていった。第2試合では川上監督が、柴田―高田―王―長嶋―末次―黒江―土井―森と9連覇時代の最も代表的なオーダーを組んだ。長嶋は最終打席で遊ゴロ併殺打に終わるも、ファンの大声援はなりやまなかった。

 そしてゲームセット。つるべ落としの秋の日が西に落ちて夕闇が迫った中、照明灯が消され、スポットライトが背番号3だけを照らした。「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来今日まで17年間…」で始まったスピーチ。見つめるファンの嗚咽(おえつ)が聞こえる中、万感の思いで「巨人軍は永久に不滅です」のフレーズを繰り出した。最後は「長い間、皆さん、本当にありがとうございました」で締めくくった。贈られた花束を持ちながら、巨人ナインの一人一人と握手してグラウンドから姿を消した。プロ野球の一つの時代が終わった、誰もが忘れられない名シーンだった。

 ◇1974年10月14日(後楽園)

 ▽第1試合

中日 003 000 001―4 

巨人 000 202 30X―7

本 長嶋15号2ラン、末次12号2ラン、王49号3ラン(以上巨)

 ▽第2試合

中日 000 000 000―0 

巨人 002 511 10X―10

本 柴田12号満塁、柳田15号(以上巨)

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