巨人軍前監督で、オーナー付特別顧問の原辰徳氏が3日、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の訃報に接し、故人をしのんだ。

 都内で取材に応じた原氏は「現実を受け止めるということで、びっくりしたというのはありました。

やっぱりこういう日がくるんだなということは思いました」と悼んだ。

 長嶋さんと最後に対面したのは3月の巨人―ドジャース戦(東京D)だったといい「最後は東京ドームで試合の時に長嶋さんがお越しになって、私もそこにいましたので、そこでごあいさつしました。やっぱり球場に来られると非常に元気で、我々にも気をつかってくださるようなね、そういういつもと変わらぬお姿でした」と当時を振り返った。

 原氏は95年限りで現役を引退し、99年シーズンから長嶋監督率いる巨人に1軍野手総合コーチとして復帰。2000年からヘッドコーチに昇格し、ミスターに帝王学を学んだ。01年限りで監督を退任した長嶋さんの後継者として02年から指揮を執った。

 原さんにとって、ミスターとは。

 「私にとって憧れ、少年時代から憧れでした。野球というスポーツのみならず、まさに象徴だったと思います。勝負に厳しく、人に優しく、皆さんに愛された。特に私は憧れの中でジャイアンツに入り、選手、そしてコーチ、監督というその立場でも深く影響を受け、一緒にいられたというのは、私の中でも大きな、燦然と輝くことであります。現実としてしっかりと受け止めて、そしていい形でお送りしたいという風に思います」

 多くの時間をともにした中で最も影響を受けた言葉、思い出のエピソードを問われると「いろいろあるんですけど、一つ。

僕は22歳で東海大学からドラフトで(入団して)。当時長嶋監督がお辞めになった年で、藤田監督が私を引いてくださった。で、私も巨人軍に入りたいっていうね、すごく強かったので。その時、夜にですね、自宅に電話をくださって。なんと『長嶋茂雄です』という形で『よかったな。巨人に君が入るっていうことはとてもよかった』って喜んでくださって、電話をしてくださって。立場的な部分でいくならば、非常に、非常に難しい状況だったと思うのですが、とても広い視野の中で野球、プロ野球、全てのことを思われている方なんだなと。その言葉が私の中では大きな自信となって、プロ野球、巨人軍のユニホームを着ることができたというこれも非常に大きな思い出というか私の財産であります」と語った。

 「いろいろな先輩の方がいらっしゃるでしょうけれども、燦然と輝く、やはり野球界の象徴であると。私にとっては神様みたいな存在でありました」と最後まで思いを込めて言葉を紡いだ。

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