戦後の日本を象徴するスーパースターで、「ミスタープロ野球」と称された巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さん=報知新聞社客員=が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。

現役時代は王貞治とのON砲で巨人を不滅のV9へと導き、監督としても、1994年の「10・8決戦」など多くの名場面を演出して5度のリーグ優勝、2度の日本一に輝いた。国民栄誉賞も受賞し、多くのファンに親しまれたヒーローが栄光の人生の幕を閉じた。長嶋さんが残した数々の「ミスター語録」を紹介する。

◆選手編

「いい薬になりました。今度対戦するときは必ず打って、お返しをしてみせます」=1958年の開幕戦で金田正一投手に4打席4三振

「スランプなんて気の迷い。普段やるべきことを精いっぱいやって、土台さえしっかりしていれば、スランプなんてあり得ない。僕はいつも、『オレは絶対打てる』という気持ちでボックスに立っていますよ」

「僕は、巨人軍の4番打者だよ。サインなんて、『打て』以外に、あるわけないじゃない」=ある年のシーズン。ベンチのサインに気づかない長嶋。コーチに「なぁミスター。ベンチのサインくらいは見てもらわんと困るなぁ」と言われ

「オレの炎が燃え尽きたときだ」=引退した74年の夏、いつバットを置くのか聞かれ

「エレガントさに憧れてプロ野球選手になろうと思いました。あのバッティング、守備、走塁。

すべてまねしたものです」=99年3月8日、ヤンキースのスターだったジョー・ディマジオさんの悲報に

◆監督編

「デビュー開幕戦でも4連続三振。監督としても最初は最下位。あとは良くなるばかりだと思うしかなかった」=監督就任1年目に最下位に終わるも、翌年リーグ優勝! そのときの一言

「ジャイアンツの監督は大変、なにしろ毎日がジャイアンツ戦ですから」

「一にも二にも、終始一貫して松井君でいくと。10年に一人の素材。ファン待望のスケールの大きい、格のある打者に育ててみたい。魅力が無限に広がる」=92年11月のドラフト会議で星稜・松井秀喜選手の当たりくじを引き当て

「いいな、みんな。槙原が緊張するから完全試合なんて口にするな」=1994年5月18日。隣に槙原が…

「オーラスの大一番だ!国民的行事ですからねぇ」=94年、優勝をかけた中日との史上初の同率最終決戦の前日の一言

「結果が悪ければ天もファンも見限る。それが監督業。負けるのは監督が悪い」

「代打・川相」=バントのジェスチャーで

「松井があと20本打てば、ミラクルが起きますよ。2年越しのメークドラマです」=96年7月6日、首位・広島に11・5差をつけられながら

「思い切って僕の胸の中に飛び込んできてほしい」=96年11月、清原和博のFA交渉に出馬して

「(譲る)気持ちは今でも変わりません。広島時代の33をつけていただいて、私は(永久)欠番の3番をつけてみたいと思う」=99年12月6日、FAで江藤智選手の入団が決まり、自らの背番号について

「切符のない方はテレビで観戦してください。

私もどうにもならないんですよ」=プレミアチケットとなった2000年ON日本シリーズのチケットに

「お金よりも好きなチームを選択したのだから、良かったんじゃないか。個人的にはヤンキースに入ってほしいという気持ちを持っていた。ギャラは安いかな」=02年12月20日、松井のヤンキース入りが決定し

「五輪の聖地アテネに日の丸を揚げたい。かつてない興奮と使命の重さを感じています」=02年12月、アテネ五輪の日本代表監督に就任

◆人生訓

「母子ともに元気であってくれればいいと思っていた。野球でのどんな喜びよりも大きい」=1966年1月26日、長男・一茂さん誕生

「喜びも悲しみも、みんな野球が教えてくれた。だから野球というスポーツは、人生そのものなんだ」=2001年監督を勇退し、終身名誉監督就任会見にて

「僕はヘルメットの飛ばし方まで研究したんですよ」

「少なくとも、セオリー通りの安全な道ばかり歩いていては、生きがいなんか生まれませんよ。ときには冒険も必要です。周囲の批判を恐れず、『俺はできるんだ』とやり抜く、それが男のロマンでしょう」

「長嶋茂雄であり続けることは、 結構苦労するんですよ」

「努力は人が見てないところでするものだ。努力を積み重ねると人に見えるほどの結果がでる。努力してますと練習を売り物にする選手は、プロフェッショナルと言えない」

「勝負は家に帰って風呂に入るまでわかりませんよ」

「孤独がない人は、全然ダメだよ」

◆迷言?あれこれ

「僕は子どもさんは大好きだから4人くらい」=1964年11月26日、西村亜希子さんとの婚約会見で

「ヘイ、カール、カール!」=1991年8月、東京での世界陸上。100メートル決勝、カール・ルイスが当時の世界記録でV。インタビュアーとして興奮しながら呼びかける

「失敗は成功のマザー」

「魚へんにブルー」=サバ(鯖)という漢字について

「木村タクロー君、いやタクヤ君も野球をよく知ってるね」=木村拓哉と共演後に感想を求められ

「今年、初めて還暦を迎えまして」=96年2月20日、宮崎キャンプで60歳の誕生日に

「谷コピーの田村君」=田村コピーから99年ドラフト2位で入団した谷浩弥投手に

「ろう人形を作るのは難しいんです」=宮崎市内で自身のろう人形を見つめながら

「ヘーイ! ガルビーノ」=バルビーノ・ガルベスを呼ぶも、姓と名がごちゃまぜ

「I live in Edo」=学生時代、I live in Tokyoを過去形に、との問題に珍回答した伝説も

「ハウ オールド おいくつ?」

「私が見てきた約80年の中で杉下茂さん、金田正一さん、佐々木主浩さんがナンバーワンだったが、今は佐々木朗希だ」=何人いるのか…

編集部おすすめ