◆米大リーグ ドジャース3―4メッツ=延長10回=(2日、米カリフォルニア州ロサンゼルス=ドジャースタジアム)

 ドジャース・大谷翔平投手(30)が2日(日本時間3日)、巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さん=報知新聞社客員=にささげるアーチをかけた。本拠地・メッツ戦に「1番・DH」で出場。

2点を追う7回2死、右翼へ両リーグトップに並ぶ23号ソロを放った。開幕シリーズに向けて来日した3月に東京Dで長嶋さんと対面。試合前にはインスタグラムに3枚のツーショット写真とともに、「心よりご冥福(めいふく)をお祈りいたします」と言葉を添えて追悼した。

 大谷は何を思ったのか―。空に向かって高く舞い上がった打球が右翼の敵軍ブルペンに吸い込まれると、何度もうなずくようなしぐさを見せた。2点を追う7回2死、飛距離424フィート(約129メートル)の23号ソロ。日本野球を支え、幼少期から憧れてきたミスターにささげる特大弾だった。

 試合開始約2時間前に明らかになった長嶋さんの訃報(ふほう)。今年3月15日にはプレシーズンゲーム・巨人戦前に東京Dで対面し、談笑した。突然の悲報に接し、大谷は試合約1時間20分前にインスタグラムを更新した。3月に撮影した写真2枚など、計3枚のツーショット写真とともに「心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントを添えた。試合開始直前の投稿は極めて異例。

大谷にとってもまた特別な存在であることを示す行動だった。

 初対面は16年12月、スポーツ報知の対談。「小さい頃から大スター」と目を輝かせる大谷に、ミスターは「若い時は失敗を怖がることはない。失敗があるから美しさが生まれる。失敗をしたら、という気持ちでプレーするのはプロとしてはダメ。失敗しても平気でやることが大事」とエールを送った。その後も長嶋さんは大谷を常に気にかけ続けた。3月の東京Dでは、大谷も試合前に時間を作って再会。ミスターにとっては最後の公の場となった。

 3月に公開されたセキュリティー企業「セコム」の新CMでは、長嶋さんと新アンバサダーに就任した大谷が“共演”。投手・大谷VS現役時代のミスター。新旧のマッチアップがCGで再現され、話題を呼んだ。

憧れの人との共演に「うれしかったですね。日本のプロ野球といえば長嶋茂雄さん」と回顧していた大谷。スターの系譜は確実に受け継がれている。

 チームは延長で敗れたが、MLBトップタイの23号に続き、9回には同点犠飛と奮闘。野球を愛し、野球に愛された長嶋さんと同じ思いを胸に、大谷は新たな「ミスタープロ野球」として、その魅力を発信していく。(安藤 宏太)

 ◆長嶋さんと大谷

 ▽育成法伝授(13年3月) 大谷が日本ハム入りし、長嶋さんは栗山監督と会談。「若い選手の育て方、二刀流についてアドバイスをいただいた」と栗山監督。

 ▽ミスター誕生日に開幕投手決定(15年2月20日) 79歳の誕生日に初の開幕投手に決定。「長嶋さんがつくってくれたプロ野球界を、翔平が受け継いでほしい」と栗山監督。

 ▽初対面(16年12月) スポーツ報知で対談。ミスターが「打撃はいいところばかり」と言えば、大谷は「光が差しているというか…あんなオーラを感じさせる人はいなかった」。

 ▽ルースを超えろ(21年11月) 大谷が初のア・リーグMVP。

長嶋さんは「大リーグのシンボル、べーブ・ルースが記録した、同じ二刀流の投手で2ケタ勝利、打者で2ケタ本塁打の記録も一気に破ってくれると期待したい」。

 ▽絵になる男(23年3月) 投打で奮闘してWBC優勝。長嶋さんは「ジャパン優勝の瞬間、一番絵になる男がマウンドに立っていたね。投打で文字通りチームを引っ張り、優勝に導く選手なんて、これからも出てこないかもしれない」とべた褒め。

 ▽五輪も頼むぞ(23年10月) 28年ロス五輪で野球復活が決まり、ミスターは「大谷翔平選手が一番高い表彰台に立つ―。今から興奮しますね」と切望。

 ▽長嶋VS大谷(25年3月) 「セコム」のCMで“共演”。CGながら投手・大谷と打者・長嶋さんが対峙(たいじ)した。

 ▽再会(同) 15日の東京ドームでのドジャース―巨人のプレシーズンゲーム前に対面。

編集部おすすめ