1974年10月14日、巨人・長嶋茂雄が17年間の現役生活に別れを告げた。中日とのダブルヘッダーを終え、5万人のファンの声援に涙を浮かべて応えた。

セレモニーでは今も語り継がれる「我が巨人軍は永久に不滅です」のフレーズで心境を吐露。当時の紙面から「現役最後の日」を振り返る。

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 長嶋がグラウンドを去った日、王の頭上には連続三冠王の王冠が輝いた。ON時代に栄光のピリオドを打った日にふさわしい花道だった。それは新しい長嶋監督、王時代へのスタートだからだ。

 「ぼくはNO2」王はこういい続けてきた。記録が、成績が長嶋を追い抜いても、王はNO1の座を譲ってきた。「だれがなんといおうと、ぼくは長嶋さんを目標に追いつき追い越せと励んできた。NO1は長嶋さんしかいない。長嶋さんがいたからこそ、いまの王貞治があるといえるのですから…」

 長嶋が王に頭を下げたのは、だれもいない試合前の外野でのことだった。「きょうはあとで引退の介添え役になってもらう。お世話してもらうよ」と長嶋。

「ミスター…」王は返す言葉に詰まった。「ミスター、長い間本当にご苦労さまでした」

 バットマンの栄誉を二分してきた二人が手を握り合った。お互いの胸の内はわかりすぎている。短い言葉で十分だったのだろう。

 「きょうはひとつ、パッとアベックホーマーといきましょう」開始直前の王の約束を、4回長嶋が左翼席へアーチをかけて実行してみせた。そして―。7回、右中間スタンド中段ではずむ王の49号3ラン。百年を超す米大リーグの長い歴史にも見当たらない二年連続のビッグ3タイトルの独占を決めた瞬間だった。もう一歩と迫りながらついに長嶋が果たせなかった三冠王の夢を、今シーズンもまた王は両手におさめた。

 ON時代から“O時代”へ。プロ野球に新しい一ページがしるされる。「今シーズンはオフの休養がとれないままキャンプに入った。

田淵に八本差までホームランを離されたときは、正直いってタイトルなしを覚悟した」と王は、いまシーズンを振り返る。体の手入れが十分でなかった。一本足の宿命と言われる右ひざの故障、史上最多の四球、敬遠…。ゆくてをはばむ数多くの障害をすべて乗り越えて王は勝った、今年もまた。

 張りさけんばかりの声で、その史上最強打者が泣いた。土でよごれた手で頭中をおおった。長嶋がグラウンドを去ったとき、ナインのだれよりも大きな王の号泣がロッカーに響いた。背番号1が初めて人前で見せた姿だ。「泣きたいときには…」目を真っ赤にして王はそういった。「来年はキャンプから三冠王を目指していく。長嶋さんの抜けた大きなマイナスを、いままで以上の団結心でカバーしてみせる。優勝できなかったくやしさを、新しい巨人の再建の力にぶつけていきます」長嶋から王へ、伝統の灯が受け継がれた。

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