“超人”ハルク・ホーガン(本名・テリー・ボレア)さんが71歳で亡くなった。世界最大のプロレス団体「WWE」が24日、公式WEBなどで発表した。
ホーガンさんは、日本マット史上に残る「事件」を起こしている。
その試合が1983年6月2日、蔵前国技館で対戦したアントニオ猪木さんとの一戦だ。
この試合は猪木さんが当時のマネジャーで新日本プロレス専務取締役だった新間寿さんと「世界中にあるベルトを統一する」という「IWGP」構想を3年がかりで積み上げたリーグ戦「IWGP」の優勝戦だった。
試合は、エプロンに立った猪木さんをホーガンさんが必殺技「アックスボンバー」でKO。場外で倒れた猪木さんを坂口征二さんらセコンドは無理やりリングに上げたが舌を出したまま失神しホーガンさんが勝利した。
「猪木の、猪木による、猪木のための」大会と呼ばれた「IWGP」でまさかの失神KO負け。猪木さんはリング上から都内の病院へ救急搬送され入院。試合当日の夜にテレビが緊急速報としてニュース番組で報道するほど衝撃的な「事件」だった。
この試合は「アントニオ猪木 舌出し失神事件」と呼ばれ、試合後に坂口さんが「人間不信」と書いた紙を会社の机において、しばらく出社しなかったことなど、猪木さんが「失神KOした理由」を巡り現在も様々なレスラー、関係者が独自の視点で証言している。
私は猪木さんに生前、「なぜ?あの時、ホーガンに負けたんですか?」と聞いたことがある。その時、アックスボンバーが来た瞬間「来るなら来やがれと思ったんだよ」とだけ明かしてくれた。失神KO負けの衝撃はやはり今も根強く訃報を受けた「X」のトレンドワードで「猪木さん」「失神KO」の関連ワードがランキング入りするほどだった。
ホーガンさんは80年5月に新日本プロレスに参戦。以来、猪木さんの「NWF王座」に挑戦、さらにはタッグを結成し「MSGタッグリーグ戦」を制するなど猪木さんのストロングスタイルを体感することでトップレスラーとしての階段を駆け上がった。
キャラクターもリングに登場した瞬間に「イチバ~ン!」と右手の人さし指を高々と掲げるパフォーマンスを敢行。「一番」と書いたTシャツ、黒のショートタイツは日本中の少年ファンの心をわしづかみにした。
猪木さんは「ホーガンは初めて来た時は何もできないでくの坊だった。そこから俺のプロレスを盗んだのかどうかは分からないが彼なりに研究したんだろう」と評価していた。一方でWWF(現WWE)で全米を制圧した以降のスタイルには、自らのプロレス哲学とはかけ離れているため不快感を示していたが「あそこまでヒーローになったことは認めざるを得ない」とも明かしていた。
猪木さんは2022年10月1日に79歳で亡くなり、そしてホーガンさんも天国へ旅立った。プロレス界最大の謎「6・2蔵前」は謎のままで封印された。
(福留 崇広)