◆JERA セ・リーグ 巨人6―5阪神(15日・東京ドーム)

 こみ上げる思いを抑えきれなかった。クールなマルティネスが、お立ち台で涙した。

「本当にうれしい。感動してます。今日、父親と母親、大切な妻が来てくれている。この200セーブをささげたい」。来日9年目で史上11人目の通算200セーブを達成。348試合での到達は佐々木(横浜)を抜いて歴代最速。前日14日にキューバから来日したばかりの父フェリペさん(61)、母クラリベルさん(55)らの前で金字塔を成し遂げた。

 最強守護神たるゆえんを証明する14球だった。9回。2~4番を3者連続三振にねじ伏せて雄たけびを上げた。「最後の最後まで諦めないで、食らいついてくれた味方に感謝したい」。最速155キロの剛球、日本で磨いてきたスプリットを自在に操り12球団トップ34セーブ目。

猛虎を振り切った。

 来日3年目から中継ぎに本格転向し中日で最多セーブ2度。球界屈指のクローザーへと駆け上がった。真面目で責任感が強く、若手時代は打たれると「本当にこの世の終わりぐらいの顔をして帰ってくる」と同僚にいつも心配された。

 高級ブランド「ルイ・ヴィトン」を全身にまとい4年総額50億円で移籍してきたスターも、来日時は背番号211。当時はジャージーを着て、自転車で寮とナゴヤ球場を往復していた。育成選手に与えられた部屋はベッドを置くと、ほぼスペースがなくなるワンルーム。1年目の夜、天井を見ていると涙があふれた。「遠い場所に来ちゃったな。俺は何しに来たんだろ」。自分と約束した。日本で一旗揚げる。

「あの日の思いがあって今がある」

 無名だった。名古屋のメディアに注目されず「なんで俺は取り上げられないんだ」と悔しがる日もあった。反骨心が練習量につながった。異国で食事にも苦労した。唯一の楽しみは寮のコーンスープ。険しい道だったから、移籍した今も同じキューバ出身投手で中日の育成ランディ・マルティネスには教える。「人が10本走るんだったら自分は12本。ノックも人が20本受けるんなら30本やらないとダメだ」。積み重ねた“差”が、今を作った。

 「200セーブにたどり着くと想像もしてなかった。日本の野球を勉強し、一日たりとも諦めず取り組んできたことが大きいと思う」。名球会入りまで残り50セーブ。

「仲間を勝ったまま帰らせたい。27個目のアウトを取ることは、一番大事で一番難しいんだ」。クローザーの重圧とも戦ってきたから、涙が止まらなかった。(堀内 啓太)

 ◆高橋由伸Point ライデルが9回にいることがどれだけ大きいか。わずか1点でもいいからリードすること。ベンチはそれだけを考えて戦えるのだからありがたい。正直、中日からマルティネスが移籍してきた時は驚いた。過去一番の補強と言っても過言ではなかった。そして実績通りに働いた。角度があり、まるで2階から降ってくるような変化球も威力満点。何より、低めを突く制球力もあるから安定感が増す。2月のキャンプでは人一倍練習している姿も見ていたし、隙がない助っ人だ。

偉大な数字をマークしたが、当然の結果だろう。(スポーツ報知評論家)

 ◆ライデルに聞く

 ―中日で166セーブ、巨人で34セーブ。振り返って。

 「手を抜くことなく練習してきた結果だと思う。あとはここまでサポートしてくれた父と母、妻。家族のおかげだと思っています」

 ―日本野球を勉強するにあたり教えが生きた人は。

 「連れてきてくれた(中日元監督の)森(繁和)さん、ブルペン捕手のルイス、通訳の方にはドラゴンズでもすごく助けてもらいました。キューバでも日本の野球を忘れないで課題を持って常にオフを過ごせたことも大きい」

 ―家族への思いは。

 「父と母は自分が道をそれそうになった時、野球をやめたくなった時にしっかりと導いてくれた存在。彼らがいなかったら今の自分はない。しっかり教育してくれてすごく感謝してます」

 ―次の節目は250セーブ。

 「まだそこは考えてない。

健康でプレーし続けることが一番大事。その積み重ねでたどり着くと思います」

 ◆記録メモ 巨人のライデル・マルティネス投手(28)は15日、対阪神19回戦(東京D)で今季34セーブ目を挙げ、通算200セーブを達成した。プロ野球11人目。通算348試合目での到達は、98年に370試合の佐々木主浩(横浜)を抜いて最速。28歳10か月は23年松井裕樹(楽)の27歳5か月に次いで、年少2番目だ。

編集部おすすめ