◆第107回全国高校野球選手権大会最終日 ▽決勝 沖縄尚学3―1日大三(23日・甲子園)

 琉球の風、鮮烈―。決勝は沖縄尚学が日大三(西東京)に3―1で逆転勝ちし、初優勝を成し遂げた。

沖縄勢のVは2010年に春夏連覇を達成した興南以来15年ぶり。先発した146キロ右腕・新垣有絃(ゆいと、2年)から150キロ左腕・末吉良丞(りょうすけ、2年)の2年生リレーで、強打の日大三を1失点に抑えた。投手力中心の野球で競り勝ち、3396チームの頂点に立った。戦後80年という節目の夏。深紅の大優勝旗は沖縄へ渡る。

 甲子園でポーカーフェースがトレードマークになった末吉が、両手を上げて跳びはねた。沖縄尚学が、ついに夏の頂点に立った。「目標としてきたことが達成できた。うれしかったです」。左手の人さし指で“NO1ポーズ”を作ると、初めてグラウンドで白い歯を見せ、仲間と喜び合った。

 背番号1の出番は、8回にやってきた。1点リードの2死一塁。

「ここからは任せろ!」。先発で1失点と好投した同学年の新垣有からバトンを受け取ると、わずか1球で三ゴロに仕留め、左手を強く握った。

 準決勝までの5試合で32回2/3、512球。疲労のため直球は、ほとんどが130キロ台後半だった。それでも「先輩たちを最後まで勝たせたい」と乗り越えた。9回は自らの失策もあって1死一、三塁のピンチを迎えたが、日大三の代打・永野翔成をスライダーで遊ゴロ併殺打に打ち取り、歓喜の瞬間を迎えた。「疲労がピークに来ているところで、点を取られることなく終わることができた」とホッとした表情を見せた。

 「沖縄の人が集まったチームで県外の高校を倒すことに価値がある」。中学時はコントロールが悪く、自ら崩れるような投手。比嘉公也監督(44)のもとで野球を学ぶ道を選択し、一般入試で沖縄尚学に進学した。「同じ左投手で、甲子園(99年春)で優勝している。なおかつ、U―18(日本代表)の投手コーチもされていた。

得られるものがあると思いました」。頭に、ひとつのシーンが描かれていた。

 「夏の舞台で最後に自分が投げているのは、入学前から想像していました。そのことがしっかり重なってうれしいです」

 今春センバツは、救援で登板した横浜との2回戦で7回5失点。「夏はスコアボードにゼロを並べられるように」と悔しさを胸に鍛えた太ももは3センチ太くなり、競輪選手顔負けの71センチに。1・06という今大会の防御率は成長の証しだ。

 あと2回、甲子園に挑戦するチャンスがある。優勝したあと新垣有と抱き合い「来年も2人で頑張っていこう」と誓い合った。「誰よりも投げ込んで、一球一球への考えをより深くしたい」。琉球の剛腕は、さらなる進化を遂げて聖地へ戻ってくる。(浜木 俊介)

▼2年生投手だけで優勝 沖縄尚学は左腕・末吉良丞、右腕・新垣有絃の2年生投手で優勝(決勝で2年生投手がリレーしてVは、63年明星以来)。

 1948年の学制改革後、夏の甲子園で3年生投手が登板せず、下級生投手だけで優勝は(すべて2年生)

年   学校  人数  【登板投手】

57 広島商 (2) 曽根・山中

63 明星  (2) 堀川・角田

65 三池工 (1) 上田卓三

94 佐賀商 (1) 峯 謙介

13 前橋育英(2) 高橋・喜多川

25 沖縄尚学(2) 末吉・新垣有

 沖縄尚学が6校目。

末吉が6登板(完封含む2完投)、2勝(リリーフで3セーブ相当)で[防]1・06。新垣有が4登板、4勝で[防]0・82の好投を見せ、優勝を呼び込んだ。

 ◆沖縄尚学 那覇市にある私立中高一貫校。1957年、沖縄高として創立された私立校。83年、現校名に改称。野球部の創部は57年。甲子園は62年夏に初出場、春の初出場は68年で、99年春に県勢初優勝。86年に付属中学校を開校。生徒は1038人。野球部員は67人。OBにリチャード(巨人)、東浜巨、嶺井博希(ともにソフトバンク)、与座海人(西武)らがいる。

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