◆第107回全国高校野球選手権大会最終日 ▽決勝 沖縄尚学3―1日大三(23日・甲子園)

 今夏の甲子園を制した沖縄尚学の比嘉公也監督(44)は、同校のエース左腕として1999年センバツで沖縄勢初の甲子園Vに貢献。08年には指揮官としてセンバツVに導き、今大会でついに夏の栄冠に輝いた。

その指導哲学に迫った。

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 沖縄の高校球界の歴史にその名を刻んできた比嘉監督が、6度目の夏の甲子園で初めて頂上まで上り詰めた。

 「不思議な感じです。まさかというか、狙っていたわけではないので」。飾ることなく思いを明かしたあと続けた。「生徒がうれし泣きするのを見て、こみ上げるものがありました」

 エースとしてセンバツを制した99年当時を振り返り「野球のレベルが、そもそも違う。エラーが当たり前で『高校生らしいチーム』と言われていましたから」と笑う。この夏は無失策で沖縄大会を突破。甲子園では末吉、新垣有の2年生2本柱が防御率0・96という驚異的な数字を残すなど、強固なディフェンス力で日本一を勝ち取った。

 指導者として、苦しい時も経験した。06年に母校の監督に就任したが、約3か月後の9月に部内暴力があり、1か月間の対外試合禁止処分を受けた。その時、真っ先に考えたのは「部員の気持ちを知ること」だった。

「対話ノート」を用いて心のキャッチボールを行い、時には一対一で話し合う。監督と選手の間に絆が生まれたことで、08年春の甲子園を優勝。このノートは、今も続いている。

 選手には「本音と本気だ」と説く。沖縄尚学に学年の隔たりはない。常に本音でぶつかり合い、控えでもレギュラーに意見を言う。それが、結果的にチームのまとまりにつながっていった。「戦うごとに笑顔が増えていった。それで勝ち切ったことが成長だと思います」

 戦後80年という節目の年に、激戦地だった沖縄の高校が優勝を遂げた。「平和があって、今の高校生が輝いている。当たり前と思わず、感謝して一日一日、成長していってほしい」。選手で1度、指揮官として2度甲子園の頂点に立った名将は、丁寧に言葉を紡いだ。

(浜木 俊介)

 ▼九州勢初3度目の優勝 沖縄尚学は夏の甲子園初優勝。沖縄県勢で春夏ともにVは、10年春夏連覇の興南と2校目だ。甲子園優勝は99、08年春と合わせ通算3度目。全国制覇を3度以上は、23校目。九州地区の学校では初めて。

 チーム打率.241は、優勝校では07年佐賀北.231以来の低さ。得点19、失点9。得失点差が10点以下は、79年箕島10点以来。6試合すべて3点差以内で勝利は初だが、湿っていた打線を、防御率0.96の2年生投手陣がカバーした。

 ▼2度目の監督V 比嘉監督は、99年春は母校のエース、08年春、今夏は監督でV。「選手&監督両方でV」の監督で、2度目のV、春夏制覇は、中京商で59年春に二塁手、66年監督で春夏連覇の杉浦藤文監督と2人目。

 ◆比嘉 公也(ひが・こうや)1981年6月29日生まれ。

沖縄県名護市生まれ。44歳。99年センバツではエースとして沖縄尚学を県勢初の優勝に導く。愛知学院大に進学したが左肘の故障で学生コーチに転身。卒業後は母校のコーチを経て、06年から現職。甲子園出場は春夏計11回。08年センバツで優勝し監督としても日本一を経験。社会科教諭。

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