昭和の青春歌謡スター「御三家」の一人で、「潮来笠」や「いつでも夢を」などのヒット曲で知られる歌手の橋幸夫(はし・ゆきお、本名・橋幸男=ゆきお)さんが4日午後11時48分、肺炎のため都内の病院で死去した。82歳だった。
アイドル的な人気を博した「御三家」の一人として、昭和の歌謡界を支えたビッグスターが妻にみとられ、天国へと旅立った。
橋さんは今年5月、2022年にアルツハイマー型認知症を発症していたことを公表。一過性脳虚血発作による入退院を経て、6月13日から再入院し療養していた。容体が急変したのは9月に入ってから。血圧が下がり、命に関わる危ない状態になったこともあった。4日午後、所属する「夢グループ」の石田重廣社長が病室を見舞うと、数値は一時的に回復したが、同日夜になって再び悪化。帰らぬ人となった。
石田社長によると、橋さんは24年末ごろから「夢グループ」の20周年コンサートで持ち歌を半分以上歌えなかったり、会話がおぼつかないことが増えたという。
橋さんは高校生歌手として60年に「潮来笠」でデビューし、大ヒットを記録した。同年、日本レコード大賞新人賞に輝き、NHK紅白歌合戦に初出場。レコード大賞は、62年に吉永小百合(80)とのデュエット曲「いつでも夢を」、66年に「霧氷」で2度の大賞を受賞した。紅白には17年連続出場を含む通算19回出場し、65、68年の2回、白組のトリを務めた。
舟木一夫(80)、西郷輝彦さんとは「御三家」フィーバーを巻き起こし、映画やテレビドラマにも多数出演した。さわやかな容姿と明るい歌声で、同世代の女性をとりこにし、青春スターの先駆けに。のちに1970~80年代の音楽界をリードした野口五郎、西城秀樹さん、郷ひろみの「新御三家」へと、系譜は受け継がれた。
晩年に長年所属したビクターから夢グループに移籍した橋さんは、歌手活動の引退発表(のちに撤回)や2代目オーディション、認知症公表などメディアの注目を浴び続けた。
病と闘いながらも最後までステージに立ち続けた橋さん。「歌うことが自分の使命」。
◇橋幸夫さん葬儀日程
▼通夜 9日午後6時
▼葬儀・告別式 10日正午
▼会場 いずれも浄土宗無量山傳通院(文京区小石川3の14の6)
▼喪主 妻・真由美(まゆみ)さん
◆橋 幸夫(はし・ゆきお)1943年5月3日、東京・荒川区生まれ。呉服店の9人きょうだいの末っ子として誕生。中学2年から遠藤実さんに師事。60年「潮来笠」でデビュー。日本レコード大賞新人賞、NHK紅白歌合戦初出場(通算19回出場)。代表曲に「恋をするなら」「恋のメキシカン・ロック」「子連れ狼」など。母親の介護体験をつづった著書「お母さんは宇宙人」はドラマ化された。2017年に前妻と離婚。18年に再婚した。血液型A。