国民的アイドルグループ「」が、5月末をもって活動を終了する。スポーツ報知では、グループのラストステージとなる「We are ARASHI」の東京ドーム公演(5月31日)まで原則毎週水曜に連載「嵐メモリアル」を掲載。

歴代担当記者の取材や、グループとゆかりのある人らの話をもとに嵐の約26年の軌跡を振り返る。

 2001年、嵐はレコード会社をポニーキャニオンから、所属事務所が設立したプライベートレーベル「J Storm」に移籍した。翌02年2月の移籍第1弾シングル「a Day in Our Life」は、相場の半額にあたる500円(税抜き)という低価格で発売。世間を驚かせた。同年4月にはデビュー会見を行った米ハワイでファンクラブイベントを開催。会場となった屋外のプール施設は約2000人のファンであっという間に埋め尽くされ、従業員も「What happened?」と目を丸くしていたという。

 私が担当したのは03~04年。当時もライブチケットの入手が困難な人気グループだったが、国民的となった現在と比べれば“苦難の時代”だったといっていい。02年にJr.在籍時から人気のあった「タッキー&翼」がデビューした影響もあったのか、03年に発売したシングル「とまどいながら」(2月)、「ハダシの未来/言葉より大切なもの」(9月)は、オリコンランキング1位を逃し、2位だった。取材機会も他グループに比べて少なかった。

 とはいえ、04年には、将来につながる大きな仕事もあった。日本テレビ系「24時間テレビ」で初めてメインパーソナリティーを務めた。

大野智が「チャリTシャツ」のデザインを手がけたのもこの時が初めてだった。

 アテネ五輪野球日本代表の試合が延長戦に入り、番組スタートが15分ずれ込むハプニングもあったが、5人は見事に大役を務めた。締めくくりのステージでは、相葉雅紀が2年前に肺に穴があく自然気胸で手術をし、仕事を休んだことに触れ、メンバーへの感謝をつづった手紙を読み上げた。「嵐で良かった。ありがとう」。その言葉に、メンバー全員が涙を浮かべたシーンは、20年以上たった今も覚えている。その後、国民的なグループとなった嵐は08、12、13、19年にも「24時間テレビ」のパーソナリティーを担当したが、そのときの5人を見て、本当に仲がいいんだろうと、素直に思えた。

 そして、05年10月、次はTBS系で松本潤が「花より男子」に主演し、嵐は大ブレイクのきっかけをつかむことになる。(土屋 孝裕)

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