「オードリー・若林、直木賞受賞ならず」―。猛暑日となった15日の夜、東京・内幸町の帝国ホテルで行われた第175回芥川賞、直木賞の発表会見場で、そんな速報記事を書きながら、私はここ10年の著名人の日本最高峰の文学賞挑戦の歴史に思いを馳せていた。
各社の文芸担当記者だけでなく、スポーツ紙中心に多くの芸能担当記者が駆けつけたこの日の会見場。焦点は初の小説執筆即、初のノミネートで話題を呼んでいたお笑いコンビ「オードリー」の若林正恭(47)の「青天(あおてん)」(文芸春秋)の受賞がなるか。隣に座った旧知のライバル紙記者は「若林が受賞したら1面もあるんですよ」と口にした。
午後7時半、受賞作は直木賞史上、女性では最年長受賞者となった朝倉かすみさん(65)の「けんぐゎい」(光文社)に決定。同時に若林の“落選”が決まったが、それでも若林作品への評価は上々だった。
選考委員代表として東京・築地の料亭・新喜楽からリモート会見に臨んだ辻村深月さん(46)は受賞者の朝倉さん以上に質問が集中した「青天」について「大変、伸びやかな小説で光る表現がとても多くありました。『空』という表現で体言止めになっていたり、いい形の文章がたくさんあって、いい意味で計算をしていない身体性を伴うものがありました」と話し出すと「とても高評価だったのですが、受賞できなかったのは初めての小説ということで、この先にさらにどんなものを書かれるのか見てみたいという声が多くありました」と続けた。
さらに「時代が1999年を舞台にしたアメフト部ということで現代の読者に届けることに解像度が高く、そちらを美点と見て、その時の風土が伝わってきて面白いという声がありました。(一方で)現代の読者に送り出す時に、より普遍性が高いものとして若林さんが次に何を書くのか見てみたいと(いう意見があった)」と選考会の裏側を明かした。
2013年に初のエッセー集「社会人大学人見知り学部 卒業見込」刊行後、18年にはキューバへの旅を記した「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」で斎藤茂太賞を受賞。エッセー集「ナナメの夕暮れ」が累計発行部数42万部を突破するなど、その“筆力”には折り紙付きも、あくまでも今作が初の小説だった若林の今後に期待する思いが辻村さんの真摯な言葉にはにじんでいた。
今回、話題を呼んだ若林同様、作家専業ではない芸能関係者が直木賞を受賞した例としては作詞家・なかにし礼さんが1999年に受賞した「長崎ぶらぶら節」が有名。
直木賞候補作としては、17年に「SEKAI NO OWARI」のSaori(藤崎彩織)の「ふたご」、アイドルグループ「NEWS」加藤シゲアキも20年「オルタネート」、23年「なれのはて」と2度、候補になっている。
芥川賞では、お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹が15年に「火花」で受賞。82年には劇作家・唐十郎さんの「佐川君からの手紙」、97年にはミュージシャン・辻仁成さんの「海峡の光」、00年には町田康さんの「きれぎれ」が受賞。近年、ロックバンド「クリープハイプ」の尾崎世界観が候補になり続けている。
私はここ10年、特に新型コロナ禍の前には新喜楽の和室で対面で行われていた選考委員代表の経過説明会見に臨席してきた。
2018年1月、Saoriが処女作「ふたご」で、いきなり初候補に挙がった際の説明会見に登場したのが、23年に73歳で亡くなった伊集院静さんだった。
伊集院さんは「藤崎さんは才能があって、感性もある。ただ、初めての作品ということで小説の形としては完成度が足りないんじゃないか」と、まず指摘、当時、既に表面化していた出版不況の中、主催者側が手っ取り早くヒット作を生み出そうという狙いのもと話題性優先でSaoriを候補に入れたかにも見える点について「(議論は)それはありましたよ。選考会でも『(候補作入りは)どういうことなんだ!』と。何かがあるから(候補に)残したというのは斟酌しないと。そんなことを争っていては(議論が)長くなりますけど」と率直に口にしていた。
21年の選考経過説明会見に登場したのは、辛口で知られる北方謙三さんだった。
トップアイドルである加藤の「オルタネート」を高く評価し、直木賞を取らせようとプッシュしたことを明かした上で「決選投票の前に加藤シゲアキに直木賞を受賞させようという機運が選考委員の中にあって、私もその一人でしたが、やはり『もう1作ぐらい待ってみよう』と。とっても惜しかったと思います」。率直過ぎる言葉に一記者として「北方さん、そこまで話していいの?」と心底、驚いたことを覚えている。
そう、先の見えない出版不況の中、客観的に見て人気者の若林を候補に入れることで直木賞への注目を集めようという意図が主催者側にあったと、私は見る。
日大二高アメフト部時代の体験を青春小説に仕上げた「青天」は2月20日の発売以来、累計発行部数28万部を突破するベストセラーに。3月22日に都内で行われた同作のイベントでは、若林自身が高校アメフト部出身だったことを踏まえて「当時のアメフト部のチームメートのキャラを思い描きながら書いた」と裏話を明かしていた。
小説について、よく言われるのが「人間、誰でも自分の人生を素材にして1本の小説は書ける」という言葉。若林も「青天」ではアメフトという「人生無二」の素材を生き生きと書くことで初の小説をものにできたのではないか? 果たして他の題材を生き生きと書けるのか?
辻村さんが代表して口にした「この先にさらにどんなものを書かれるのか見てみたいという声」「次に何を書くのか見てみたい」という言葉をひもとくまでもなく、そんな疑問が選考委員の中にあったとしても当然のことだと思う。
個人的に感じるのが、直木賞の選考というのは現代の文壇をリードする人気作家たちが選考委員という立場から「あなたをトップ作家の仲間に入れてあげるよ」とお墨付きを与える場ではないかということ。
今回、65歳での受賞となった朝倉さんにしろ、03年「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞を受賞してのデビューから23年目、3度目のノミネートでの戴冠に受賞会見では「ほめていただけたことがうれしいし、直木賞をいただけたことは光栄です」と笑顔を見せた上で「候補になったと聞いて本当にうれしくて泣いちゃった。結構な号泣レベルで泣いてしまって、ここがピークだなというくらいの感情の高ぶりがあった」と正直に明かしていた。
映画化された「平場の月」などで既に十分な知名度を誇る朝倉さんにそこまで言わせる“価値”が直木賞にあるのは、確かな事実だ。
若林が多忙な芸能活動のかたわら今後も2作目以降を書き続け、それもアメフトという「人生最大の素材」も離れて傑作をものにした時。その時こそ「小説家・若林正恭」が誕生するのではないか―。
既に売れっ子お笑いタレントとして芸能界で確固たる地位を築いている人気者にとっては大きなお世話だろうけど、そんなことを思った直木賞という文学界最大の「祭りの後」だった。(記者コラム・中村 健吾)
◆今回の直木賞選考委員(五十音順、敬称略) 浅田次郎、角田光代、京極夏彦、桐野夏生、辻村深月、林真理子、三浦しをん、宮部みゆき、米澤穂信

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