TBSラジオからお送りしている「東京ポッド許可局」。マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオが6月3日の放送で話し合っていたテーマがコチラ。
マキタ:あのさ、「品」っていう言葉、あるじゃないですか。「上品」とか「下品」とかって言うでしょう?で、なんか「品がある/ない」とか「下品」とかっていうのが死語化しているような気もするんですよ。
タツオ:一時期ね、「○○の品格」シリーズは結構流行りましたけどね。
マキタ:あれって結局、「品」っていう価値観みたいなものが死語化しているから「品格」みたいな言葉があえてフィーチャーされたみたいな感じもするんですけども。個人で「これは下品」とかって自分で思っていることとか、それぞれでしょう?
タツオ:そうね。というか、みんな思っているのかな?俺、それわかんない。
マキタ:タツオは、上品/下品とか、うるさそうじゃないですか。
タツオ:「うるさい」ってなんだよ!
マキタ:独特になんか持っていそうじゃないですか。
タツオ:まあ、でも上品か下品かって結構大事ですよね。
マキタ:「それ下品!」って、いつも言ってそうじゃないですか。
タツオ:言ってる、言ってる。だってうちの婆ちゃんがテレビを見るたびに「下品!」ってよく言っていたから。
マキタ:おばあちゃんはなんて言ってたの?
タツオ:たけしさんを下品って言ってたね。
マキタ:いつの人?おばあちゃんは。
タツオ:大正生まれ。
マキタ:たぶん大正生まれの方の下品っていう価値観と、今の時代は合わないですよね。

鹿島:一方で、「たけしさんは品がある」って言う人だっているじゃない?
マキタ:どっちかって言ったらたけしさんって品側の人じゃないですか?ガラは悪いけど、品があるか?みたいな感じのところで言うと、たけしさんってそういうのの代表格よ。
鹿島:いや、もう80年代、90年代の頃からですよ。
タツオ:だけどやっぱりうちの婆ちゃんが「下品」ってよく言ってたから。「面白い」とか「いい/悪い」とかの価値判断ぐらい、「品がある/ない」っていうのは家庭内でよく飛び交っていた言葉だった。マキタさんの家は?
マキタ:やっぱり昭和一桁生まれの両親に育てられたもんですから。で、僕は物心がついた時に明治生まれのおじいさんと大正生まれのおばあさんで。その明治生まれのおじいさんなんかはね、上品っていうか、「あれは下品だ!」みたいなことをよく言っていたのを覚えていますし。

―――3人が話し始めた「上品/下品」や「品」という感覚。
鹿島:わかりやすい言葉とか強い言葉は下品と隣り合わせかもしれないですね。で、マキタさんの話にも通じるんですけども。今ってみんなが発信できていい時代ですけど、それって自分を全部オープン化できる。自分の感情もすべてさらけ出せるっていう、それと隣り合わせになっている…かなり下品の罠はそこら中に、10年前、20年前よりは存分に仕掛けられていると思うんですよ。だけど、そこを上手くやった人は強い言葉で人気を博したり、それが「本音」と言われたりとか。
タツオ:ただ、言葉のカロリーが高くなっているんだけどもね。
鹿島:最近もそう思わない?「ああ、そこまで言うんだ。そこまで踏み越えてくるんだ」っていうのが意外と喝采されていたり。「それはちょっとやりすぎ…下品じゃない?」っていう。昔は「とどめはささない」みたいなそういう美学ってあったと思うんですけども。それはウケる一方で「下品だな」って僕なんかも思っちゃうんですけどね。
マキタ:昔、タツオが言っていた話で。談志師匠がその「品」っていう言葉に対して定義していたでしょう?定義おじさんが。なんて言っていたんだっけ?

タツオ:「欲望に対する動作がスローモーな人が品がある」という。つまり、「こうしたい」っていう欲望があって、それに対して最短距離で行ってしまうのは下品。で、その動作がスローモーション。つまり、ゆっくりな人が上品。
マキタ:欲望に対して動いていいんだよね?
タツオ:そう。「欲望を持つな」ではないんだよ。だからそこが談志師匠のすごいところで。欲望があるのはみんな一緒だけど、その動作をスローモーにすることが上品だと。
鹿島:どう見せるかの話でもありますよね。だからさっき、言葉でいうなら「これこれ、こういうことだからこうなんです」っていうのを全部吐露してしまうと「そこまで全部言ってくれるんだ」っていうのは「わかりやすい」けど、あんまり上品ではないなって。
―――この後、ドナルド・トランプ大統領、朝青龍さん、麻生太郎さんなどの発言を例に出しながら「わかりやすさを優先するものは下品ではないか?」という議論を進めていきます。
タツオ:僕はね、「全ての人にわかるものは下品だ」ってどこかで思っている。あと、「経済効率を優先するものは下品だ」とも思っている。
鹿島:だから、わかりやすさとか下品ですよね。
タツオ:「なんでそこまでお前に媚びなきゃならないんだ?」っていうことにもなってくる。「わかりやすいってどういうことなの?」って。「いや、わかろうとしようよ。『わからない』と『つまらない』って全然違うじゃん?」っていう。だけど、「わからないから、もういい」ってなっちゃうじゃん。こういう言い方はあれだけど、だいたい人は成長の過程で品を身に着けていくのかな?最終的には「和三盆、うまい」みたいな感じになっていくんだけど、逆の言い方をすると、子供って見ていて全然不快じゃないじゃん。でも、子供がしていることってたぶん下品なんだよ。だから、「子供っぽい大人」を見た時に「下品だな」って思うの。
マキタ:見城徹さんとか、どうですか? あの方の振る舞いとか(笑)
鹿島:だから期せずしてSNS、ツイートっていうのでわかってしまった。現れてしまった。そういう装置がいま、昔よりもすごく多いから面白い時代でもありますよね。
―――続いて、ギネス記録とイグノーベル賞の例を出しながら「自分の中に価値判断の基準を持つこと」や「相手を思いやること」と「品」の関連性について話していきつつ、プロレスラーと「品」についての話に。
鹿島:レスラーで言うと、基本僕は上品だと思います。ここで言うところの「上品」っていうのは「優しさ」だと思うんです。この間、徳光さんと古舘さんがプロレスについて話している番組があって。その中で古舘さんが「今はプロレスって目標として胸張って入ってこれる業界だけど、力道山さんとか馬場さんとかはそもそもドロップアウトして入ってきた人たちじゃないか」って。

鹿島:もともと自分が一番なりたい職業や世界から、そうじゃない世界に来た人たちだから、他人の痛みがわかって優しい人が多い。でも、それに気付けるのは徳光さんもドロップアウトを経験しているからで。そこからすごく好きになったという。これにヒントがあると思っていて。
タツオ:優しさっていうのはやっぱり想像力だからね。
鹿島:だけどそれを発信はしていないわけですよ。わかる人だけがわかっているという。だからそこは、色気とか品はすごく感じるんですよね。
マキタ:優しさが裏側にあるだけで、基本的にはあの人たち、怖いよね。厳しい人たちというか。
鹿島:わかる人にしかわからなかった優しさであって。それを自分からそんなに発信していかないじゃないですか。だからそれを受け止めてわかった時ってすごく「ああっ!」って思うんだなと思うし。ともすれば今、そういうのは全部発信していくじゃないですか。で、怒りが生じたらすぐに叩きつけるじゃないですか。だから、そこらへんは勉強になるなって思いましたね。

―――この後、ビートたけしさん、立川談志さんやとんねるずさんなどを例に出しながら、それまであった境界を飛び越えて新しい価値観を作り出していくような人たちのことを上の世代の人たちは「下品だ」と言いがちであること。「新しい」からこそ「下品だ」と捉えられてしまうという話を進めていきます。
タツオ:今の話だと、世代が下がるごとに下品になっていくはずなんだけど、愛されるものと愛されないものの違いってなんなんですかね?とんねるずさんですら、「あんなことやって、下品だ!」みたいに言われていたし。

マキタ:ベストテンで御殿場で暴れていた時には。
タツオ:でも、さっき鹿島さんが言ったように挫折を味わった人っていうのは売れるために下品になるけど、最終的にはやっぱり上品な人なのかもしれないですね。談志師匠だって、志ん朝師匠に抜かれているからね。そのコンプレックスたるや。だから、弟子にはメディア的には厳しい人だけど、基本的にはめちゃくちゃ優しい人だし。
マキタ:うちのTおじさんは談志師匠が嫌いな理由っていうのが「言い訳が多い」っていう。
タツオ:ああ、なるほどね。まあ、そう聞こえちゃうんだろうね。
マキタ:つまり「圓生、志ん朝っていうのは言い訳しねえだろ?」みたいなことを言う。でも、一方で僕は談志ファンだったんですけども、言い訳っていうのは枕の部分で現代の話を漫談にして聞かせるっていうのは、「そうしないと届かないから」っていうこともあったし、「次なるステージのところでイリュージョンをちゃんと説明しないとわからないから」っていうこともあるから。
タツオ:導線を引きまくっているんだよね。
鹿島:だからそういう意味では僕はこの許可局っていうのもすごく「下品」だと思うんですよね。だって言わなきゃいいことをずーっとこの10年、言ってるじゃないですか。でもその下品は一方でさっき言いましたけど、新しかったのかもしれない……(笑)。
マキタ・タツオ:フハハハハハハッ!