6万人が犠牲に…WW2で壊滅した日本の商船

「戦没・殉職船員の御霊の慰霊・顕彰と、海洋国家・日本の永久の平和と安全を祈念していくことを、ここに誓う」――2026年5月14日、神奈川県横須賀市の県立観音崎公園にある「戦没船員の碑」前で開かれた「戦没・殉職船員追悼式」にて、日本殉職船員顕彰会会長の池田潤一郎氏(商船三井前会長)は鎮魂の言葉を述べました。

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 第二次世界大戦において、日本は商船や機帆船、漁船などあらゆる船を徴用し、海上輸送や哨戒・監視といった任務に投入しました。

中には、商船三井のルーツである大阪商船の「報国丸」と「愛国丸」のように“仮装”巡洋艦として武装し、通商破壊作戦を行った船もありました。

 しかし、大規模な船舶徴用は国内経済に必要な民間輸送力の減少に直結しました。これを補うための商船新造も、海軍艦艇の建造・改装が優先され後回しにされました。

 島国である日本は資源の多くを輸入に頼り、また戦地へ兵力を展開するためにも多くの船が必要でした。当然、連合軍は日本の最大の弱点である海上交通路を狙い、航空機や潜水艦による襲撃を繰り返しました。太平洋戦争開戦前、世界第3位となる約630万総トンの船腹量を誇った日本の商船隊は、広大なアジア・太平洋で次々と失われ、文字通り壊滅状態に陥りました。

 1937年の日中戦争勃発から1945年の終戦までに犠牲となった船員は6万人以上にのぼります。破壊された船舶は商船だけで約2600隻、約840万総トンに及び、機帆船や漁船の被害に至っては今も全容が明らかになっていません。

 終戦時に残っていた9000総トン以上の商船が、海軍の病院船となっていた日本郵船の「氷川丸」(1万1622総トン)と大阪商船の「高砂丸」(9347総トン)のわずか2隻のみだったことからも、その凄まじさがうかがえます。

 池田氏は「終戦から81年。戦争の記憶は、年を追って薄れていくが、戦争の悲惨さを、次の世代へと継承していかなければならない」と語りました。

社運を賭けて掴んだ"栄光の船”も海の藻屑に

 池田氏が会長を務めていた商船三井も、その前身である大阪商船と三井船舶が第二次世界大戦で大きな犠牲を払いました。

大阪商船は219隻約99万総トン、三井船舶は79隻約49万総トンが失われ、両社で約6000人の海上従業員が戦死しました。

「世界で3番目に多く船を持っていた国ニッポン」はこうして壊滅した――海に消えた約6万人の“民間船員” 81年目の鎮魂
ニューヨークをバックに映る畿内丸の写真。商船三井ミュージアム「ふねしる」にて(深水千翔撮影)

 その中には、戦前の日本における高速貨物船の先駆けとなった大阪商船の「畿内丸」(8365総トン)も含まれます。

 1914年8月のパナマ運河開通により、日本と北米東岸ニューヨークを結ぶ新航路が開拓されました。当時、日本の主力輸出品であった生糸は高運賃貨物であり、この航路にはイギリスやアメリカが14ノットの速力を出せる高速貨物船を就航させていました。一方、日本船社の貨物船は10ノット程度で、時間短縮のためロサンゼルスで鉄道に積み替える手間がかかっていました。

 こうした状況下で、大阪商船は最新鋭の高速貨物船によるニューヨーク急航サービスを計画。社運を賭けて6隻を一気に発注しました。その1番船として1930年6月に三菱造船長崎造船所で竣工したのが「畿内丸」です。

 同船は大型ディーゼルエンジンを搭載し、18.4ノットの速力を実現。船内には生糸を積むシルクルームや冷蔵貨物室などを備え、強力なデリック(クレーンの一種)で荷役能力も向上させました。これにより、横浜―ロサンゼルス間は23日から11日6時間へ、横浜―ニューヨーク間は35日から25日17時間半へと大幅に短縮され、生糸輸送のシェア奪還の立役者となりました。

 しかし、ニューヨークライナーとしての華々しい日々は長く続きませんでした。

 日中戦争の激化やフランス領インドシナへの進駐、日独伊三国同盟の締結などで日米関係が緊迫する中、1941年3月の神戸発ニューヨーク行きを最後に運航を停止。同年9月には海軍に運送船として徴用され、太平洋戦争の開戦を迎えます。

 そして1943年5月10日、「畿内丸」は船団を組んでサイパン島東方200海里を航行中、潜水艦「プランジャー」の雷撃により沈没しました。準同型船を含め8隻建造された栄光の畿内丸級貨物船は次々と沈み、最後の1隻「北海丸」も終戦後の1945年11月12日、ジャワ島スラバヤで機関部の点検中にガスへ引火・爆発し、失われました。

「平和な海」は当たり前じゃない

 現在も日本は原油をはじめ多くの資源を海外からの輸入に頼っており、私たちの生活は物資を運ぶ船舶によって支えられています。しかし、米国・イスラエルによるイランへの軍事攻撃以降、ホルムズ海峡は事実上の封鎖状態が続き、多くの日本関係船舶を含む商船がペルシャ湾に閉じ込められました。原油から精製されるナフサ由来のシンナーや接着剤、プラスチックなど石油化学製品が不足し、お菓子の包装など身近なものに影響が出る中、平和で争いのない海が日常に不可欠であることは、多くの人が痛感しているでしょう。

「世界で3番目に多く船を持っていた国ニッポン」はこうして壊滅した――海に消えた約6万人の“民間船員” 81年目の鎮魂
戦没・殉職船員追悼式で鎮魂の言葉を述べる池田潤一郎氏(深水千翔撮影)

 追悼式に寄せたコメントで、高市早苗首相は「中東地域をはじめ、いまだに争いが絶えることのない世界の中にあって、祖国の未来を思い、蒼海に眠る船員の方々の御霊の御前で、恒久の平和と海上交通の安全に全力を尽くしていくことを、改めてここに固く誓う」と述べました。

「戦没船員の碑」には、「安らかに、ねむれ、わが友よ。波静かなれ、とこしえに」という文字が刻まれています。これは、海運・水産に従事する船員が二度と戦火の海へ行くことがないようにとの祈りが込められています。

【これ全部沈んだ…】あまりにも凄惨な「戦没商船」を写真で見る

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