9月25日、神宮球場。ヤクルトは丸山和郁のサヨナラ安打でDeNAを1対0で下し、2年連続のリーグ優勝を成し遂げた。

歓喜の輪のなかには奥村展征の姿もあり、山崎晃大朗はその輪のなかに駆け込んだ時の感情をこう振り返った。

「奥村は、山田(哲人)さんや中村(悠平)さんといった方たちと、チームのどん底を見てきたなかのひとりです。あの苦しい時期をともに戦った選手と、同じ場所で優勝を味わえたことがすごくうれしかったです」

 奥村と山崎のふたりが若手と呼ばれていた時代に歩んできた道中を思い出すと「努力は報われるものなのだ」と、あらためて思い知らされた。

ヤクルト連覇を支えた名脇役の成長秘話。山崎晃大朗の「献身力」...の画像はこちら >>

ヤクルトの連覇に貢献した奥村展征(写真左)と山崎晃大朗

貴重なつなぎ役として成長

 山崎は今シーズンを振り返り、「ちょっとは理想の仕事に近づけたかなと感じています」と答えた。シーズン中は「2番」を任されることが増え、役割もこれまでの"点"ではなく、試合を通した"線"でのつなぎ役を求められ、数多くの得点をもたらした。

 1番・塩見泰隆との息のあったコンビで、何度も一、三塁の局面を演出。アウトになったとしても、「とにかく塩見を得点圏に」と右方向にゴロを転がし、最低限の役割を果たした。

「自分はプロに入ってから、走者一塁の場面で進塁打をなかなか打てませんでした。体全体で右方向に打とうとすると強引になり、バットが出てこないなかで振ってしまって三振したり、ファウルフライや外野フライになったりというのが多かったんです」

 今春のキャンプで、大松尚逸打撃コーチからの助言でその課題を克服したと、山崎は言う。

「体を止めてバットの角度だけを調整したら、一、二塁間に飛んでいくからと。それを試してみたら、よくなっていったんです。なによりも、ようやく打席のなかで頭の整理ができるようになりました。『これが最低限の仕事』『これはやったらダメなこと』と、そういうことをじっくり考えて打席に立てるようになったと思います」

 山崎の「ようやく」という言葉には実感がこもっていた。

プロ入りしてから少しずつ数字を伸ばし、7年目の今季は打撃部門で多くのキャリアハイを記録。バントの成功率も高くなり、打席でのしぶとさは三球三振を減らすことになった。

「勇気をもって新しいことに取り組めたことがよかったのかなと思います。追い込まれてからノーステップにしてみたり、バットの形も思いきって変えてみました」

 つなぎ役に徹しながら、勝負を決する長打も増えた。5月25日の日本ハム戦(神宮)ではライトスタンドへサヨナラ3ラン。バットを短く持っても、芯にしっかりコンタクトする精度を上げれば、外野の頭は越えずとも間を抜くことはできる。

そんな手応えを感じたと山崎は言う。

「でも僕の仕事は、塩見をひとつでも先の塁に進めて、山田さんや村上(宗隆)に託すことです。最低限の仕事が、チームにとって最高の結果になればいいという思いは変わりません。僕自身の最高は求めない。それはこれからもやっていきたいと思っています」

チームに勢いをもたらす「声」

 奥村は今シーズンの手応えについて、次のように語った。

「これまで一軍にほぼフルでいることがなかったので、どんな形でも食らいついていったことの結果が出た1年だったと思います。ショート、セカンド、サードをしっかり守ることができれば、一軍に食らいついていけるんじゃないか......。

そう思いながらやってきました」

 出場機会こそ少なかったが、試合前、試合中は"声"を出し続けた。声を出すタイミングについては、嶋基宏や川端慎吾、坂口智隆といった「経験豊富な選手を見ながら勉強しました」と話す。

「チームが苦しい時は、ただ大きい声を出してもうるさいだけですし、そういう時はできるだけチームが盛り返せるような声を出せたらいいなと。逆にチームが乗っている時は、もっともっと乗っていけるような声出しをしようとやってきました」

 よく発するのは「一戦必勝!」。奥村が長く大事にしている言葉で、高校野球スタイルを取り入れた。山田が「嶋さんや奥村の声で勝ってるんじゃないかというくらい、ベンチの雰囲気はいいです」と言うほどである。

山崎も「ベンチが暗くなりそうな時でも、声を出してみんなを勇気づけてくれる。チームに欠かせない選手です」と話す。

「僕は相手にプレッシャーをかけるというよりも、チームがいい方向に進んでいくことを心がけて声を出しているのですが、その勢いが向こうにも伝わっているのはいいことだったなとは思っています」(奥村)

 高津臣吾監督は奥村の「声」についてこんな話をしてくれた。

「チームがボロ負けしていても変わらないところがすごいですよね。飛んできたボールを普通に処理するのと一緒のような感覚で、当たり前のように声を出している。なかなかできることではないと思っています。

試合に出ることは少ないですが、何かあれば『奥村でいこう』となる選手ですし、チームを盛り上げることも雰囲気を読むこともできるので、監督として本当にありがたい選手です」

シーズン96敗、16連敗、最下位...

 プロ入り後のふたりは、勝つことよりも負けることのほうが多かった。2017年にはシーズン96敗、2019年には16連敗を経験。2年連続最下位の屈辱も味わっている。

 選手としても、山崎はレギュラー定着にあと少しのところでたびたびチャンスを逃し、奥村は右ひざの手術をするなどケガに苦しんだ。山崎が言う。

「その頃はチームが勝てないという悔しさよりも、自分をアピールすることに執着していて、毎朝起きるのがつらかった時期もありました。去年も優勝はしたのですが、自分がまったく戦力になれなかったことが悔しくて......。今年は調子の良し悪しはありましけど、シーズン中盤から後半にかけてスタメンで出られる試合が多かったので、自分でも成長したのかなと。少しは優勝に貢献できたかなと感じているので、去年のようなモヤモヤした気持ちはありません」

 奥村はヤクルトが優勝した2015年に、相川亮二のFA移籍に伴う人的補償選手として巨人から移籍。しかしその年は、ケガの影響もあって歓喜の輪に入ることは叶わなかった。

「そのあとは96敗とか16連敗とか......。チームが苦しい時に一軍の経験をさせてもらったのですが、自分のなかで負けが込むのが当たり前という雰囲気になっていたのは、正直ありました。去年の優勝の時は、宮崎のフェニックスリーグに参加していて、西都の宿舎のテレビで見ていました。本当にうれしくて感動したのですが、自分があの場所にいたかったという悔しい気持ちもありました。今年、こうして一軍にいられるのは、去年の悔しいという気持ちがあったからだと思います。なによりも、優勝に向って『目の前の1試合を絶対にとるんだ』というチーム状況は、自分にとってすごくプラスになっています」

 リーグ連覇が決まった夜、神宮球場ではビールかけが始まろうとしていた。バックスクリーンのビジョンに山崎と奥村の"やる気満々"の顔が大きく映し出された。

「僕にとっては初めての優勝体験でしたが、今までに見たことのない景色がずっと続いて、本当に感動しました。個人としての喜びは去年よりもはるかに強いのですが、まだ99パーセントです。来年はもっともっと上を目指して......残りの1パーセントはまだまだ先にあるのですが、そこを目指していきたいです」

相手ベンチから見た山崎と奥村

『よく考えて練習しないと咲かない花はあります』

 2018年の愛媛・松山での秋季キャンプ。三塁側ベンチの壁にかけられたホワイトボードに、石井琢朗コーチ(当時/現・DeNAコーチ)はこんな言葉を書き込んだ。選手たちはその前で足を止めてからグラウンドへ足を踏み入れた。

 山崎はこのキャンプで、宮本慎也ヘッドコーチ(当時)から練習の大切さ、打席での考え方を教わり、河田雄祐コーチ(当時/現・広島コーチ)からは、自分のすべき仕事を叩き込まれた。

「河田さんに『コータロー(山崎の愛称)、おまえはどう考えてもスターじゃないんだから』と。その言葉で、自分がこの世界で生き残るために、ほかの選手を引き立てる役割を果たしていこうと決めたんです。去年はファームにいる時に、土橋(勝征)コーチからも『ひとりくらいコツコツやる選手がいてもいいんだ。それをおまえがやればいいんだよ』という言葉をかけてもらって、今年はその意識がより強くなりました」

 そう話す山崎にとって、石井コーチからの言葉はもっとも強く胸に響いた。

「3年目はなかなか一軍にいられなかったのですが、ファームから昇格した時、琢朗さんに『下では何をやってきた?』と聞かれたんです。僕が答えると『その考えのままじゃ一軍では通用しないよ』と。自分はその言葉がきっかけになったというか......。今年はようやく宮本さん、琢朗さん、河田さんに教えられたことをちょっとですが、体現できたシーズンになったかなと思っています」

 今シーズン、石井コーチはベイスターズの指導者として最後までヤクルトを苦しめた。かつての教え子たちの姿は、反対側のベンチからどう映っていたのだろうか。

 山崎は優勝前日の試合で先制タイムリーを含む4安打の活躍を見せた。

「余計なことをしてますね(笑)。今年はモデルチェンジじゃないですけど、バットを短く持つことで、彼本来の足を生かしたバッティングができている印象があります。それも当てにいくようなバッティングではない。バットを短く持っている分、コンタクト率も上がっている気がします。そのなかで長打も打てている。コータローとは離れて3年になりますが、一番成長を感じるのは、僕が言ったらおこがましいですが、打席のなかで粘りが出てきたことですね。僕がいた頃は、ベース盤の上にフォークを投げられるとクルクル回っていて、そこが課題でしたから」

 奥村については「ノブ(奥村の愛称)はうるさいだけ。僕がいた時から声だけ(笑)」と目尻を下げた。

「声も戦力と言われますけど、コロナ禍でスタンドの声援がないから、ベンチからの声は本当によく聞こえます。ヤクルトのなかでは、ノブと嶋がよく声を出していました。もともと向上心と根性のある子で、10人目の野手としてチームの勝利に貢献していたんじゃないですかね」

 ベイスターズはクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージを勝ち上がれば、ヤクルトとの対戦が待っている。

「ヤクルトにはシーズンを通して苦戦を強いられました。これは広島もそうですが、この2チームには野手陣がいつも以上に力んでしまう印象がありました。相手の打線を見てしまい3、4点とらないといけないという焦りが感じられたというか......CSではもう一度、原点にかえって、まずは1点をとりにいくところから始めたいと思っています」

 まだ山崎と奥村が若手だった頃、秋季キャンプを目前に「どんな練習が待っているんですかね」(山崎)、「今日、日程が出たんですけど、休みがほとんどないです(笑)」(奥村)と心細げな顔を見せていたのも、今は昔の話だ。

 今シーズン、山崎と奥村は東京ヤクルトスワローズという大きな花壇に、"自分だけの花"を見事に咲かせたのだった。

「まだ5分咲きくらいでしょうけどね(笑)」(石井コーチ)