松永浩美インタビュー

落合博満と秋田の屋台で繰り広げた野球談議 後編

(敵チームの落合博満と松永浩美が秋田の屋台で語り合い。「どこが苦手?」の質問から一流の打撃論が始まった>>)

 阪急(現オリックス)とロッテが秋田で試合を終えたあと、阪急時代の松永浩美氏がロッテの落合博満氏とマンツーマンで繰り広げたという、屋台での野球談義。

その内容を語る後編では、共通の認識を持っていたという練習への取り組み方、ミーティングに対する考え方、さらには落合氏の人柄がわかるエピソードなどを聞いた。

松永浩美が落合博満に聞いた独自の練習の意図と神主打法。プロと...の画像はこちら >>

ロッテ入団からの20年間の現役生活、引退後には中日の監督としても活躍した落合氏

【「目標設定」で郭泰源からヒット】

――秋田の屋台で話をした際は、バッティングに関するアドバイスももらったんですか?

松永浩美(以下:松永) 技術的なアドバイスはあまりなく、野球に取り組む上での考え方を助言していただきました。落合さんと私ではバッティングのタイプがまったく違いますし、私はスイッチヒッターで特殊でしたからね。

 私は24歳のシーズンに初めて打率3割(.310)をマークしたんですが、「マツは若いうちに3割を達成したから、これから何回も3割を打てると思うよ」とも言われました(その1984年シーズンを含め、打率3割以上を7回達成)。落合さんは「若いうちに3割を打てるのか打てないのかによって、その後のキャリアがまったく変わってくる。若いうちに3割を打てないバッターはずっと打てない」と話していました。

――「野球に取り組む上での考え方」とは、具体的にどんな内容でしたか?

松永 「目標をしっかり持っておかないと、"練習のための練習"にしかならない」ということです。

最終的な目標を自分で決めて、そこに到達するために、目の前の試合にどう臨むべきなのか。どんな準備をするべきなのか。自分の長所をどう磨いていくのか。そういうことを考えているのと、考えていないのとでは結果がまったく変わってくる、とアドバイスをもらいました。

 落合さんにそう言われる前から、私は「プロで5年やってレギュラーになれなかったら野球をやめる」といったように、目標を定めて取り組んではいました。でも、落合さんと話をしたあとに、目標設定に対する意識がよりいっそう高まりましたね。

――それで、実際に取り組んだことはありますか?

松永 ダイエー時代に、1995年の西武との開幕戦でヒットを打つための準備もそうでしたね。その年から王貞治さんが監督になったので、私は開幕戦でインパクトを残したかった。そのために、シートバッティング、紅白戦、オープン戦でもファーストストライクをすべて見送って、相手チームに「松永はファーストストライクを打たない」と印象づけさせたんです。

 実際の開幕戦では郭泰源が先発でしたが、第1打席でファーストストライクを捉えてセンター前にヒットを打つことができました。実際に、西武の首脳陣や郭泰源に対してどれだけ効果があったかを証明するのは難しいですが、先を見据えて手段を講じる、ということですね。

【ミーティングに出ない理由】

――落合さんとはバッティングの考え方が似ていたとのことですが、それ以外の話ではいかがですか?

松永 ミーティングに対する考え方も似ていましたね。現在も行なっているかどうかはわかりませんが、私たちが現役の時はスコアラーが選手たちを集めてミーティングをやっていました。

ただ、私の場合は自分で相手ピッチャーの攻め方などを研究していたので、ミーティングにはほとんど参加したことがないんです。阪急、オリックス時代は私と、ブーマー(・ウェルズ)もほぼ出ていませんでした。

――松永さんの場合は、常に結果を出していたから許されていた部分があったんですか?

松永 そうですね。それで打てなかったら最悪ですけど。昔、近鉄に柳田豊さんというサイドスローの投手がいたのですが、事前のミーティングで対策を練ったにもかかわらず、どのバッターも苦戦していたんです。そんな中で、ミーティングに出ていない私は打てていたので、結局は何も言われないんですよ(笑)。


 決してスコアラーを軽んじていたわけではなく、相手ピッチャーの研究は自分でやることが普通と思っていて、「スコアラーの手を煩わせることではない」と考えていたんです。逆に、「なぜスコアラーに聞かなければわからないんだ?」と思っていましたね。

――落合さんも同じような考えだったのですか?

松永 「ミーティング出る?」と聞かれたので、先ほどのような考えを話したら、「俺もミーティングは必要ないんだよ。いらない情報ってあるよな」と言っていました。

 落合さんの野球論はよく"オレ流"なんて言われますけど、私は落合さんの考えは"当たり前"だと思っていました。自分で相手の研究をして、自分のことを知って、自己管理をして......その上で成績を残すのはプロとして当然のことですから。

プロ野球での成功には繊細と大胆さが必要】

――練習の話に戻るのですが、落合さんはピッチングマシンと正体する形でホームベース上に立って、横からくるボールを打つような練習をしていたという話がありますが、本当なのでしょうか。

松永 その練習の話も、秋田の屋台で聞きましたよ。落合さんはピッチングマシンの真っ直ぐのボールを正面で打っていました。肘を畳んで、バットを体の内側から出さないと打ち返せないので、そのための練習だったそうです。

 あとで私もやってみましたが、さすがに真っ直ぐで試すのは怖かったのでカーブで(笑)。私の場合は両打ちだったので交互で。

その練習では、右と左で膝の高さが変わらないように、足の裏をしっかり使うように、上体の力を抜いて腹筋をうまく使うようになど、いろいろ考えながらやっていましたね。

――野球人ではなく人間として、松永さんは落合さんをどう見ていましたか?

松永 すごく繊細な方だと思います。ただ、繊細かつ大胆じゃないとプロ野球の世界では生きていけない。繊細なだけでも大胆なだけでもだめ。両面を持っていないと難しいんです。

――落合さんの繊細な一面が見られたエピソードはありますか?

松永 落合さんは、どこにタオルを掛けるにしても、一番下の端の四隅がピシっと合っていないとダメなんです。一緒にオールスターゲームに出場した時に見たんですが、ベンチでもきれいに掛かっていて、「几帳面な方だな」と思いましたよ。

 そこで、落合さんがベンチにいない時に、そのタオルが掛かっているところに座ってタオルを少しだけ動かしてみたんです。すると戻ってきた落合さんは、「おい、動かすなよ!」とすぐに気づいていました。やはり四隅がずれたのが気になって仕方がない様子で、ピシっと直していましたよ(笑)。

 繊細といえば、バットも大事にしていました。フォアボールの時もバットをポーンっと投げることはなく、バットの先の太いほうを先に地面につけて、手を放して自然に倒すという感じでしたから。

――バットに関するこだわりの話もしましたか?

松永 落合さんはバットを素手で持っていましたが、僕は手袋をつけていたので、「なんで手袋なの? 素手で打たないと感触がわかんないだろ?」と聞かれましたね。私も本当は素手で打ちたかったんですが、手汗をかいてすべってしまうので......。それを伝えたら、「手汗をかくのか。それは仕方がないな」と納得していました。

 私は高校時代から、ことあるごとに砂を手につけないと汗でバットがつるつるすべってしまっていました。体質なんでしょうけど、素手でバットを持てるのはうらやましかったですね。

――グリップの位置を高くして、体の手前に掲げる"神主打法"については?

松永 ロッテのキャッチャーだった土肥健二さんのマネをした、と話していましたね。「加藤秀司さんもちょっとマネしたんだ」とも言っていたかな。人をマネすることの大切さも話しました。

 そうした話の中で、野球やバッティングに対する考え方で落合さんと共通している部分があり、「自分のやり方は間違っていなかったんだ」と確認ができた上に、新しい発見もあって勉強になりました。あの秋田の夜に聞いた話に"他愛もない話"はなかった。すべてが野球に繋がる内容で、無駄な話はありませんでした。

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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